柏葉の成長
武器と防具が出来たことによって、柏葉の戦い方にも変化が生じていた。
柏葉は今、本格的な戦闘に慣れることを目標にゴブリンを相手にしている。
元々、ゴブリン一匹であればどうにか戦えていた柏葉だ。
戦闘時の状況判断と、武器や身体の扱い方。そして、戦闘に対する恐怖さえ克服することが出来れば、人並みにモンスターと戦うことは出来るはずだった。
「ぎぃ!」
ゴブリンが叫びをあげて、その手に持つ包丁を振るうがその軌道を柏葉はしかと見極めて、ステップを踏むように躱した。
その足取りは軽く、素早い。
以前よりもレベルが上がったことも関係しているのだろうが、それとは別に、モンスターにも通用する武器と防具を身に付けたことも関係しているのだろう。
以前であればモンスターに近づくことも躊躇いがちで、懐に飛び込むことも出来なかった彼女だったが、『毛皮の外套』という防具を得たことによる安心からか自ら積極的に動くことが出来るようになっていた。
「はぁ!」
短い掛け声と共に地面を蹴って飛び出し、手近なゴブリンへと肉薄すると、彼女はその手にもつ短剣を振るった。
「ぎっ」
うめき声をあげてゴブリンの動きが止まる。
斬りつけられた胸元から瞬く間にボタボタとどす黒い血が零れて、地面を赤黒く濡らしたのが見えた。
「やった!!」
自分の中で思い描いていた行動が出来たからだろう。
柏葉の顔に笑みが浮かんだ。
「まだだ、油断するな!!」
しかし、すぐに叱咤の声が飛ぶ。
彼女の戦闘を傍で見守っていた明だ。
「首を落としてもすぐには死なずに、最後まで攻撃してこようとするモンスターもいるんだぞ! トドメを刺し終えるまで、戦闘中は気を抜くな!!」
「っ、はいッ!」
その声に柏葉がビクリと身体を震わせて、腰を落としたその時だ。
「ぎぃ!」
胸元を斬りつけられたゴブリンが叫びを上げて、その手に持つ包丁を振りかざし柏葉へと飛び掛かった。
「くっ!」
すぐに、柏葉はその刃を迎え撃つ。
彼女は身に纏う『毛皮の外套』をひらめかせて、さながら盾のようにその刃を受け止めた。耐久力が30もあることもさながら、『毛皮の外套』についた効果は斬撃軽減だ。
ゴブリンの筋力と、包丁にある僅かな攻撃力を合わせても『毛皮の外套』には傷一つ付けることなど出来ない。
結果として、刃は外套の表面すら傷つけることが出来ず、その勢いを完全に殺された。
「げげ!?」
まさか、そのような方法で防がれるとは思ってもいなかったのだろう。瞳を大きく見開き、ゴブリンが驚きの声を上げた。
「隙、あり!」
柏葉が叫び、ぐるりと腰を捻って蹴りを放つ。
「ぐぇ」
蹴りはゴブリンの首元を捉えて、潰れた蛙のような悲鳴をゴブリンがあげた。
元の筋力がないから、その蹴りでゴブリンが吹き飛ばされるようなことはない。
けれど、的確に急所を突いたその攻撃によってゴブリンの呼吸が瞬間的に止まり、決定的な隙を生み出した。
「柏葉さん!」
再び、明が声をあげた。
その声に反応するように、柏葉はこくりと小さく頷くとその手に持つ短剣を力強く握りしめて、前へと飛び出す。
「やあああああ!!」
気合の声と共に、柏葉はその手に持つ短剣を振るった。
銀閃を残し煌いた刃は、ゴブリンの首を深く斬りつける。
「げ……ぎぃ」
ビクリと、ゴブリンが揺れた。
直後、勢いよく噴き出すその血と共にゴブリンの身体は大きく傾いで地面へと倒れた。それが、致命傷であることは誰の目から見ても確かだった。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…………」
肩で息を繰り返し、柏葉は返り血の跳んだその頬を拭った。
それから視線を再び鋭くさせると口を固く結んで、その手に持つ短剣をゴブリン胸元へと狙いを定めると、一息でその心臓を潰すように突き刺した。
もう一度、ビクリとゴブリンの身体が揺れた。
しばらく様子を伺ってみるが、ゴブリンが起き上がる様子はない。無事に、トドメを刺せたようだ。
「ふぅ……」
ゆっくりと、安堵の息を柏葉が吐き出す。
戦闘を終えて気が抜けたのか、その身体から力が抜けているのが傍目からでもすぐに分かった。
「……柏葉さん。気を抜くのは――――」
と、明が口を開いたその時だ。
「げげッ」
「ぎひっ」
「げげぎゃ!」
耳障りな声と共に、路地の先から次々とゴブリンが姿を現した。
その数、全部で五匹。
おそらく、戦闘による騒ぎを聞きつけてきたのだろう。
ゴブリン達はその手に持つ武器を見せつけるように振り回すと、ニタリとした笑みを浮かべた――――その、瞬間だった。
「ショックアロー」
小さく呟かれたその言葉を皮切りに、どこからともなく飛来した光の矢がゴブリンの顔に突き刺さり、破裂した。
その衝撃は対象のゴブリンだけでなく傍に居た他のゴブリンごと巻き込み、一気に半分以下にまでその数を減らした。
「げ、げ?」
おそらく、何が起きたのか分からなかったのだろう。
呆然と、一瞬にして死体へと変わった仲間のゴブリンを見つめて、生き残ったゴブリンが声を漏らしたのが聞こえた。
「ショックアロー」
再び、言葉が聞こえた。
そしてその言葉は、初撃を生き延びたゴブリンに対する死の宣告も同様だった。
「戦闘後も油断しない」
と柏葉に向けてそう言ったのは、明と同じように柏葉の戦闘を見守っていた奈緒だった。
「モンスターは基本的に群れで行動すると思え。単独だと思っていたが、実は傍にもう何匹かいた、なんて話はよくある話だ」
そう言って、奈緒は警戒するように視線を周囲へと向けると他にモンスターが現れないことを確認して、その手に持っていた拳銃を下ろした。
「そうみたいですね。すみません……」
まさか、すぐに別のゴブリンが現れるとは思ってもいなかったのだろう。
柏葉は自身の行動を反省するように、その視線を落とした。
それを見て、奈緒はその表情を軟らかくするとすぐに声を掛ける。
「……とはいえ、今の戦いはこれまで見た中でも一番様になっていたし、なかなか良かったんじゃないか? 最後、もう少しだけ周囲への警戒が出来ていれば完璧だったと思う」
「そうですね。結構よかったと思います」
明は奈緒の言葉に同意するように頷いた。
「短剣の取り扱いにも結構慣れてきていますし、動きも問題ないですね。この調子なら、すぐに軽部さん達を追い抜けると思いますよ」
「え、ええっ、私がですか!?」
柏葉は、明の言葉に驚くと否定するように慌てて両手を振った。
「そんな、無理ですよ! 軽部さん達はずっとモンスターと戦ってきてますし……。そんな、今日一日モンスターと戦ってきただけの私が敵うはずがありません!!」
「確かに、戦闘の経験ではまだ軽部さん達が上です。でも、それはこの世界で数日、軽部さん達が戦ってきたからだ。柏葉さんは今、軽部さん達と同じようにモンスターと戦って経験を積んでいます。ステータスだってほとんど差がないし、本当に後は経験だけですよ」
「そうだな。私も一条の言うように、このままモンスターと戦い続けていれば柏葉さんは軽部さん達を越すことが出来ると思う。私に比べて、柏葉さんは運動神経も反射神経も良いし、案外、今すぐ軽部さんと模擬戦してみても、良い線いくんじゃないか?」
「そうですね……。武器や防具では補えない、速度がまだ低いのでなんとも言えませんが……、どうにかなるかもしれませんね」
「あの、お二人とも……? まさか本当に、軽部さんと戦えなんて言うつもりじゃ……」
会話の流れに、何かを感じ取ったのだろう。柏葉はおずおずとそう言った。
そんな柏葉には目もくれず、明は考え込むように口元に手を当てると、ゆっくりと考えを纏めるように口に出す。
「……うん、そうですね。試しに一度、戦ってみましょうか。柏葉さんが今日一日で、これだけ成長していれば軽部さんも焦るかもしれません。そうなれば、あの病院に居た人達全員の刺激にはなるかもしれませんね」
「やっぱり! 無理ですよ、無理無理。絶対に無理です!」
激しく首を横に振りながら、柏葉は言った。
そんな彼女を宥めるように、明は口元に小さな笑みを浮かべる。
「まぁまぁ、これも経験だと思って。別に軽部さんをコテンパンにしろ、なんていうつもりはありません。今日一日、学んだことを活かすつもりで気楽に模擬戦してみませんか? っていう提案ですよ。物は試し、ってやつです」
「うー……。手も足も出なくても、何も言いませんか?」
「言いませんよ」
「…………だったら、やってみます」
ぽつりと、柏葉は呟いた。
「でも、本当に! 期待しないでくださいね!?」
「分かりました。それじゃあ、もう少しだけモンスターを相手にしながら動きを確認して、戻りましょう」
明の言ったその言葉に、柏葉は不承不承ながらに頷きを返した。
そうして、この日の夜。
柏葉と軽部による模擬戦闘が行われることが決定した。