幻覚
「こんなもんかな」
明は、出来上がったメモ帳を見て頷いた。
紙に書きだしたおかげで、ごちゃごちゃしていた情報がある程度、纏まった気がする。
明は、そのメモ帳の中身を見つめながらこれから行うべきことを考える。
まずは、この現状の共有。
書き出してみて改めて思ったのは、この繰り返しの中で得た情報が思いのほか多かったということ。これらの情報を一人で把握しておくよりかは、全員と共有した方が何かと都合が良いだろう。そのためには一度、集まって話す必要がある。
(こんな時、ネットが生きてればもっと多くの人と情報の共有が出来たんだろうけど)
と、明は思わずそんなことを考えたが、もはやそう考えたところで仕方がない。
ため息を吐き出し、頭に浮かんだその考えを切り上げてさらに思考を巡らせる。
(情報の共有した後は……。『シナリオ』の発生条件を探る、か?)
『シナリオ』が発生すれば、それだけ状況は有利になる。
今のところ、シナリオが発生したのは奈緒だけだ。その際に、奈緒は〝一条明に協力したいという思い〟がシナリオ発生の条件ではないかと言っていた。
あの時はただの仮説にすぎないとしていた話だったが、今となってはそれを取っ掛かりに探っていくしか方法はないだろう。現状を共有すれば、そうした思いを抱いてくれる人が奈緒の他にもいるかもしれない。
(シナリオを発生させて、そのクリア条件を満たしつつ、俺自身のレベルを上げながらボスの情報を集めて……。リリスライラのヤツらにこっちの人員を殺されないよう、戦える人達のレベルもあげて……。あー、やることが多いな。時間足りるか? 反転率が4%になる、六日目までならまだ何も起きないとは思うけど……。たしか、奈緒さんに『シナリオ』が発生した時は、その『シナリオ』は次の死に戻り先でも継続して発生したままだったよな? 『黄泉帰り』はボスを討伐しなきゃセーブ地点が変わらないっぽいってことを考えると――――)
「この人生で、誰かしらの『シナリオ』を発生させて、俺のレベル上げながらボスの情報を探る。出来れば、反転率4%でモンスターが強化されるのかどうかを知って、俺の『クエスト』を発生させる準備をして、それで……」
また、死に戻った先であの男を殺す? ボスを倒さない限り延々と繰り返す、この時間の中で何度も?
「……………」
そう考えた時、明の手には僅かな力が籠った。
あの時から消えない罪悪感が、明の心を締め付けてくる。モンスターではなく、一人の人間に手を下したのだという暗い感情が、明の心にささくれ立つ。
あの男を手に掛けたことは、後悔はしていない。
そうしなければ、奈緒は確実にまた死んでいた。
奈緒が殺されない未来を掴むには、あの男とはどうしても対立しなければならなかった。
あの男を手に掛けなければ、この未来は決して訪れなかった。
だから、同じ選択肢を眼前に突き付けられれば、明は迷わず今の未来を選び取る自信があった。
――――けれど、だからと言って。そう何度も、人を殺しても良いのか?
罪悪感がある内はまだいい。相手は極悪人だ、仕方がないと割り切れる内はまだ大丈夫だ。
しかし、いつかはきっと。繰り返し人を殺していれば、その感情も消える。
いずれは何も考えることなく損得勘定だけで、当たり前のように手が動き、人を殺すようになる。
……この繰り返しの中で、モンスターを殺すことに慣れてしまった今の自分のように。
この世界にモンスターが現れる前には当たり前のように存在していた常識や倫理観は、いずれ消える。
そうして出来上がるのは、アーサー・ノア・ハイドという男と同じ、自分だけの目的を持った殺人鬼だ。
「……………」
ぐっ、と。
明は拳を握り、開いた。
開いた手が、誰かの血に濡れて真っ赤に汚れているように見えた。
分かっている。幻覚だ。
けれどその幻覚もいずれ、この場所からの死に戻りを繰り返していれば、本当のようになるような気がした。
「ふー……。あまり、今は死に戻るのは気が進まない、な」
出来ればさっさとセーブ地点をかえてしまいたい。
そんな思いを、この繰り返しの中で初めて、明は心の底から抱いたのだった。
◇ ◇ ◇
ひとまず今の情報を共有して、シナリオが発生するかどうかを試してみよう。
そう決めた明は、奈緒の元へ赴いていた。
奈緒は部屋の中に居た。
扉の外からノックと共に名前を呼ぶとすぐに声が返ってくるが、なぜかその姿を現さない。女性の部屋だしこちらから扉を開けるのは失礼かと思い、しばらく扉の外で待っているとやがてゆっくりと、その扉が開かれた。
「なんだ、一条か」
明の顔を見た奈緒はどこかほっとしたような表情を浮かべて、開口一番にそう言った。
「なんだ、とは随分な挨拶ですね。何かありました?」
「いや、何もないよ。……ただ昨晩、お前からこれまでのことを聞いた時に、私は一度、ここで殺されたらしいからな。大丈夫だと分かってはいても、警戒はするだろ?」
そう言って笑みを浮かべた奈緒の手には、モンスターもいないのに拳銃が握り締められている。
明は、そんな奈緒の様子に納得をして声を漏らすと、安心させるように笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ。アイツはもう、ココには居ません。もう、奈緒さんが狙われることもないです」
「ああ、そうだな。分かってる。でも……」
奈緒はそこで一度言葉を区切ると、不安そうにその瞳を揺らした。
「しばらくは、警戒はする。私が知らないだけで、またその道を辿っているんじゃないかと不安になる」
「奈緒さん……」
「まあ、お前がここに居るってことは、大丈夫なんだろうけどな」
奈緒はそう言って気丈な笑みを浮かべると、漏らした不安を誤魔化すように明の肩をポンと叩いた。
「それで? 何か用事があったんじゃないのか?」
「あ、ああ……。実は――――」
明は、奈緒が漏らした言葉のことを考えながらも、まずは部屋を訪れた用件を終わらせようと、情報を共有するために一度集まらないかと提案をする。
その内容を聞いて、奈緒は二つ返事で了承した。
聞けば、どうやら奈緒も一度、明の話を聞きながら状況の整理をしたかったらしい。
「私たちだけで情報の共有をするのか?」
「いえ、出来れば自衛隊の人達とか、この病院に居る人達も一緒に情報を共有しておこうかと。あとは、花柳もですね。もしかしたら、俺たちが知らないことを知ってるかもしれないですし」
「分かった。どこで集まるんだ?」
「確か、会議室があったのでそこを使わせてもらいましょう。さすがに全員は入れないでしょうし、代表者だけを集めるような感じで」
「分かった。それじゃあ私は、花柳と自衛隊の人達に声を掛けてくる。この病院に居る人たちのことは、一条に任せた」
「分かりました。では、一時間後に集まりましょう」
そうして、明は奈緒との短いやり取りを終えると、その場で別れた。