潜入
雑居ビルの中は静かだった。どこかの会社が、このフロアを借りていたのだろう。短い廊下を歩けば、並べられた机と書類の詰まった本棚のある部屋に辿り着く。
明達はその部屋の中を軽く漁って、リリスライラの手がかりを探す。
しかし、出てくるのは元の会社のものだと思われる仕事上の書類や物ばかり。手がかりはおろか、食料さえも出てこない。
「何もねぇな」
彩夏が、ペラペラと本棚の中に詰まった書類を捲りながら言った。
「こっちも同じく。何もない」
明は、机の中身を片っ端から漁りながら応えた。
「別の階に行くか。廊下の先に扉があったし、そこがビルのフロアを行き来する内階段に続いてるはずだ。このビルの見た目からしてもう一つ上の階があるのは間違いないだろうし、まずは上に行ってみよう」
「なんで上? 下の方が、フロアが多いじゃん」
「トイレの中があの惨状で、排水が出来ずに臭いがこのフロア全体にも広がってるだろ? 加えて、トイレの窓も換気のために開けられてた。ということは、この階のトイレは日常的に使っているってことで間違いない。……でも、この階の部屋には何もなかった。わざわざ生活区域から離れたところにトイレは置かないはずだし、そう考えるとアイツらが居るかもしれない場所は五階か三階に絞られる」
「……なるほど?」
彩夏は、明の言葉に頷く。
「それだったら、三階に行っても良いんじゃないの?」
「まあな。でも、階が低くなればなるほど、モンスターが窓を破って入ってくる可能性が高くなるだろ? 三階よりも五階のほうがモンスターが窓から入ってくるリスクは少ないし、防衛上でも楽なはずだ」
「なーるほど」
彩夏は、明の言葉に納得するように手を叩いた。
「アンタ、意外と考えるタイプ?」
「少なくとも、敵地に真正面から突入しようと考えるようなタイプじゃないな」
「……おい。どういう意味だソレ」
明の軽口に、彩夏がムッとした顔をする。
その顔に、明は小さく笑って見せると「冗談だよ」と言った。
明と彩夏は、廊下を抜けて扉を押し開いた。錆の浮いた扉は、開けた時に微かな悲鳴のような音を鳴らしたが、その音に反応して特に人が集まる様子もなかった。
慎重に、二人はビルの内階段を上る。
階段の先にはまた、錆びの浮いた鉄製の扉があって、明達はその扉の前にしゃがみ込んで息を殺した。
扉の奥から、聞き覚えのある声が聞こえた。
その声は、つい先ほどまで耳にしていたものだ。
「ビンゴ」
明はニヤリと笑って小さく呟いた。
それから、もう少しよく声が聞こえる場所へ近づこうと、扉を開くためにドアノブに手を掛けたところで、彩夏が明の腕を掴み止めた。
「待った。さっきも扉を開けたら音が鳴ってたし、この扉も音が鳴るかも。このままじゃ、さすがに気付かれるでしょ」
「……確かにそうだな。それじゃあ、ここで様子を探るしかないか」
「そうでもないよ。――――『沈黙』」
彩夏は、そう言って明へとニヤリと笑って見せると、扉に手を翳してそのスキルの名前を呟く。
「はい、これでもう平気なはず」
「今のは……。対象に掛かる音を全て消すスキル、だったか? 人以外にも使えたんだな」
「まあね。人にだけ使える、なんてスキルの効果にも書いてないし。対象ってのが、明確に決められてるわけじゃないから」
「めちゃくちゃ便利だな」
「まあ、仮にも固有スキルだしね」
彩夏はそう言うと、明に代わるようにして扉を引き開く。
扉は音もなく静かに動いた。
彩夏は、無音で動く扉に自慢げな表情を見せていたが、すぐにそれも真面目なものへと切り替わった。
扉の奥から聞こえてくる声の主が、もう一人居たことに気が付いたのだ。
明達は顔を見合わせると中に滑り込み、音もなく扉を閉じた。
二つの声は、廊下の先にある部屋の中から聞こえるようだ。
「……花柳。もう一度、『沈黙』は使えるか? ここの床に使って、俺たちの足音を消して欲しい」
「了解。……『沈黙』」
彩夏は、床に向けて手を翳してスキルを発動させる。
そうして、床から響く足音を消した明達は、息を殺してゆっくりとその部屋の傍へと近寄ると、その内容を盗み聞いた。
「……とにかく。もうこれ以上、あの病院で勧誘を続けていても仕方がない。ここ数日、ずっと誘い続けてるが、誰も誘いに乗ってこないじゃないか」
「確かに、そうだな……。場所を変えるか?」
「〝神父様〟は何とおっしゃっている?」
「特には何も。『今はまだ、教えを広めなさい』の一点張りさ。神父様自身も、リリスライラの教えを広めるために相変わらず忙しそうに走り回っていらっしゃる」
――神父。
その言葉に、明は僅かに眉を動かした。
男達の口ぶりからしておそらく、その人物がリリスライラという怪しい集団を束ねているヤツなのだろう。
「役割については、何て?」
「それもいつも通りだ。俺たちにはまだ、儀式を任せるわけにはいかないとのことだ。ヴィネ様への信仰心が足りないらしい」
信仰心、という言葉にもう一人の男が反応を示した。
大きなため息が聞こえてきたかと思うと、愚痴をこぼすような口調でその男は口を開く。
「信仰心、ね……。それって、いわゆる神父様に直接見初められたかどうかの違いだろ? 神父様に直接見初められればその力の一端を与えられるが、神父様以外から誘われた奴らには何もない。俺やお前もそうだ。リリスライラがいつか必ず、この世界を救ってくれると聞いてはいるが……。それはいつになるんだ? ただ教えを広めるだけで世界が救えるとでも言うのか? だったら、神父様に見初められた奴らみたいに、俺たちも魔王ヴィネへ生贄を捧げた方がまだマシじゃないか」
「……滅多なことを言うな。神父様には、神父様なりの考えがあるんだろう。それに、俺たちにヴィネ様からの力が与えられないとは神父様も言っていない。その力を与えてもらうためにしているのが、今の活動だろう? 確かに、教団の教えは多くの人から理解されるものではないが、それでも今はその教えを信じて頑張るしかない。それとも、お前はモンスターの餌になりたいのか?」
「…………分かった。悪かったよ。ちょっとばかし、今日の布教でイラつくことがあってな。思わず口に出しちまった。本心じゃない」
「ああ、あの病院に居座る自衛隊のリーダーか。アイツも頭が固いよな。アイツさえ居なければ、あの病院でも多くの人がリリスライラの教えを理解できるというのに」
「まったくだ。毎回のように、入口で立ち塞がるものだから中に入ることも出来ない。布教が上手くいかないのも、アイツのせいだ」
それから男達の話題はしばらくの間、病院に居座る自衛隊への悪口へと切り替わり、そして外のモンスターへと変わる。
どうやらリリスライラに関する情報は、これ以上盗み聞きでは聞くことが出来ないようだ。




