崩壊
「……今この場でアイツを倒すことが出来ない以上、俺たちが取れる現実的な方法は逃げることです。少しでも早く、少しでも遠く。この街を捨てて、どこか遠くに」
柏葉のシナリオがある以上、死に戻り先は固定化されている。
けれど、それはシナリオをクリアすれば解決する話だ。
何も、モンスターを討伐するのをこの街に拘ってする必要はない。
逃げた先でモンスターを倒し、そのシナリオをクリアした後に別のボスモンスターを倒しさえすれば、この状況から逃れることは出来る。
そうしてまた少しずつ、自分に出来る範囲で力を身に付けていけば済むことなのだ。
「まあ、それが現状で考えれば一番、現実的な話だろうな」
と奈緒が明の言葉に頷いた。
「『黄泉帰り』をそれだけ繰り返すのは、お前の負担が大きすぎる。あの力は痛みが伴う以上、そう何度も出来ないからな」
「そうですね。聞けば、一条さんの力は死に間際の、直前の痛みや苦しみを次に目覚めた時でも覚えてるみたいですし……。何より、それだと一条さんひとりに負担を掛けることになってしまう。もしもそれが影響で、一条さんの心が壊れてしまったら……。本当の意味で、我々はこの世界に殺されることでしょうし」
軽部の言葉に、岡田や中西も小さく同意を示すように頷いた。
そうして、ギガントから逃れるために街を捨てることが決定し、明は軽部と共に詳細を詰めて話し合っていく。
「移動先は、ひとまず隣街にしましょう。ウェアウルフが居たあの街なら、今はもうボスがいないから安全と言えば安全です」
そう言って、明は会議室のホワイトボードに張り出されていた周辺地図に、赤いペンを使って丸を描いた。
「さきほど、屋上で確認したギガントはこのあたり。正直、アイツから離れるならまだ距離があったほうが良いでしょうけど、下手に知らない街へと踏み込めば、そこを縄張りとするボスに殺される可能性が大きい。問題は、負傷者や自分で動くことが出来ない人達の移動に関してですが……」
「それに関しては、車を使いましょう」
明の言葉にそう答えたのは、軽部だ。
「音が出るものはモンスターに襲われやすいですし、襲われた際にあまり小回りが出来ないことを考えると避けたほうが良いでしょうが、負傷者を抱えて動くよりはまだマシです」
「今、この病院の負傷者の数は?」
「この数日で、亡くなられた方も多いですが……。それでも今はざっと、二百人ほど。そのうちの約六割が、自分で歩くことも困難な状況です」
と中西が明の言葉に答えた。
明はその言葉に「なるほど」と呟き声を漏らすと、すぐに思考を巡らせる。
「でしたら、用意する車もそれなりの数が必要ですね。そうなると問題は、その車をどうするのかですが……」
「だったら、車の確保は俺たちがやる」
明の呟きに、そばに居た他の人達と短くやり取りを交わしていた岡田の手が力強く挙がった。
漏れ聞こえてきた会話から察するに、どうやら岡田は、病院に逃げ込んだ街の住人達と共に、道端に乗り捨てられた鍵付きの車を集めてくるつもりのようだ。
「ですが、あなた達だけで車を集めればモンスターに殺されるんじゃ」
と、軽部は岡田に向けて心配そうに眉を寄せたが、その言葉に明は首を横に振った。
「ボス以外のモンスターに関しては、おそらく問題がないはずです。ボスの周りからは雑魚が消えますから。あれだけの大きさなら、少なくともここら一帯のモンスターはもうすでに、どこかへと逃げてるでしょうね」
人と同じく、モンスターにも生存本能がある。
かつて、ミノタウロスの周りからモンスターが消えたように。
もしくは、この街へと足を踏み入れていたウェアウルフから逃れるため大移動をしていたモンスターのように。
どのモンスターも、自分たちよりも格の違う強敵を前に息を潜め、尻尾を巻いて逃げ出している。
今回もおそらくそうだ。この街に蔓延っていたモンスターは、もうすでにどこかへと逃げている。
「なるほど。でしたら、彼らでも問題ないですね。とはいえ、無理はしないでくださいね」
軽部は、明の言葉にそう言って頷くと、岡田へとその役目を託した。
次に問題となったのは食料や水のことだ。
貯蓄していた食料の全てを持ち出そうにも手段がない。車を用意すれば問題ないのだろうが、ただでさえ負傷者の移動で準備する台数も多いのだ。それ以上の車を用意するとなると、あまりにも時間が足りなかった。
「……仕方ないですね。食料と水は、移動先で確保するようにしましょう」
苦々しい顔で、軽部はそう結論を下す。
その結論には誰も異論がないようで、軽部の言葉に皆が小さく頷いていた。
そうして、すべての話し合いを終えた明達は、慌ただしく準備のために動き出し始めた。
事態の深刻さを薄々察していた他の人々に説明を行い、そのパニックを鎮めて、これからのことを話して荷物を纏めてもらう。
そうしている間にも、岡田を中心とした人々は街に繰り出して、手あたり次第に動く車を集めては次々と病院前に乗りつけていた。
――午後十一時五十二分。
ギガントの襲来から約三時間後。
想定していた時間よりもはるかに時間を掛けて、明達は全ての準備を整え終えていた。
準備の間、幸運だったのは市街地に入ってからギガントの歩みが目に見えて遅くなったことだ。
ギガントの監視のために屋上に残っていた自衛官の話によれば、市街地へと足を踏み入れたギガントはときおり立ち止まり、ビルや家屋を持ち上げてはときおりその中に居た何かを摘み、口にしていたらしい。
それが、いったい何であるかは最後までその自衛官は口にしなかったが、その青くなった表情を見ればギガントが口にしていたものが何であるかなんて、すぐに察することが出来た。
「今のが、最後の負傷者だ!」
病院に残る最後の負傷者を乗せた車が出立をして、がらんとしたエントランスホールに奈緒の声が上がった。
その声を耳にした軽部はすぐに明へと振り返り、その険しい表情を崩さずに口を開く。
「私たちも、すぐに出ましょう。もう間もなく、ギガントがここに来るはずです」
「ええ、そうですね」
その言葉に、明はこくりと頷きを返した。
今や、この病院に残った者は明や奈緒の他に、柏葉や彩夏、軽部の五人しか残っていない。他の動ける人達はみな、負傷者を連れて先に隣街へと車を走らせている。
「俺たちも急ぎましょう。あと数分もすれば反転率が4%だ。これから先、何が起きるか分からない」
静かに言った明の言葉に、奈緒達が頷いた。
そうして、明達はすぐに荷物を纏めて病院を後にする。
ときおり感じる激しい揺れに倒れないよう身を屈めながら、出来るだけ早く。速く、背後に迫るあの怪物から逃れようと足を進める。
――――だが、そんな明を嘲笑うかのように。
その瞬間はついに、訪れた。
――チリン。
あたりに響く軽やかな音が聞こえた。
――――――――――――――――――
世界反転率が4%を超えました。
世界反転率が4%を超えたため、異なる世界の一部が出現します。
――――――――――――――――――
それは、この世界に生きる全ての人の目の前に、同時に現れた知らせだった。
「っ!?」
想像とは違うその文字に、明の思考が空白に染まる。
その言葉の意味を理解しようと、その画面に視線が釘付けとなる。
けれどそれも、長くは続かない。
「――――ッ、な、んだ……これ」
唐突に、周囲の景色がぐにゃりと歪んだ。
ビルが、家屋が。電柱や看板、標識、アスファルト舗装の道路、その他すべてが。
目の前に存在する全ての人工物が歪み、滲んで、また別の景色をその上から描くように、目の前の現実が瞬く間に塗り変えられていく。
「……なに、これ。なんなの、これ!!」
眼前の光景に、彩夏が叫びを上げたのが聞こえた。
だが、その言葉に誰も答えることが出来ない。
奈緒も柏葉も、軽部も、明でさえも。
目の前の光景に言葉を失い、ただ見つめることしか出来なかった。
「…………森だ」
やがて、ぽつりと。
目の前の歪んだ光景が次第に元に戻るにつれて、奈緒が呆然とした表情で言葉を溢した。
「森に、なった」
「ッ、なんで、そんなことに!」
「私が知るか! それよりも、これじゃあ今の位置が――――」
と、奈緒が彩夏へと向けて言葉を返したその瞬間だった。
「皆さん! 上!! 上を見てください!!」
切羽詰まった柏葉の声が、奈緒の言葉を遮った。
その言葉に、その場にいた全員がハッとして空を見上げた。
――――そして、明達は目にする。
鬱蒼とした木々の隙間から覗く、群青色の夜空に浮かぶありえないその存在を。
「……月が、赤い」
呆然と、明は呟いた。
本来ならばありえない、その月に向かって。
真っ赤な月光を降り注がせる、その赤い満月に向かって。
唐突に訪れたこの状況へと思考が追いつかず、ただただ茫然となって明はその赤い月を眺め続けた。
そして、数秒ほどかけて。
その赤い月を目にした明はようやく、あの画面の意味を理解した。
「そう、か」
――――今、この時。この瞬間。
この世界は、ココとは異なる世界にその身体を乗っ取られて。
本当の意味で、終わりを迎えたのだ、と。
いつも【この世界がいずれ滅ぶことを、俺だけが知っている】をお読みいただき、ありがとうございます。
これにて四章の前半が終わり、ひとまずの区切りです。リリスライラ、装備概念、反転率……と、多くのことが明らかになってきており、彼らの活躍にこれからもご期待いただければと思います。
さて、この度ですが【この世界がいずれ滅ぶことを、俺だけが知っている】が書籍化される運びとなりましたので、この場を借りて読者のみなさまにはご報告させていただきます。
イラストを担当いただける方についてなど、書籍化に関する詳細はまたお伝え出来る時期になりましたらお知らせいたしますので、続報をお待ちいただければと思います。
このご縁も、読者のみなさまによる応援の賜物です。
本当に、皆様には感謝してもしきれません。ありがとうございます。
後半戦はそうお待たせすることなく開始しますので、またよろしくお願いいたします。