尾行
彩夏のレベリングから戻ると、エントランスホールは騒然としていた。
二人の男が、言い争いをしていたのである。
とは言っても、一方的に言葉を捲し立てているのは病院を守る自衛隊のリーダー、軽部稔その人だ。
対して、軽部へと懇切丁寧に声を掛け続けているのは、身なりの良い一人の男。リリスライラというカルト宗教の信者だった。
明は、その二人のやり取りを見て、そういえばと思い出す。
(ああ、この時間はコイツが来るんだったな)
リリスライラの信者は、魔王ヴィネという存在に生贄を捧げることによって、ありとあらゆるすべての願いを叶えることが出来るという、そんな宗教観を広めているようだった。「世界が滅びようとも、魔王ヴィネならばどうにかしてくれる」「そのためには生贄が必要だ」と、何度も同じ言葉を繰り返しては、その度に軽部からの怒りを買っていた。
「なんだ? アイツ」
パーカーフードの奥から、彩夏が剣呑な視線をリリスライラの男へと向けた。
「アーサーと同じ、リリスライラってカルト宗教のヤツだな。勧誘に来てるみたいだ」
「勧誘ぅ~? ハァ? 馬鹿なのか? リリスライラってことは、アーサーのオッサンと同じヤツだろ? 犯罪者じゃねぇか」
その言葉が、リリスライラの男にも聞こえたようだ。
じろりとした視線を彩夏に向けて、彩夏がその視線に眉根を上げる。
「なんだ? ヤるのか?」
「馬鹿、無駄に騒ぎを大きくするな! ほっとけば、アイツは帰るんだよ」
明は、前に出ようとする彩夏の肩を掴んで引き留めると、小さな声でそう言った。
それから、その男の顔をじっと見つめて、解析を発動させる。
(――、レベルは20。ステータスは特徴もなく、普通……だな。スキルは『身体強化』『危機察知』『忍び足』がLv1か)
固有スキルは見当たらない。……が、以前は信用出来ていたその画面が、今ではもう信用出来ない。
ウェアウルフ戦後、一条明はアーサー・ノア・ハイドという一人のリリスライラの信者と戦った。
その男の解析画面は、すべてのステータス数値が低かったけれど、戦闘の際には何倍ものステータス差がある明と、互角に迫る戦いをしていたのだ。
アーサーは、『偽装表示』という解析画面を偽るスキルを所持していた。
それがどのスキルの影響で取得に至ったものなのかは分からないけれど、アーサーがリリスライラの一員であった以上、リリスライラ全員がその解析画面を偽っているのではないかと、そう思わずにはいられなかった。
(つっても、アイツだけが『偽装表示』を取得していた、なんて可能性もあるんだけど……。クッソ! 厄介な悩みが増えたな)
明は心で舌打ちをして、ガリガリと頭の後ろを掻く。
やがて二人の言い合いは段々とエスカレートしていき、最後にはリリスライラの男が捨て台詞を吐いて出て行くことで決着が付いた。
明は、病院を出て行く男の背中を見つめて、少しばかり考え込んだ。
リリスライラが危険な集団であるのは、アーサーという一人の男のことを考えても、間違いないはずだ。だが、だとしたらどうして、この男は朝から堂々とこうして顔を見せてまで勧誘をしているのだろうか。
(前も、リリスライラが勧誘に来てたって言ってたし……。生贄が欲しいなら、問答無用で襲って来ても良さそうだけど)
いつか襲うために、様子を見に来ているだけなのだろうか。
(可能性はあるな)
この病院には、戦えない人が多くいる。
彼らの目的がその人達を殺害し、魔王なんて居るかどうかも分からない存在へと生贄に捧げるつもりであるのならば、ありえない話ではない。
(……追いかけてみるか)
心で呟き、明はさっそく行動を開始する。
すると、何を思ったのか。彩夏が明の後ろについてきた。
「おい」
「なんだよ、別にいいじゃん」
彩夏が明へと半眼を向けて言った。
「アイツを追いかけるんだろ?」
「そうだけど……。お前、帰れよ。遊びで追いかけるわけじゃないんだぞ?」
「分かってるよ。リリスライラっていう、危ない奴らの正体を探るためだろ? 確かに、アンタ一人なら何があってもどうにか出来るだろうけどさ。アンタじゃどうにも出来ないことを、あたしならどうにか出来るかもしれないじゃん?」
その言葉に、明は黙り込んだ。
確かに、彩夏が使える『沈黙』をはじめとする『神聖術』のスキルは役に立つ。
各スキルが一日に五回しか使えないという制限はあるが、それでも十分すぎるほどだ。
「…………邪魔、するなよ」
結局、明は彩夏が付いてくることを了承した。
彩夏の持つ『神聖術』が役に立つかもしれない、という考えもあったが、どうせ断ったところで勝手についてくるだろうという、ある種の諦めもあった。
それならばまだ、目につくところに居て貰ったほうがいい。
そう思って、明は彩夏の同行を許可した。
男は、モンスターの気配を感じる度に物陰へと身を隠して、慎重にあたりを警戒しながら街へと向けて歩みを進めていく。
戦闘をする様子はない。むしろ、徹底的に避けている印象だ。
(……モンスターを怖がってる? ってことは、あのステータスは本物か?)
アーサーほどのステータスであれば、モンスターを怖がる必要などないはずだ。それこそ、この街のモンスター程度、鼻歌でも歌いながら瞬殺出来ることだろう。
明達は、男から付かず離れずの距離を取りながら、慎重に身を隠して追いかける。
やがて男は、街の繁華街へと足を踏み入れると、とある雑居ビルの中へと消えていった。
その様子を物陰から見ていた明達は、互いに視線を合わせた。
「見張りが居るな……。いかにもって感じ。どうすんの? 乗り込む?」
「そうだな……。あのビルが、リリスライラの拠点かどうかは気になるな」
「よし、なら」
言うが否や、しゃがみ込んでいた彩夏は立ち上がった。
その腕を、明は慌てて掴む。
「なら、じゃねぇ! どうするつもりだ!」
「どうするって、乗り込むんだろ?」
「そうだけど、わざわざ真正面から行くヤツがいるか! バレたら厄介だろ! 俺たちの顔は知られてるんだぞ!?」
「じゃあ、どうすんの」
不貞腐れた顔で、彩夏が言った。
明は、男が入った雑居ビルへと目を向けるとふと、ビルの四階部分にあたる高さにある窓が開いていることに気が付く。
「あの窓から中に入ろう」
明は、その窓を指さして言った。
「ステータスがある今、俺たちの身体能力は以前とは違う。足場があれば、あの高さぐらい登れるだろ」
「……なるほどね」
彩夏は、明の言葉に納得するように頷いた。
それから明達は、男が消えた雑居ビルの周囲を探って登れそうな足場を探す。
足場はすぐに見つかった。雑居ビルの外に、取り付けられた室外機が並んでいたのだ。
「あれを足場にしながら行けば、見張りには気付かれずに四階までいけそうだな」
明は、壁に並ぶ室外機を見ながら言った。
「そうだね。どうする? アンタが先に行く?」
「……そうだな。先に行って、中を確かめよう。もし大丈夫そうなら合図をするから、その後に花柳も昇ってきてくれ」
「了解。それじゃ、あたしは下であたりを見とくね」
その言葉に明は小さく頷くと、雑居ビルから少し離れて助走の距離を取った。
「ふっ!」
短く息を吐き出し、一気に走り出す。
すぐさま目にも止まらない速さとなった明は、雑居ビルの壁に足を掛けると、その勢いのまま壁を垂直に駆けのぼった。
そして、その勢いが消える寸前。
「っ!」
再び息を吐いた明は壁を蹴って跳ぶと、一気にその四階の窓縁へと手を伸ばして、掴む。
「…………っ、と」
身体を持ち上げて窓から中に入ると、すぐさま辺りを見渡した。
侵入したその場所は、男子トイレだった。
おそらくは換気のために窓を開けていたのだろう。水が流れず、排泄物をそのままにしているのか、トイレの中は異様な臭いが立ち込めている。
明は、その臭いに顔を顰めながらもトイレ内に人が居ないことを確認すると、窓から顔を出して彩夏に合図を送った。
彩夏は、明の合図に気が付くとすぐに室外機を足掛かりに、壁面を這う排水用のパイプや壁の出っ張りなどを手がかりに、スルスルとビルをよじ登って来る。
そうして、数十秒後には明と同じく四階の窓へと手を掛けると、一気に中へと転がり込んできた。
「お疲れ。問題なかったな」
「まあね。前なら絶対に無理だけど、改めてステータスの存在のデカさを感じたよ。ってか、それはアンタもそうでしょ。なに当たり前のように壁走ってるわけ?」
そう言うと、彩夏は呆れたような視線を明へと向けた。
それから、気を取り直すように息を吐くと辺りを見渡す。
「……にしても、くっさいなココ。トイレ?」
「ああ。水が流れないから、排水が上手く出来て無いんだろう。あ、個室の扉は開けないほうがいいぞ。後悔する」
そう言うと、彩夏は明が何を言いたいのかすぐに察したのか「げぇ」と言って思いっきり顔を顰めた。
「さっさとココを出たい」
「同感だ」
彩夏の言葉に、明は頷く。
それから、すぐさまトイレの扉へと移動をすると少しだけ開いて、扉の外の気配を探った。
「…………」
あたりに気配はない。
どうやら、扉から出たらすぐに誰かと鉢合わせをする可能性もなさそうだ。
「誰もいない。今のうちに行くぞ」
彩夏に声を掛けて、明は扉の外へと出た。