たった一つの幸せ
「――――――」
息を止めて、明は全神経を集中させる。
右足を潰された今、前のように動くことは出来ない。だからこそ今ここで狙うのは、全身全霊のカウンターだった。
(奈緒さんを狙う以上、何かしらの攻撃をしてくるはず。チャンスは、その一瞬。攻撃によって、『隠密』が剥がれたその瞬間。アイツの攻撃が奈緒さんに届くよりも先に、アイツを攻撃する)
明は、ジッとアーサーの動きを待ち続ける。
すると、そんな明を嘲笑うかのように。どこからともなく、声が聞こえた。
「……なるほど。カウンターか。確かに、先ほど君が見たように、『隠密』中に攻撃を行えば、『隠密』の発動はキャンセルされる。……だが、あくまでもそれは、私自身の話だ。忘れたか? 私は、死霊術師だぞ?」
その言葉と同時に、明の左手に凄まじい力が加わった。
「なッ!?」
左腕を巨大な手で握りつぶされるようなその圧力は、ゆっくりと、確実に明の骨をへし折っていく。
「潰しなさい」
アーサーの言葉が店内に響いた。
同時に、その圧力は明の耐久を破って、肉と骨を潰し、砕く。
「ぁ、ぐ――――ッ!!」
思わず漏れる悲鳴を、明は必死に押し留めた。
悲鳴を上げている暇はなかった。今の言葉で、アーサーがこの部屋のどこに居るのか見当が付いたのだ。
「く、そがァ!!」
叫び、明は手にした手斧を右手で握り締めると固く奥歯を噛みしめて、左足のみで跳躍をするようにその声の方向へと飛び掛かる。
「――っ!!」
その衝撃で、潰された右足に電流のように痛みが走って、再び悲鳴が漏れそうになる。
それでも、止まるわけにはいかない。
ここで居場所を見失えば、今度こそ本当に。奈緒がアーサーに殺されるかもしれない。
「うぉおおおおおおおおおおお!!」
叫び、明は空間を切り裂くように。その右手に持つ〝猛牛の手斧〟を、全力で振り抜いた。
「ぬぅっ……!」
刃は、アーサーを捉えた。
何もない空間に赤い線が浮かび、ボタボタと血が床に垂れ落ちる。
確かな手応え。けれど、まだ足りない。
それを、明はこれまでに培った戦闘の経験により、すぐさま察した。
「くッ!」
再び、明は手斧を振るおうと右手を引いた。
その動きを目にしたアーサーは、明の意図を察したのだろう。
「オリヴィアッ!!」
痛みによりスキルの発動が途切れたのか。姿を現したアーサーが、冷や汗を浮かべながら明を見据えて叫ぶ。
「砕きなさい!!」
その言葉に、オリヴィアはすぐさま反応した。
明が手にした手斧に向けて手を伸ばすと、一気にその手を握り締める。
――――バキバキッ、と。
途端に猛牛の手斧に圧力がかかって、その刃全体へとヒビを入らせた。オリヴィアの筋力値が、猛牛の手斧の耐久値を上回っているのだ。
「ッ!」
短く息を吐いて、明は砕けた手斧を手放す。
そうして、明の意識が一瞬、自身から逸れたことに気が付いたのだろう。
「隠密」
アーサーは、再びスキルを発動させて身を隠そうとする。
「させ、るかァッ!!」
それを防ぐべく、明は必死になってアーサーへと向けて手を伸ばした。
半ば気配が消えていたが、伸ばした指はアーサーの服へと引っかかった。
明は、指先に掛かる服の生地を手繰るように、一気に力を込めてアーサーを引き寄せる。
「なにッ!?」
引き寄せたことで、隠密スキルの発動が中断されたのだろう。再び気配を戻したアーサーが、驚愕の表情となって明を見つめた。
「ぅおらァッ!!」
そんなアーサーに向けて、明は声を上げると頭突きを喰らわせる。
――ボキリ、と。骨が折れる音と共に、
「がぺっ!」
奇妙な声を上げて、アーサーの顔が仰け反った。
見れば、アーサーの鼻から大量の血が噴き出している。
明は、押し倒すようにアーサーを地面に転がすと、マウントを取った状態でアーサーの胸倉を掴み上げた。
「ッ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…………。もう、逃がさない」
荒い息を吐き出しながら、明はアーサーを睨み付けて言った。
「どうして、奈緒さんを狙う! なんで奈緒さんに拘る!!」
「ふ、ふふ……。私が、お嬢さんに拘る理由か。魔王ヴィネは、格の高い血をより好む。……こう言えば、理解できるかな?」
声を荒げた明に、アーサーが折れた鼻を拭いながら言った。
「格の高い血――すなわち、レベルが高い血だよ。解析によって確認したが、彼女のレベルは40だ。高レベル一人の生贄は、低レベル複数の生贄にも勝る。君のステータスの高さは確かに、なかなかのものだが……。ヴィネはレベルにしか興味がないようでね。ステータスも高く、殺しにくい君は論外だ」
「それだけの理由で、テメェは奈緒さんを――――ッ!」
「フハハハハハ! それだけの理由? 違うな。私にとっては、とても大きな意味があることだ!」
「まだ、そんなことを!」
「なぜ、私の願いが否定されねばならない! 君に私の何が分かるッ! 私はただ、私の幸せのために、必死に願いを叶えようとしているだけだ!!」
「それが間違ってるって言ってんだよ!!」
叫び、明は拳を握るとアーサーの顔を殴りつけた。
「……っ」
「テメェが奈緒さんを狙う理由はよく分かった。確かに、テメェの境遇には同情するよ。俺もお前の立場だったら確かに、藁にでも縋る気持ちでカルトでも何でも信じていたかもしれねぇ!! だがな――――」
そう言って、明は再びアーサーの胸倉を掴むと、その身体を持ち上げ睨み付ける。
「だからって、それで人を殺してもいい理由にはならねぇだろ!!」
「……ああ、確かにそうだ。君の言葉は正しいよ。耳が痛くなる。――――だがな、私の追い求める幸せはもう、この手を汚さねば手に入らぬのだ。君に、なんの権利があって私の幸せを否定することが出来るッ!!」
言って、アーサーは拳を握ると明の脇腹へと打ち込んだ。奇しくもそこは、ウェアウルフによって攻撃を受けて切り裂かれた場所で、『自動再生』によって施された止血が、その衝撃で一瞬にして破られ血が噴き出す。
「ぐぁ――!?」
激しい痛みに、マウントを取った明の拘束が僅かに緩んだ。
その隙を逃すことなくアーサーは明の潰れた左手へとまた拳を打ち込むと、跳ね上がるようにして明のマウントから抜け出し、起き上がり際に明の顔面へと膝を叩き込む。
「ッッッ!!!」
視界がブレた。衝撃で脳が揺さぶられて、意識が遠のき身体が揺れる。
――――それでも。
明は、奥歯を噛み砕かんばかりに噛みしめると、必死に意識を繋ぎ止める。
倒れるわけにはいかない。
コイツには、奈緒を殺された。多くの人がコイツのせいで死んだ。
この男が居る限り、奈緒は何度も危険に晒される。
その未来を、許すわけにはいかない!
「……ッ、っあァッ!!」
明は、思考が纏まらない頭でそれだけを考えて、必死に拳を握る。
「だったら、テメェには……!! 他人の幸せを奪う権利があるのかよ!!」
叫び、明はアーサーに向けて拳を振るった。
倒れた姿勢で振るわれた拳はアーサーの左下腿に命中し、ミシリと骨にヒビを入れた。
「ぐぅ!」
アーサーの動きが止まった。
このチャンスを、逃すわけにはいかなかった。
「ふっ!」
息を吐いて、再び拳を握り、同じ場所を殴る。
ミシリと、ヒビが広がる感触。
「っ!」
さらにもう一度、明は殴りつける。
バキリと、今度は骨を折る音が鳴る。
その痛みに、さすがのアーサーも反撃をするかのように明を殴りつけてくるが、それよりもいち早く。明は、四度目の拳をアーサーの下腿へと振るっていた。
「っ、ぁ、ぁあああああああッ!?」
――バキバキッ、と。嫌な音を響かせながらアーサーの左下腿の骨が砕けた。
痛みに悲鳴を上げるアーサーは、体勢を崩してその場に倒れ込んだ。
明は、床を転がるようにして手放した手斧を拾うと、それを杖の代わりにするようにしてすぐさま立ち上がる。
そうして、倒れ込んだアーサーの元へと近づくと、割れて砕けた手斧の刃をアーサーの首筋に押し当てた。
「ハァ、ハァ、ハァ……。ッ、ぁあ……。痛いだろ? それが、死ぬかもしれないって痛みだ。これまで、奈緒さんが受けた痛みだ。あの世界で、殺されたみんなが感じた痛みだ!! 死ぬってのはなぁ、アーサー。すッげぇ痛くて、苦しくて、辛いことなんだよ!!」
叫び、明はその手に力を込めた。
「ッ!」
砕けた刃がアーサーの首へとゆっくりと沈む。
皮膚が切れて、赤い雫が床へと伝い落ちた。
「これでもテメェは、誰かを殺そうと思うか? 誰かに手を出そうと思うのか!?」
「く、くく……。何を言い出すのかと思えば……。この後に及んで説教か? 殺したいのならば殺せ。ただしその時は、君も晴れてコチラ側の人間だ」
「っ!」
その言葉に、明の中に僅かな躊躇いが生まれる。
これまで幾度となく戦ってきたとはいえ、明が手に掛けたのは全て、モンスターだ。
人を喰らう化け物だと知っていたからこそ、初めは躊躇こそすれ、すぐにその拳から迷いも消えた。
けれど今、目の前にいる男は、人間だ。
どうしようもない男だと分かってはいるが、人間なのだ。
その迷いが、明に一瞬の隙を生み出した。
「――甘いなァ。敵の言葉に耳を貸しちゃいけないだろ?」
ニヤリとした笑みを浮かべて、アーサーは動いた。
その動きに、ハッとした明はすかさずその言葉を叫ぶ。
「『剛力』ッッ!!」
同時に、腕を振るう。
――バキリ、と。完全に刃が砕けた音が聞こえた。
けれど刃は、もうすでに動き出していたアーサーの首を捉えることが出来なかった。
「ぐぁぁああああああああああああああああ!?」
絶叫の如くあがる悲鳴は、アーサーのものだ。
明の振るった手斧は、その刃を砕きながらもアーサーの右腕を捉えて斬り飛ばした。
刃の破片と真っ赤な血があたりに飛び散って、空高く上がった右腕が床に落ちる。
アーサーは、失った右腕を庇うようにして左手で押さえつけると、ふらりとその身体を大きく揺らした。
「くっ!!」
しかし、アーサーは倒れなかった。
荒い息を漏らしながら、血がとめどなく溢れる右腕を押さえて、その血の海の中でしかと両足を踏みしめて立つと、狂気的とも思える決意が籠った視線を明に向けていた。
「死なん……。死ぬわけにはいかんのだ。私が死ねば、妻や娘は誰が助ける。私はオリヴィアの夫だ。娘の父親だ。私は、彼女たちを助けねばならんのだ」
「テメェの妻や娘は、もう死んでるんだよ! 奈緒さんを殺したところで、戻るはずがない!」
「ふ、ふふ、フハハ……。どうして、そう言い切れる? モンスターが現れ、死んだ者の魂がこうして具現化までしているこの世界で、死んだ者が生き返らないとどうしてそう言える? ああ、そうだな……。何度もやり直せるお前には、分からんだろうな。例えそれが嘘でも、その嘘に縋りつくことしか出来なかった私の気持ちなど、お前には分かるまい」
アーサーはそう言うと、明に向けて問いかける。
「…………であれば、一条くん。君に聞こう。こうして、私の企みを知って防ぐということは、君が知る世界の中で、私はお嬢さんを殺したことがあったのだろう? その時に、君はお嬢さんが死んだことを諦めたのか? それで仕方がないと、受け入れたのか! どうなんだ!? 一条明!!」
初めは静かに問いかけられたその言葉も、繰り返すごとに次第と声が大きくなり、やがて、感情を爆発させたような大声へとなっていた。
「――――――ッ」
明は、何も言えなかった。
いや、反論するべき言葉が見つからなかった。
アーサーは、そんな明を見て小さく喉を鳴らすようにして、笑う。
「……ほら、な? 君は私と同じだよ。君は、お嬢さんが殺されたことに納得せず、与えられた自らの力を使って、世界をやり直した。その世界でありえたかもしれない、私の幸せを踏みにじって。君は、君の幸せのために、やり直したこの世界で、私の幸せを奪おうとしている」
失った右腕から流れる血が多いのだろう。アーサーは、顔から血の気を失くしながらも、不敵に笑みを浮かべた。
「私の場合、君とは幸せを追い求めるやり方が違っただけさ。……いや、あの時の私には、コレしか方法がなかったと言うべきか」
アーサーは、そう呟くと明の顔を見つめる。
「そろそろ、この戦いも終わりにしようじゃないか」
「――――ッ」
明は、固く唇を噛みしめる。
彼の言い分が、理解出来てしまったから。
彼は、彼だけの幸せを叶えるために、自分と同じように必死に、この世界で足掻き生きているだけなのだと分かったから。
(……でも、だからって)
相棒は壊れた。
武器はもう、このボロボロの身体しかない。
(俺は、そのやり方を認めない)
固く。
明は固く、右手を握り締める。
(たった一人のために、より多くの誰かが不幸になるようなそんなやり方は、俺は認めない)
「――――オリヴィア」
小さく、アーサーが呟いた。
(たとえそれが、誰かの幸せを奪うやり方だとしても、俺は――――)
前を向いて、明は残った左足へと力を溜める。
「全力で、潰しなさい」
(俺の大切な人と、この世界で生きるために)
「『疾走』」
左足に溜めていた力を解放させて、明は跳んだ。
床を蹴って跳び込んだ明は、さながら銃身から放たれた一つの弾丸のように、アーサーとの距離を一気に縮める。
瞬間、明とアーサーの視線が交差する。オリヴィアの開かれた手が僅かに動き、不可視の圧力を明へと掛けようとしてくる。だが――――。
「テメェが、自分のためだけに誰かの幸せを奪い取るってのなら、俺はそのやり方を認めないッッ!!」
オリヴィアがその手を握り締めるよりも早く。
一条明の拳は、アーサーの腹部へと突き刺さった。
『剛力』によって補正を受けた筋力は、肉を潰して背骨を砕く。
さらに拳の衝撃はアーサーの身体を貫通して、その腹部に大穴を空ける。
「ぁ――……?」
吐き出されたアーサーの声は、言葉にもなっていなかった。
おそらく、何が起きたのかも分からなかったのだろう。
ポカンとした表情で眼前に立つ明を見て、ついでアーサーは穴の空いた自らの腹を見下ろした。
「…………がふっ」
口から大量の血を吐き出すと、アーサーはその身体をふらりと揺らして、倒れた。
……致命傷だ。流した血の量も多い。この傷では、逃げることはおろか立ち上がることも出来ないだろう。
明は、そんなアーサーの様子にふらりと身体を揺らすと、力を失うように地面に倒れ込んだ。