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赤い夜。魂の誓い

 


「が、っ、ぁ、ッ……!」


 地面に叩きつけられた明は、その勢いのまま跳ねて転がる。

 数十メートルほど転がってようやく、明は動きを止めた。


「ぐ、げぼっ、ごほッ」


 意思に反して身体が震える。

 止めどなく血塊が口から溢れ出る。

 脳を直接突き刺されたかのような激しい痛みに、視界がチカチカと明滅した。

 手足の感覚がない。動かすことも出来ない。

 ……千切れたのだろうか。

 それとも骨も肉も全てが潰され、ぐちゃぐちゃになっているのだろうか。



「ぜぇ、ひゅっ。ぜぇ、ひゅっ。ぜぇ、ひゅっ。ぜぇ、ひゅっ…………」



 空気を吸いたいのに息が満足に吸えない。

 震える視界を下へと落とすと、明の右胸には太い枝が突き刺さっていた。どうやら、ギガントに殴り飛ばされた勢いのまま樹木にぶつかり、その衝撃によって枝が突き刺さったらしい。満足に息を吸うことが出来ないのも、おそらく。右の肺を潰されているからだろう。


(今の俺の、耐久値を破って……。それだけ、殴られた衝撃がデカかったのか)


 明は、胸に刺さる枝を見つめて場違いにもそんなことを思った。

 ごぼごぼと、大きく咳き込んで血を吐き出した。

 勝利の余韻に浸るギガントの雄叫びが空気を震わせている。

 土煙が僅かに晴れて、血に染まる地面が露わになった。


 見知った顔。首が消えた身体。壊れた人形を思わせる、彼女の死体。



(チクショウ。畜生畜生畜生畜生畜生!! なんでだ。どうして……。どうして!! 俺たちはこんなにも必死に生きているのに!! …………どうして、ただ生きることさえも出来ないんだ)



 この世界に多くは望まない。

 ただ誰かと一緒に生き残ることが出来ればそれで良かった。

 この両手で守れる人達と一緒に、この世界で生きることが出来ればそれだけで良かったんだ!!


 ――――なのに。



「ぢぐ、じょう……」



 血に濡れた言葉を吐いて、明は固く奥歯を噛みしめる。

 たったそれだけの願いさえも満足に叶えることが出来ないこの世界に、一条明は心の底から憎しみをぶつける。


「――――ごぼっ」


 小さな声が聞こえたのはそんな時だった。

 いやそれは声とも呼べない、ただ血塊を吐き出すだけの音にすぎなかった。

 けれどそれは、明にすれば有り得ないと思っていた奇跡で。

 顔を俯かせ、ゆっくりと訪れる死をただ待ち続けていた明は、ハッとして顔を上げた。



(……声。誰だッ! 誰か生きてる!!)



 耳を澄ませるが、その声はもう聞こえない。

 まさか、幻聴だったのだろうか。



「誰、か。誰か!! 生きてるの、か?」


 満足に息も吸えない中、明は必死に呼び掛けた。



「ごぼっ、ごほ、ごほッ!」



 その問いかけに応じるように、再び小さな声があがる。

 声は、傍にある藪の中から聞こえるようだった。


(間違いない。誰か、生きてる……。誰だ、奈緒さんか?)


 奈緒は、『不滅の聖火』という固有スキルを所持している。戦闘続行の意思が続く限り即死を免れるというそのスキルは、たとえ頭を潰されようがその場では死なず、彼女の命を不完全な形で繋ぎ止めてくれるものだ。

 今この瞬間、この場で生き残れる人が自分以外にいるとするなら、それは奈緒以外にありえないだろう。



「ッ、くっ!」



 明は、その声の元へと向かおうと四肢に力を入れる。

 ……右足。動かない。

 ……左足。やはりダメだ。

 ……右腕。いや、そもそもこれは、もはや腕と呼べるのだろうか。皮一枚でかろうじて繋がっているソレは、明が咳き込む度にぶらぶらと宙で揺れていた。


(左腕……かろうじて、動く)


 骨が折れているようだが、四肢の中では比較的まだまともだ。意識を集中させて力を入れると、ゆっくりと、僅かではあるが腕が動いた。



「っ、くッ……」



 擦り擦りと、明は左腕で地面を掴むようにして動き出す。

 今生の命を全て燃やし尽くす覚悟で、この災害とも呼べる悲劇を生き残った仲間のもとへと。そのボロボロの身体で地面を這って、明は向かう。

 そして明は、その藪の中に横たわる彼女を見つけた。


 ――花柳彩夏。


 その藪の中で血に塗れて倒れていたのは、明を除く四人の中でもひとり、迫る拳から逃れようと動き出していた彼女だった。

 とはいえ、ギガントの攻撃から逃れることは出来なかったのだろう。

 その半身は千切れて失い、本来あるべき両腕はもうそこには無かった。

 けれど、それでも確かに。血の海の中で横たわる彼女は、息をしていた。



「ッ、花柳!!」



 明は、傍に寄ると彼女へと声を掛けた。

 その言葉に、彩夏の瞼が微かに動き、薄っすらと開かれる。


「――――……オッサン。っ、ごぼ、ごぼ!」

「喋るなッ!! 『回復』だ、早く『回復』を使え!! 早く、自分の傷を治すんだ!! そうすればきっと、お前は」

「手がないのに、どうやって使えっていうのよ」

「……? それは、どういう――っ!」


 明は彩夏の言葉に怪訝な表情となって、それからすぐにその言葉の意味に気が付いた。


「……まさか、お前。いや、お前の固有スキルは、手が無いと使えないのか?」


 明はこれまでの彩夏の行動を思い出す。

 そうだ、言われてみれば確かにそうだ。

 彩夏が固有スキル由来のスキルを発動させる時はいつも、彼女は必ずと言っていいほどその手を翳していた。

 それが、スキル発動に必要な条件だとするならば。

 今、両手を失った彼女はもう、何もすることが出来ない。



「だったら、自動再生だ! 自動再生スキルは持ってないのか!? それさえあればまだ」

「前に、言ったでしょ。あたしは常に、ポイントがかつかつなんだよ」


 そう言うと、彩夏は口元に薄っすらとした笑みを浮かべた。


「あたしの、回復手段は固有スキルだけ。腕が無くなればもう、何もないっ、ごほ、ごぼッ!」


 ぼたぼたと、彼女の口から血があふれた。

 その口元の血を拭う手も彼女には存在していない。

 だから彼女は、口元を血で濡らしたままゆっくりと息を吐いて、呟いた。



「……ねえ、あたし、死ぬのかな」

「それ、は」

「ううん、いい。自分のことだもん、オッサンが言わなくても分かるよ。こうして、オッサンと話が出来るのも良くて数分。……いや、それほどもたないか、なッ、げぼっごぼッ!」

「いい。もういい! それ以上喋るな!」

「オッサン……。あたし、死にたくない。死にたくないよ」


 彩夏は、小さな声で言葉を漏らした。


「あたし、こんな見た目だけどさ。学校にだって真面目に行ってなかったけどさ、あたしにも一応、夢ってやつがあったんだよ? やりたいことも、いっぱいあったんだ。結婚ってやつも一度はしてみたかった。子供だって産んでみたかった。人並みに、誰かを好きになってみたかった」

「花柳! もう、いい。もういいから、頼む。喋らないでくれ」



 明は、その場に蹲るように彩夏に向けて言った。

 もう、これ以上彼女の声を聞きたくなかった。

 口を開けば開くほど、彼女に残された命がその口から零れているようで。

 必死に命を燃やし、声を紡ぐ彼女を見ていられなかった。



「なんで、あたし達がこんな目に合わなきゃいけないわけ? あたし、何か悪いことしたかな。確かに、褒められるような人生じゃなかったかもだけどさ。にしたって、こんな罰……。あんまりだよ」


 彩夏は、まるで子供のように。

 うわ言のように言葉を呟き、彼女は涙を流す。



「死にたくない……。死にたくないよ……」

「――――――――……っ!!」



 その言葉に。

 その涙に。

 明は、強く唇を噛みしめる。

 齢二十にも満たない少女が自らの運命を嘆いている。この惨劇が、自らに迫る死の運命が、これまでの人生における罰だと言葉を溢している。


 ――これは、なんだ。


 これはどんな世界だ。

 こんなのが現実であっていいはずがない。こんな世界は、絶対に間違っている。



(これが、これからの世界の常識になっていくのなら。こんな……。こんな世界は、いっそ滅びればいい。いや滅ぼすべきだ)



 強く、強く。

 明は心でそう思う。

 そして、残る左腕を持ち上げて彩夏の涙を拭うと、明は小さな声で語り掛けた。



「花柳。前にも、言っただろ。俺はもう、お前を見捨てない。今は無理でも、俺はお前を絶対に助ける」

「……ありがと。今は、それが嘘でも嬉しいよ」

「嘘じゃねぇ!! たとえ何十、何百繰り返そうが俺はこんな結末を認めねぇ! こんな、クソみたいな世界にもきっと、どこかにあるはずなんだ!! 俺たちがみんなで笑い合って過ごせるような世界が!! なんだったら誓ってもいい。俺は、お前を含めたみんなで、その世界を目指してやる!!」

「……なに、それ。誓うって、何に誓うのよ」

「俺の、魂にだ!!」



 ――チリン。

 瞬間、あの音が聞こえた。




 ――――――――――――――――――

 特定の条件を満たしました。

 シナリオが活性化されます。

 ――――――――――――――――――

 一条明のシナリオ:【魂の誓い】が発生しました。

 あなたは、この反転した世界へと心からの誓いを立てました。

 これからあなたは、この世界に現れた特定のボスモンスターをすべて討伐してください。

 ――――――――――――――――――

 なお、このシナリオの受諾は任意です。あなたにはこのシナリオを拒否する権利があります。


 一条明のシナリオ【魂の誓い】を開始しますか? Y/N

 ――――――――――――――――――




(――――ッ!? 俺の、シナリオだと?)


 目の前に開かれる青白い画面。

 その画面に、明は目を見開き、やがてゆっくりと拳を固める。

 このシナリオが、どんな条件で開始されたものなのかはすぐに察した。

 開始の是非を問われているということは、奈緒の時と同じ一筋縄ではいかないシナリオだからだろう。

 もしかすれば、このシナリオを受けることによって、今以上の苦境に立たされるかもしれない。



(――――それが、どうした)


 明は心で呟く。



(それが、どうした!!)


 再度、明は心の中で叫びをあげる。



(これが、俺の言葉が原因で開始されるものなんだったら!! 俺が、これを拒否できるはずがねぇだろ!!)



 このシナリオの拒否はすなわち、彼女に向けて吐き出した自分の言葉を否定することになる。

 そんなこと、出来るはずがない。

 そんなこと、許されるはずがない。

 ほんのひとつ、ボタンの掛け違いで死んでしまう世界だからこそ。

 幾度となくこの世界を繰り返してきたただ一人の人間として。

 一条明は、このシナリオを自分自身の手で拒否することが出来なかった。


(魔王だろうが何だろうが、かかってきやがれ!! 俺は、絶対に諦めねぇぞ!!)


 震える手で、明は画面の『Y』を力強く叩く。



 ――チリン。

 再び、あの音が響いた。




 ――――――――――――――――――

 一条明のシナリオ【魂の誓い】が開始されます。

 シナリオクリアの条件は、この世界に現れた特定のボスモンスターをすべて討伐することです。

 最初に討伐するべきボスモンスターが表示されます。

 ――――――――――――――――――


 ギガント討伐0/1


 ――――――――――――――――――




「上等だ」


 表示されたそのモンスターの名前に、明は言葉を吐き出す。

 それから、天を貫くかのようにそこに立つ、その巨大なモンスターへと明は鋭い視線を向けた。



「上等だよ。俺が必ず、テメェをぶち殺してやる」

「……オッサン?」


 明の顔つきが変わったことを、彩夏もすぐに察したのだろう。

 呼びかけられたその言葉へと顔を向けて、明は小さな笑みを浮かべるとそっと彩夏を撫でた。


「すまん、花柳。先にいく」


 その言葉に、返事はない。

 彩夏はただ小さく頷くと、安心するかのように深い息を吐き出して瞳を閉じた。



「……分かった。オッサンが助けてくれるのを、待ってる。……ずっと、ね」



 消え入りそうな小さな声だった。

 そしてそれが、彼女が口にした最期の言葉でもあった。



「…………ああ。待っててくれ」



 明は、彩夏に向けて呟く。

 それから、身体を引き摺るようにして彩夏の元を離れると、胸いっぱいに息を吸い込んで吼えるように叫んだ。



「――――おいッ!!」



 叫びは夜空に吸い込まれるように消えて、ギガントがゆっくりと瞳を向けた。

 明はその瞳を睨み付けながらさらに言葉を叩きつける。


「次だ。次も、同じだと思うなよ!」


 ギガントは、その言葉に反応を示さなかった。

 ただ、潰したはずの羽虫が生きていたことに腹を立てたかのように、大きな鼻息を噴き出すと今度こそ確かにその息の根を止めるため、狙いを定めて腕を振り上げた。


 一条明は、その光景をジッと見据え続ける。

 自らの魂に、この敗北を刻み込むように。

 この光景を二度と忘れないように。



「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」 



 赤い月が夜空に浮かんでいた。

 その月の光は、地上に這いつくばる明を真っ赤に染め上げていた。

 轟音が世界を揺らし、森に飲まれた街が激しく揺れる。

 飛び散る血の赤が、森の地面をどす黒く濡らしていく。




 ――こうして、一条明は三十二度目の人生に幕を下ろす。




 これは、どこまでも赤い夜の日の出来事。

 一条明が、己の魂に誓いを立てた三十二度目の人生の話だ。




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[良い点] 久しぶりにいいもん読んだなぁと感じられた。 熱い主人公いいね。 [気になる点] 他の方の指摘にもある通り、主人公以外のポイントのシビアさはかなり気になってはいた。が、まぁそもそも、ご都合主…
[一言] ここまで一気読みして思ったのは、Lv上がった時のうま味が少ない上に要求されるポイントがクエストでポイント貰える人向けに設定されてるからバランス悪いなぁと感じました 非難とかでは無くただの感…
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