動き出した脅威
世界にモンスターが出現して六日目。
午前零時を迎えると同時に到達した世界反転率4%という数値によって、明達の現実はさらに異界へと近づき、変化した。
夜空に浮かんでいた三日月は反転率が4%に到達すると同時に滲むようにその姿を消して、その代わりとばかりに夜空に浮かんだ月は血のように赤く、丸かった。
かつて存在していた家屋やビルは樹木に飲み込まれて一体化し、アスファルト舗装の道路は覆い隠されるように腐葉土の地面へとその姿を変えている。
車も、自販機も、電柱も看板も標識も信号も何もかも。
人が創り出した文明とも言うべき人工物の数々は、唐突に出現した木々に飲まれ、覆い隠され、あっという間に消えていった。
そうして書き換えられた現実に誰もが言葉を失い、呆けていた中。
真っ先に我を取り戻して、現状を把握するために動き出したのは明だった。
「――――ッ、みんな、無事か!?」
夜空に浮かぶ赤い月から視線を剥がして、明はその場に居た全員へと呼びかける。
すると、その言葉に反応するようにそれぞれが小さな声を返してきた。
全員、その表情に戸惑いと不安を色濃く浮かべているが体調に変化はないようだ。
念のため、一人ひとりへと解析スキルを使用して、身体に変化が生じてないことを画面上で確認すると、ゆっくりと息を吐き出した。
「よかった……。ひとまず、怪我も何もないみたいで。変わったのは、辺りの景色ぐらいか?」
「みたい、だな。目の前にいきなり、世界反転率の知らせが出てきたかと思えば急に景色が変わって……。まるで、夢みたいだ」
と明の言葉に奈緒が呟く。
「これが夢だとしたら、とんでもない悪夢だよ」
彩夏が奈緒の言葉にため息を吐き出した。
「この変化も、世界反転率とやらの影響で間違いないんですよね? 一条さんは何か知ってますか?」
軽部は、周囲へと警戒の目を向けた後に明へとその視線を向けた。
明はその言葉に首を横に振ると口を開く。
「いえ、さすがにこれは俺も初めてです。反転率の画面では〝異なる世界の一部が出現する〟と出ていましたが、これは……」
言って、明は周囲へと目を向けてスッと目を細めた。
「まるで、俺たちの世界が別の世界から侵食されてるみたいですね」
「侵食……。ということは、そのうち私たちの世界は消えてしまうんでしょうか」
瞳を伏せながら柏葉が呟いた。
その言葉に、明は眉間に皺を寄せて答える。
「このまま世界反転率が進めば、ですが。反転率1%で出現したモンスターが一部の力を取り戻し、反転率4%で世界の一部が変化した。となれば、このまま反転率の数値が進めばモンスターの強化だけでなく、この世界全体に影響する何かしらの変化が起きるのは間違いないはずです」
「そうだな。確か、初日にネットが使えていた時の情報では、この世界にモンスターが出現した地域もまだ一部だけだったはずだ。あれから、その状況が変わっていないのだとしたら、このまま反転率が進めばその地域も確実にモンスターが出現していくのかもしれない」
奈緒はそう呟くと、周囲の景色へと戸惑いと警戒が混じった目を向けて、そっと太腿のホルダーから拳銃を抜いた。
「それにしても、森か……。一条、これは」
「……ええ。この街のダンジョン名が〝ライラ森林〟だからでしょうね」
それは、憶測にすぎない言葉だった。
けれど、どうしてか明にはその憶測が正しいのだという確信があった。
おそらく、以前取得した『第六感』によるスキルの効果なのだろう。
スキルレベルが低いからか発動しないことも多いこのスキルだが、発動した際には妙に〝正しい〟という感覚が芽生える。
今回も、それが正しいという裏付けはないが妙な確信があるのを感じるに、『第六感』スキルが発動したのだと明は考えた。
「解析によって分かるモンスターの固有情報で、俺は、俺たちの街がダンジョンという異世界の場所に変わったのではないかという仮説を考えていました。そして今回、〝異なる世界の出現〟とやらによってより一層、街の姿がダンジョン名に近い景色へと変化した。このことを考えるとやはり、俺たちの街そのものがダンジョンとやらに置き換わったと考えたほうが自然ですね」
と明は自分の考えをみんなに告げる。
するとそれを聞いた彩夏が反論するように声を出した。
「変わったのは街だけじゃないでしょ。空に浮かぶ月も変わってる」
「あー……、そうだな。確かにその通りだ。――となると、今度はこの月がこの街にいる間だけ見えるものなのか、他の街に行っても見えるものなのかってことが気になるわけだけど」
「どうして?」
「もしも、他の街でも同じように赤い月が見えるなら、この世界そのものが変わったってことだろ? でも、もしもこの街にいる間だけにしか見えないものだったら」
「――――この月も、ダンジョンの一部」
明の言葉を柏葉が引き継いだ。
明は、柏葉に向けて頷きを返すと再び言葉を続ける。
「そうです。もしも、この月がダンジョンの一部だとすれば、俺たちの街が本格的に異世界のダンジョンとやらに変わり始めてることになる。けれど、これがこの森の中だけでなく世界中で見えてるものなら、俺たちの世界そのものが変わり始めているってことになる」
「ん? それの、何が違うんだ? どちらにしろ、私たちの世界が変わることに代わりはないんだろ?」
明の言葉を聞いていた奈緒が、難しい顔となって言った。
その言葉に、明はゆっくりと首を振ると答えた。
「似ているようで、だいぶ違いますよ。例えば、この月の光を浴び続けることによって俺たちの身体に何らかの害が起きるのだとしら、この月がこの街――つまりは〝ライラ森林〟と呼ばれるこのダンジョン内での出来事なのだとすれば、他の街に行けばその害からは逃れることが出来ます。しかし逆に、今この瞬間、世界中でこの月が見えているのなら、どの街に行こうが月の光からは逃れられない」
「……なるほど。そういうことか」
奈緒は明の説明に納得したようだ。
一度、小さくため息を吐き出すとまた周囲へと目を向けた。
「となると、あの画面の意味を正しく知るためにもまずは、他の街に行ってみないとな」
「そうですね。先に行ってた人達のことも気になるし、俺たちも急いでこの森を抜けま――――」
と、明が方針を口にしたその瞬間だった。
「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
地面の底から伝わるかのような低く轟く雄叫びがこの森を――ライラ森林と名付けられたこの街全体を揺らした。
ついで、凄まじい衝撃と共に地面が大きく揺れる。
――ギガントだ。
あの化け物が、再び動き出したのだ。
それをすぐに察した明はすぐさま全員の顔を見渡し、声を発した。
「急ごう! あの巨人も動き出してる。俺たちも早く隣街に逃げないと!!」
「逃げるって――。オッサン、簡単に言うけど方角分かるの!? あたりが急に森に変わって、道も消えてる! 標識も目印もないこの森の中を、迷わずに抜けることなんて出来るわけ?!」
「それ、は……」
明は、彩夏の言葉に口を閉ざした。
彩夏の言う通りだ。街の中を道なりに進めば良かった時とは違って、今はもう道さえもない森の中だ。赤い月光が微かに差し込んだ見知らぬ森の中は、普段にも増して暗闇が濃く感じる。当てもなく動き出せば、すぐに現在地さえも分からなくなることだろう。
「確かに……。私も、この森の中を目印もなく進むのは自信がないです」
彩夏の言葉に、柏葉が同調するように不安の声を漏らした。
「今、下手に動くとこの森の中で迷子になるんじゃ」
「その心配なら、大丈夫そうですよ」
明達の会話に、ふいに軽部の声が割り込んだ。
軽部は、拠点を移す際にポケットの中へと忍ばせていたのだろう。ポケットの中から小さく折りたたまれた地図を取り出すと、その皺を伸ばして全員が見えるように広げた。
「今、私たちが居たのはこの辺り。反転率の影響で確かに道は消えましたが、街そのものが移動したわけじゃないはずです。それなら、ここから真っすぐにこちらへと進めば、森を抜けることが出来るはずです」
言いながら、軽部は手元のライトで地図を照らした。
軽部が取り出した地図は会議室のホワイトボードに貼りだされていたもののようだ。地図上に書き込まれた赤丸や線を見て、明はおおよその現在地とギガントの位置を再度、頭に叩き込んだ。
「……なるほど。確かにこれなら」
明は軽部の言葉に頷いた。
見れば、彩夏も柏葉も、地図が出てきたことで安心したようだ。
問題がないことを示すかのように小さく、彼女たちは頷いた。
「それじゃあ、移動しましょう」
再び告げたその言葉に、今度こそ反対の声は上がらなかった。