軽部 VS 柏葉
――一時間後。
エントランスホールには、どこからこの話を聞きつけたのか多くの野次馬が集まっていた。
「お、思いのほか人が集まりましたね」
想像していた以上の騒ぎになったことに緊張しているのだろう。柏葉が固い表情となって言葉を溢した。
「娯楽の代わり……なんでしょうね。モンスターの出現、その後の強化で大勢の人が死んで、インフラも壊滅。電波はあれど何も流れない、となれば一日のうちに出来ることって決まってきますし」
娯楽があふれていた数日前とは違って、今の娯楽の中心はカードゲームやボードゲームが中心だ。
昼間であれば外に出てモンスターを相手にレベリングに挑むことも、食料を調達するために街中を探索することも出来るのだろうが、夜間は奇襲を受ける危険が高いことから誰も外へと出たがらない。
結果として夜になればそれらの娯楽に興じる人も多くなり、明もこれまでの繰り返しの中でちらほらとその姿を見かけていた。
とはいえ、それも続けていれば多少の飽きがくる。
そうした人達にとって、今回のこのイベントは恰好の的だったのだろう。
「と言っても、それにしては随分と集まった気もしますが……」
「みんな、一条さん達のことが気になるんですよ」
そう言って、明達の会話に割り込んできたのは軽部だった。
軽部は、明達の顔を一通り見渡すとその顔に笑みを浮かべて、言葉を続ける。
「昼間の一条さんの話は、もう全員に伝わってますからね。その上で、その話の真偽を図りかねている人達もいる。これまで、まったく戦えなかった柏葉さんが戦えるようになっていれば、昼間の一条さんの話が本当だったと考えている人も多いようです」
そう言われてみれば確かに、野次馬の中には昼間の会議に参加していた中西や岡田がいた。二人は、明と目が合ったことに気が付くと小さな会釈を返してくる。
なるほど、と明はその言葉に頷いた。
元は柏葉に経験を積ませることが目的で、もしかすればみんなのいい刺激になるかもしれないと思って始めたことだが、思いのほか事が上手く進みそうだ。
(これを機に全体の底上げが出来れば、モンスターの襲撃を受ける度に死人が続出することは無くなりそうだな)
前例がないものは二の足を踏みがちだが、前例さえあれば気持ちも前向きになる。
そんなことを考えていると、明は軽部が何かを探すように周囲へと目を向けているのに気が付いた。
「どうされました?」
「ああ、いえ……。七瀬さんや花柳さんの姿が見えないな、と思いまして」
「ああ、奈緒さんなら花柳を呼びに行ってますよ。……ちょうど、戻って来たみたいです」
そう言った明の視線の先には、野次馬を掻き分けながらこちらへと進んでくる奈緒と彩夏の姿があった。
奈緒は、明達の前まで来るとようやくその足を止めて、大きなため息を吐き出す。
「待たせた」
「遅かったですね。どうされたんですか?」
「花柳がなかなか見つからなくて、探し回ってたんだ。おかげで、院内を二周は走った」
そう言うと、奈緒は軽く上がった息を整えるようにまた大きく息を吐き出した。
明はそんな奈緒から視線を外すと、彩夏へとその目を向けた。
「お前……。一時間後にエントランスホールだって前もって伝えてただろ? どこに居たんだ?」
「どこって、屋上だよ」
彩夏は明の言葉に悪びれる様子もなく、ポケットから棒付キャンディーを取り出すとその包装を破きながら言った。
「屋上? なんだってそんなところに」
「火を使えば灯りが漏れるだろうし、高いところから見ればそれが見えないかなって思って。リリスライラのビルに行った時、アイツらが場所を変えようとしてたでしょ? 布教活動なんてしてるんだから、アイツらが行くのは人がいるところで間違いないし、この街に人がいる場所ってどのくらいあるんだろうって思ったんだよ」
「……なるほどな。それで? 見つけたのか?」
「何もなし。やっぱみんな、モンスターを警戒してるのか灯りを隠すのが上手いね。全然分からなかった」
そう言って、彩夏は口にキャンディーを運ぶと小さく肩をすくめて見せた。
「それで、さっそく始めるの?」
「そうだな。柏葉さんと軽部さんさえ良ければ、今すぐにでも」
「私は構いませんよ」
「あ、えっと……。大丈夫、です」
二人はそれぞれ明の言葉に小さく頷いた。
「では、よろしくお願いしますね」
そう言って、軽部さんはぶら下げたホルスターからナイフを抜くと距離を取るようにして歩き出す。
それを見て回りの野次馬も模擬戦が始まることを察したのだろう。二人の邪魔にならないようにと、取り囲むその輪をまた大きく広げた。
柏葉も、軽部のあとを追いかけて歩き出すがその足取りは固く、覚束ない。表情も固いままで周りが見えていないのかその視線は一点を見つめていた。
「大丈夫なの? あれ」
その様子を見ていた彩夏が、ポツリと言葉を溢した。
「戦えるようにはまるで見えないんだけど」
「確かに、柏葉さんは性格的にも積極的に前に出るような人じゃないからな。……でもまあ、大丈夫だと思うぞ」
「へぇ……? なあ、オッサン。アンタはどっちが勝つと思ってんの?」
「そうだな」
呟き、明は解析を発動させてそれぞれを見つめる。
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柏葉 薫 24歳 女 Lv21
体力:21
筋力:30
耐久:30
速度:36
幸運:21
ポイント:0
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個体情報
・現界の人族。
・体内魔素率:0%
・体内における魔素結晶なし。
・体外における魔素結晶なし。
・身体状況:正常
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所持スキル
・身体強化Lv1
・解体Lv1
・武器製作Lv1
・防具製作Lv1
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軽部 稔 37歳 男 Lv20
体力:28
筋力:39
耐久:35
速度:35
魔力:5
幸運:21
ポイント:0
――――――――――――――――――
個体情報
・現界の人族。
・体内魔素率:0%
・体内における魔素結晶なし。
・体外における魔素結晶なし。
・身体状況:正常
――――――――――――――――――
所持スキル
・身体強化Lv1
・危機察知Lv1
・魔力回路Lv1
――――――――――――――――――
二人のステータスを見比べると柏葉の方がレベルは高いが、全体的なステータスで言えば軽部が上だ。おそらくだが、軽部はポイントのいくつかを自分のステータス値へと割り振っているのだろう。唯一、柏葉が上回っているステータスは速度のみだが、これも数値的には大差ない。ステータスだけを見れば、明らかに柏葉が不利な戦いに見えた。
「ステータス上は明らかに軽部さんなんだけど」
言って、明は二人へと目を向ける。
向かい合った二人は、それぞれの武器を手に構えるところだった。
切先を相手に向けて軽く前傾姿勢のように腰を落とした軽部に対して、柏葉は狼牙の短剣を正眼に構えて腰を落とすという構えを取っている。
その二人の間には軽部が声を掛けたのだろう、審判代わりの自衛官が二人の顔を見渡しながら模擬戦開始の合図を送ろうとしていた。
「ステータスだけが、この世界の強さじゃない。まず間違いなく、柏葉さんが勝つよ」
「……? それって、どういう―――」
そう、彩夏が首を捻って言葉を口にしたその瞬間。
審判である自衛官が、模擬戦開始の合図を出した。
直後、最初に動き出したのは軽部だった。
軽部は地面を蹴り前へと飛び出すと、真っ直ぐに柏葉へと向けてナイフを突き出した。
狙いは、柏葉の肩。
最後まで武器ありの模擬戦に悩んでいた軽部だ。柏葉が武器を握ることが出来なくなれば、それを言い訳に模擬戦を終了しようという魂胆だったのだろう。
「なっ!?」
けれど、その狙いは見事に外れた。
軽部が柏葉へと向けてナイフを突き出したその瞬間、弾かれたように動いた柏葉がその切先を躱したのだ。
「ふっ」
小さな吐息が柏葉の口から漏れた。
躱した体勢のまま、柏葉がカウンターを放つように手にした短剣を突き出す。
「ッ!!」
その刃を軽部がナイフを掲げて反射的に受け止めた。
それは、半ば本能に近い行動だったのだろう。あるいは、これまで繰り返し行った訓練の賜物だったのかもしれない。
胸元へと迫る短剣の切っ先を受け止めたナイフから甲高い音が鳴って、一瞬だけ散った火花が辺りを照らした。
――ボキリ、と。
軽部のナイフが半ばから折れた。
柏葉の筋力が高いのではない。柏葉の持つ短剣、狼牙の短剣に与えられた攻撃力と耐久が、現実にある既存の武器よりも高すぎるからだ。
宙に舞うナイフの破片に気を取られたのか、軽部の動きが一瞬だけ止まる。
「――――っ」
その隙を、柏葉は見逃さない。
軽くステップを踏んで体勢を整えると、彼女はすぐに次の行動へと移った。
「やぁあああッ!」
短い掛け声と共に、柏葉がくるりと回って蹴りを放つ。
奇しくもそれは、この世界に立つ誰よりもモンスターと戦ってきた明の動きと瓜二つで、まるでその動きをなぞるかのように放たれた蹴りは、軽部の腹部を確かに捉えた。
「ぐっ」
衝撃で軽部の息がつまり、身体が僅かに折れ曲がる。
その首元へと短剣の刃が突き出されたのは、直後のことだ。
「はぁはぁはぁはぁ、っ……、私の、かち……です」
軽く息を乱した柏葉が、静かに告げた。