諦めない理由
明達は森を駆けていく。
背後から迫るそのモンスターにその行く先を知られないよう出来る限り一直線ではなく、ジグザグに。
何度も曲がり、時には大きく回り込んで。
とにかく必死に、背後から迫るその脅威を引き離そうと明は躍起になる。
けれど、いくら森の中を走り回ろうがその殺意は剥がれない。
それどころか地響きと共に大きくなるその感覚は、少しずつ、少しずつ重く背中に圧し掛かり、追いつかれれば確実に殺されるというそのプレッシャーが、いつも以上に体力を奪い始めていた。
「はっ、はっ、はっ、はっ!」
吐き出す息は短く切れて、肺が空気を求めて顎が上がる。心臓はバクバクと激しく暴れて、耳元ではザアザアと血が全身を巡る音が聞こえた。
「っ、来ます!」
軽部の声が上がった。
その声に反応して、すかさず明は足を止めて振り返る。
「ぅうううあああああああッッ!!」
獰猛な獣のように唸りを上げると、明は地面を蹴って跳び上がった。
そして、短く息を吐き出し手にした斧を振るう。
刃は背後から迫るビルの残骸を真っ二つにすると、地上に残る奈緒達を避けるように地面に落ちた。
このやり取りも、もはや何度目だろうか。
初めのうちは奈緒も一緒に背後から投げつけられる瓦礫や樹木を、魔法によって砕き、堕としていたがそれもすぐに体力の限界がきた。
それは彩夏も同様で、回数制限のあるその聖楯は幾度となく投げつけられる物の前にすぐさま使用限界がやってきた。
結果的に、背後からくる脅威に対応できるのは明だけとなり、こうして危機を察した軽部の声に応えるように、移動と迎撃を繰り返している。
「ッ!」
地面に降り立った明は、休む間もなくすぐに足を動かす。
前へ、前へ。
出来る限り遠くへ。
一分でも、一秒でもあの化け物から離れるために。
必死に、足を動かして前に進む。
「一条!!」
奈緒が声を上げたのはそんな時だった。
「これ以上、闇雲に走ってても意味がない。アイツを巻くのはもう無理だ! 今はとにかく、隣街に行こう!! この森から抜けないと、ただ体力を消費するだけだ!!」
「ッ、分かり、ました!」
明は奈緒の言葉に返事をすると、すぐに頭の中に叩き込んでいた地図を思い返した。
――けれど、現在地が分からない。
必死になって逃げ回っている間に、明は自分の居場所を見失ってしまっていた。
「奈緒さん! 隣街がある方角って分かりますか!?」
「東だ! 真っすぐ、東に向かえ!!」
「東!? 東ってどっちですか!?」
「左だよ!」
「分かるんですか!?」
「正直、自信はないぞ!!」
「それでも、十分です!」
その声に従うように、明はすぐさま方向転換した。
「はっ、はっ、はっ、はっ!」
木々を切り裂き、藪を突き抜けて。
明達は一心不乱に隣街へと目掛けて必死に足を動かし続ける。
けれど、いくら進めど森を抜ける気配がない。
それどころかより一層強くなる背後からのプレッシャーに、明は焦りを覚えて声を上げた。
「奈緒さん、本当にこっちで合ってるんですか!?」
「多分ッ! あたりが急に森へと変わって、以前とは地形がまるで違うけど! 隣街があった方角までは変わらないだろ?! というか、そのあたりの感覚はお前の『第六感』で分からないのか!?」
「スキルレベルが低いからか、『第六感』による直観が働くのはまだムラがあるんですよ! 分かるんだったら、もうすでに言ってますって!!」
「だからって、もし私が間違ってたらどうするつもりだ!」
「その時は覚悟を決めるしかないですね」
「覚悟って――お前なぁ! そんな簡単に」
「七瀬さん! 一条さん!! 言い争いしている場合じゃないですよ! 来ます!!」
二人の声を遮るように軽部が叫んだ。
「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
空気を震わせる雄叫びがすぐ背後で聞こえた。
今まで聞いたどの雄叫びよりも近い。
ついで、バキバキと木々をなぎ倒すような音が響いて、立っていることさえも出来ないような凄まじい衝撃と揺れが明達を襲った。
「ッ!!」
その揺れに耐えるように、明達は必死の形相となってその場へとしゃがみ込んだ。
誰も言葉は発しなかった。いや、発せなかった。
下手に口を開けば舌を噛み千切るほどの衝撃だ。軽部の言葉にみんな、口を閉ざすことしか出来なかった。
そうして必死に、激しい揺れが収まるのを待ち続ける中。
ふいに全身の毛が一気に逆立つような、チリチリとした殺意を明は感じた。
「―――――――」
ゆっくりと、明は後ろを振り返る。
「――…………ぁ」
そして、明は見てしまう。
木々の隙間から、こちらを見下ろすその巨大な瞳を。
明確な殺意を持って、背後から迫る巨人がゆったりとした動作でその巨岩の如き拳を振り上げるのを。
(どうして)
と、巨大な拳がゆっくりと眼前へと迫るのを見つめながら、明は心の声を漏らす。
(どうして、こうなった)
何がいけなかったのか。
どうすれば良かったのか。
走馬灯のように脳裏に巡るこれまでの自分の行動を振り返り、一条明はそう心の中で言葉を溢す。
けれど、いくら考えたところで解決策が浮かばない。
この原因をあげるとすればきっと、世界反転率が4%になったことでこの街が森へと変わったことにあるのだろう。
あれさえなければ、もうとっくに隣街へと辿り着くことが出来ていた。
そうすればきっと、ギガントから追われるなんてことはなかったはずだ。
「――――疾走」
けれど、だからと言って諦めるわけにはいかない。
それが、すべてを諦める理由にはならない。
「剛力ッッ!!」
明は叫ぶ。
この結末を受け入れないために。
抗うことで掴めたであろう未来を溢さないために。
コンマ数秒でも速く動くことが出来れば、もしかすればこの状況をひっくり返すことが出来るのではないかと信じて。
ほんの少しでも速く、誰よりも速く動くために、明は今の自分に出せる全ての力を吐き出す。
柏葉が何かを叫んだ気がした。
奈緒が拳銃を構えて、そこに立つ巨人へとむけて魔法を発動させようと口を開こうとした。
全てを諦めた顔で、軽部は迫りくるその拳を見つめていた。
その中で彩夏だけがただ一人、目の前に迫るその運命に抗うかのように、その場から離れようと地面を蹴っていた。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
明は地面を蹴ってもう一度跳ぶ。
迫りくる巨大な拳に向けて。
空気を切り裂くように、その身体を一つの弾丸へと変えて。
手にした斧を全力で振り払う。
――――轟音。ついで衝撃。
明が振り払った斧は確かに、その巨人の拳を捉えた。
けれど、それでも。
その巨人の拳を止めることは叶わなかった。
「ガッ、ぁ」
宙に浮かぶ羽虫を叩き落とすように、地面へと叩きつけられた明の身体を激しい痛みが襲った。
拳を叩きつけられた彼女たちの身体が一瞬にして潰され、千切れて、飛び散るその姿が視界の端でスローモーションのようにゆっくりと流れた。
「―――――」
声は出なかった。
いや、出すことも叶わなかった。
なぜならばそれは、本当に刹那とも呼べる一瞬の出来事で。
血に塗れた彼女たちの姿はすぐに、破裂するように広がった土煙と石片の中へと隠れて消えた。