分岐点
明達はそれぞれの武器を手にして、警戒を密にしながらも森の中を進む。
先頭に立つのは明だ。
明は、その手にもつ斧を振るい目の前を塞ぐ枝葉を斬り落として道を切り拓くと、誰よりも先にその道に危険がないのかを確かめ、続く後続へと安全であること伝えていた。
「……景色が変わっても、モンスターはいないみたいですね」
森の中を進み始めて数分。周囲へと目を向けていた明がぽつりと言葉を溢した。
「ギガントの影響が、反転率が進んだ今でも残っていて良かった。これで、モンスターの相手もすることになったら大変だ」
「そうだな。市街地とは違って、森の中はさらに死角が多い。この森の中で生き残るには、並大抵のレベルじゃキツイはずだ」
そう言って明の言葉に答えたのは、その後ろに続く奈緒だった。
奈緒は、明の言葉に答えると険しい顔であたりの藪へと目を向けると小さく息を吐き出す。
「今の私でも、この森の中でモンスターに囲まれたら生き残れるのかどうか……。幸いだったのは、この地形の出現がモンスターの出現と同時ではなかったことか」
「七瀬さんでも、この状況は厳しいんですか?」
二人の会話を聞いていたのだろう。奈緒の後ろを歩く柏葉が首を傾げた。
その言葉に、奈緒は小さく笑って答える。
「レベルこそ今はそれなりに高いけど、私は本来後衛で、一条のサポートをするようなスキル構成だからな。これだけ死角が多いと、今の私の魔法を活かすことは難しい」
「まあでも、今の奈緒さんなら平気だと思いますけどね。柏葉さんが創ってくれた、『毛皮の外套』に『狼牙の短剣』があるし」
と、明が奈緒に向けて小さく笑いかけたその時だった。
――ズゥゥウウウウウウウウウウウンッ、と。
ふいに、ギガントの動きによって生み出された激しい揺れが明達を襲った。
「あっ」
同時に、奈緒の背後から小さな声が上がる。
振り返ると、奈緒の後ろにいた柏葉が地面へと手を付いているところだった。どうやら、今の揺れによって体勢を崩したところに地面からせり出していた木の根へと足を取られたらしい。
「大丈夫ですか?」
「は、はい。なんとか……」
言いながら、柏葉はゆっくりと立ち上がった。
けれど、その顔がすぐさま苦痛に歪む。立ち上がった彼女をよくよく見てみると、片足を庇っているようだ。
「もしかして足、挫きました?」
「すみません……。で、でも大丈夫です! 問題なく動けますよ」
柏葉は、そう言って明達を安心させるように動いて見せた。
しかし、口ではそう言うがその動きはぎこちない。
それを見た明が心配する言葉を口にしようとするよりも先に、彼女の元へと駆けつける人物がいた。
彩夏だ。
彩夏は、柏葉の元へと無言で近づくとその挫いた足へと手のひらを向けて呟いた。
「『回復』」
その言葉と同時に、彩夏の手から光が溢れ出す。光は柏葉の足を覆い、瞬く間にその傷を修復した。
「あ、ありがとうございます」
柏葉は、彩夏のその行動が予想だにしなかったのか驚き顔のまま、呟くように言った。
その言葉に、彩夏は照れたように視線を逸らすと小さな声で答える。
「別に。今のあたしに出来るの、これぐらいしかないから」
「ううん、十分助かりました。ありがとうございます」
柏葉は、彩夏の顔を見つめて微笑んだ。
その笑顔に、彩夏は戸惑うような表情を浮かべると会話の矛先を逸らすように口を開いた。
「それにしても、いつになったら森を抜けられるわけ? もう三十分近くは歩いているような気がするんだけど」
「地図上だと、隣街まで半分を過ぎたところですね。このまま順調に進めば、二十分もせずに森を抜けられるかと」
ポケットから取り出した地図を覗き込みながら軽部が言った。
その言葉に、彩夏が思いっきり顔を顰めてみせる。
「うげ、まだ半分? 予定ならもう、隣街についてた頃じゃない?」
「あたりを警戒しながらだからどうしても足が遅くなるし、この足場だからな。多少、予定より遅れるのは仕方ない」
明は足元にあった、地面からせり出した木の根を軽くつま先で小突くように蹴りつけながら言った。
その言葉に、彩夏は不貞腐れるように小さく唇を尖らせる。
「分かってる。ちょっと、言ってみただけだから」
「とは言っても、もう少し歩くスピードは上げた方が良さそうだぞ。さっきから、揺れが少しずつ大きくなってる」
奈緒が背後を気にするように目を向けた。
そこには先の見えない森の暗闇が広がっているだけだが、奈緒が何を気にしているのかは考えずともすぐに分かった。
「ええ、そうですね。少しだけ速度を上げましょう。……奈緒さん、トーチライトであたりを照らせますか? あの魔法を使えば手持ちのライトを使うよりも明るくなるし、警戒も多少は楽になるはずです」
「分かった。――――トーチライト」
奈緒は明の言葉に頷くと、魔法を発動させた。瞬間、どこからともなく出現した光球が奈緒の周囲をふわふわと漂い始めて、一気にあたりが明るくなる。
「七瀬さん、それは」
軽部が奈緒の周囲を漂う光球へと驚く目を向けて、呟いた。
見れば、軽部だけでなく柏葉や彩夏も驚いた表情となって奈緒を見つめている。
奈緒は、彼らの視線に軽く肩をすくめて見せると小さく笑って答えた。
「そういえば、一条以外の人達の前でこの魔法を使うのは初めてだったか。一条と行動するようになってから、レベルもポイントも増えたからな。そのポイントを使って、初級魔法のスキルレベルを上げてから獲得したものだよ」
「ってか、そんな魔法があるならなんで今まで使わなかったわけ?」
彩夏がじろりとした視線を奈緒に向けて言った。
その言葉に、奈緒は困ったような表情となって答える。
「別に、出し惜しみしてたわけじゃない。魔法を使うと疲れるからな。別の方法で補うことが出来るなら、それに越したことはないと思ってただけだ」
そう言うと、奈緒は光源にしていたスマホのライトを切った。
「一条、私の体感で申し訳ないがトーチライトを連続して使い続けるのは三十分が限界だ。それ以上は私もかなり疲れる」
「分かりました」
短く、明は頷いた。
明達は再び動き出す。
奈緒の魔法によってより視界が確保されたことで、森の中を進む明達の歩みは目に見えて速くなった。
けれどその速度も長くは続かない。
断続的に襲う激しい揺れが、明達の歩みをその度に引き留めるからだ。
そうして、何度目になるか分からない揺れに明達が身体を固くした頃。ぽつりと、彩夏が呟いた。
「ね、ねぇ。あの化け物、こっちに狙いつけてない? なんだか、さっきから揺れが大きくなってるような気がするんだけど」
「まさか」
彩夏の言葉に、明が小さく笑った。
「こんな森の中で、どうやって俺たちの姿が見つけられるって言うんだよ。アイツの姿は見ただろ? あの大きさなら、ここらの木々よりも大きい。木に紛れた俺たちを、どうやってあの高さから見つけられるんだよ」
「でも……」
「たまたま、アイツの進行ルートに俺たちの進行方向が被っただけだ。少し、大回りをしてアイツのルートから外れよう」
「あまり大回りをしている時間もありませんよ」
すると、明の言葉に反論するように軽部が声を上げた。
「ただでさえ道が無い森の中を進むのに苦労してるわけですし、私たちがこの森を抜ける時間を掛ければかけるほど、先に隣街へと向かった人達が危険に晒されます」
どうやら、軽部は先に向かった部下たちの安否が気になるようだ。
とはいえ、このままギガントの進行ルートに被ったまま足を進めることは出来ない。
それを軽部も理解しているのだろう。地図を広げるとその紙面を睨み付けて、ついと指を動かした。
「大回りではなく、一度横に逸れるのはどうでしょうか。北へと五キロほど移動して、そこで一旦立ち止まり背後から迫るギガントをやり過ごす。それから元のルートに戻れば、あまり時間を消費することなく進むことが出来ます」
「それって、北に移動したところから回り込んじゃダメなわけ?」
地図を覗き込んでいた彩夏が首を傾げた。
「北から回り込むとなると、別の街に足を踏み入れることになります。その街がどんな状況なのか分からない以上、なかなか難しいですね」
「軽部さんの言う通りだな。北から回り込むとなると、ハイオークがいる街に足を踏み入れることになる」
彩夏の言う北回りのルートはちょうど、ハイオークが占領した街とぶつかるルートだった。
その街へと足を踏み込むことでボスであるハイオークを挑発することになれば、結果的にボス二体から挟まれることになる。もちろん、すぐにハイオークと出会うわけではないだろうが、今は以前とは状況が随分と違うことを考えると、今はボス健在の他の街へと安易に足を踏み入れないほうが賢明だろう。
「それに、それだと大回りすることに変わりないですからね。出来れば、大回りすることなく進みたいです」
と、軽部は彩夏に向けてそう言った。
「でも、北から回り込んだほうが結果的に安全の可能性もありますよ。ギガントって、この街にボスが不在だったから攻めてきたんですよね? だったら、ハイオークの居る街に向かえば追ってこないのかも」
そっと柏葉が手を挙げて意見した。
その言葉に、奈緒が小さく息を吐いて明を見つめる。
「どうするんだ一条」
「そう、ですね……」
呟き、明は考える。
軽部の言うことも、柏葉の言うこともどちらも理解できる内容だった。
下手をすればボス二体の相手をするリスクを考えれば、北回りで進むのは難しい。けれど、逆を言えばボスにさえ出会わなければ背後から迫るギガントの脅威から逃れる可能性は十分にある。
「…………軽部さんの言う通り、横に逸れてやり過ごしましょう。ギガントが通り過ぎ次第、元のルートに戻って出来るだけ急いで森を抜けるような感じで」
結局、明は軽部の案を採用した。
明のことを信じているのだろう。その言葉に大きな反論はないまま、奈緒を含む全員が頷いた。