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ちょっと、昨日まで



「――――――」



 その光景に、言葉が出なかった。

 視界が狭まり、すべての音が消えていく。ドクドクと跳ねる自分の心臓の音だけが、その瞬間、その世界でただ一つだけ聞こえる音になった。



「……奈緒、さん?」



 呟かれる自分の言葉が遠い。

 傍では柏葉が何かを叫んで、その場にしゃがみ込んだのが分かった。

 明はふらふらと奈緒の元へと近づき、彼女の頬に手を当てる。


 ――温かい。


 それが、彼女の頬に触れた明が最初に感じたことだった。



「っ!」



 ゆっくりと、この世界に他の音が戻って来るのを感じた。

 ハッとした明は、すぐさま奈緒の口元へと顔を近づけて、その呼吸を確かめる。


「……ッ!」


 ――息がある。

 微かだが、確実に奈緒は生きている。

 身体をひしゃげて、顔の半分を失いながらも、それでも確かに奈緒は生きていた。


「奈緒さんッ!!」


 再度、明は奈緒の名前を叫んだ。

 その叫びが耳に届いたのだろう。

 閉じられていた奈緒の瞼が震えて、薄っすらと開いたのが分かった。



「…………ぁ、あぁ……。一条、か?」



 唇から漏れた言葉は、ほんの少しの物音でも掻き消されてしまうほど小さく、掠れていた。



「悪い……な。こんな格好で……。どこに、居るんだ? 声はするけど、よく見えない、な」


 奈緒は、薄く開いた瞳を持ち上げながら呟いた。



「っ、奈緒さんッ!! まさか、目が――――」

「……ああ、傍にいる、のか。分からなかったよ」

「喋らないでくださいッ! 今は、少しでもいいから身体を休めて……! 大丈夫です、奈緒さんは『自動再生』を持ってる。生きてさえいれば、いつか必ず――「無理、だ。こうして、生きてるのは、お前に貰った固有スキルがあるからだ。即死を免れてるだけ……。『自動再生』が傷を治すまで、生きていられないよ」


 奈緒は明の言葉を遮り呟くと、歪な、笑みとも呼べない笑みを浮かべた。



「この傷、だ。そう長くもなく、私は死ぬ。だから、今のうちによく聞け。私を襲ったヤツの話、だ」



 呟かれるその言葉へと言い返すために明は口を開こうとして、やがて口を固く噤んだ。

 喋って欲しくなかった。

 今はとにかく、身体を休めてほしかった。

 奈緒が一言一言を呟くたびに、その唇から命が零れ落ちているような気がして。その唇を、どんな手段を用いてでも今すぐに塞ぎたかった。


 ――でも、それをしたところで意味がない。


 奈緒を死なせたくないと思う自分が居るのとは別に、心のどこかではもうすでに彼女が助からないことを見極めて、次に活かすための情報を集めろと冷静に判断を下している自分が居るのも確かだった。



「――――私を襲ったのは、あの、マンションで出会った男だ」


 やがて、明が見守る目の前で、奈緒はゆっくりとその言葉を呟く。



「黒い服の、外国人だよ。お前と話をしていた……あの、男だ」



 アーサーだ。

 その言葉に、明はすぐにその人物へと思い当たった。

 同時に、この部屋へと辿り着くまでの間に目にした、多くの死体が誰の仕業によってつくられたものなのかを明は察した。

 あの死体は、かつてあのマンションで見た巨大蝙蝠と同じだ。

 彼に付き従う幽体の女性――オリヴィアが持つ『圧縮』によってあの時潰された巨大蝙蝠と同じように、彼らと出会った人々の身体は常識外れの力に成す術もなく潰され、ぐちゃぐちゃに潰されてしまっていたのだ。



(どうして、アイツが奈緒さんを? この世界では、アイツとはただ顔を合わせただけの関わりしか持っていない。わざわざ殺しに来るほどに恨まれる理由なんてなかったはずだ)



 思わず、明は心の内で呟いた。

 仮に恨まれる理由があるとすれば、それはあの男の依頼を断ったことになるのだろうが、だとしてもどうして、奈緒が襲われねばならなかったのか。



(あの時、依頼を断ったのは俺だ。俺だけが一方的にアイツと話して、アイツらとの縁を切った。奈緒さんはただ、その場で事の成り行きを見守っていただけだ)



 あの男に、一条明ただ一人が恨まれるのならば分かる。

 しかし、実際に襲われたのは明ではなく奈緒だ。

 だとすれば、それには必ず理由があったはず。



(……なんだ。何がある? なんで、奈緒さんが襲われる?)



 明は、必死に考える。

 奈緒が襲われた理由を。

 どうすれば、この状況を変えることが出来るのかを。



(前回、今回……。奈緒さんが二度襲われた理由……。――――前回? そうだ、前回も奈緒さんは襲われて、殺されていた。もしもあの時、本当に、花柳以外の誰かが奈緒さんを殺していたのだとしたら……。そして、その殺したヤツが今回と同じくアーサーだったとしたら)


 可能性はゼロではない。しかし――――。


(前回の奈緒さんは鉄剣で殺されていた。……けど、アーサーは、豚頭鬼オークの鉄剣を持ち上げられない。それはこの目でしっかりと見ている。アイツに奈緒さんを殺すことは出来ないはずだ)


 本当に、無理か? 何かを見逃してないか?



(――――違う)


 考え込んだ明は、ハッと思い当たる。



(アーサーに無理でも、彼女なら――オリヴィアなら、鉄剣を持ち上げられる。俺は何度も見ていたはずだ。幽体であるオリヴィアが、この世界に干渉して扉を開く様子を。戸棚を開ける様子を。そんな彼女が、もしも、物を持ち上げることも出来たなら?)



 オリヴィアは、『圧縮』の威力を上げるために、筋力値ステータスを伸ばしているとアーサー自身が言っていた。

 だとすれば、豚頭鬼の鉄剣を持ち上げることは造作もないはずだ。



(仮に、前回もアーサーが奈緒さんを殺したとして……。だとしたら、なおさらどうして、死に戻ったこの世界でも奈緒さんが執拗に狙われている?)



 シナリオが発生していない今、死に戻りによる記憶の保持が出来るのは明しかいない。

 にも関わらず、前回も今回も、彼らが七瀬奈緒を襲っているということは、その理由はどちらも変わらない理由であるはずだ。

 そして、その理由によってあの時、あのマンションで彼らと出会った時点でもうすでに、七瀬奈緒がいずれ殺される未来が決まっていたのだろう。


 ――彼らが奈緒を襲う理由。


 その理由を知るには、直接、彼らに問うしか方法はない。



「……分かりました。ありがとうございます」



 明は、優しくゆっくりと、奈緒に向けて言った。

 奈緒は笑った。

 いや、笑ったかのように小さく息を吐き出した。

 その口元は笑みが作られてはいなかったけど、彼女が確かに笑ったように明は感じていた。



「お前の、ことだ……。どうせ、また、戻るんだろ?」

「…………はい」

「ふ、ふふっ、ああ……。そうだと、思ったよ」


 奈緒はそう呟くと、長く息を吐き出して、口を噤んだ。


「奈緒さん?」


 明は、そっと呼び掛ける。

 しかし、その言葉に返事がない。

 それが、何を意味するのかすぐに察して、明はそっと奈緒を床に横たえた。



「…………」



 明は、ゆっくりと立ち上がる。

 それから、部屋を出ようと踵を返したところで、床に座り込んだ柏葉の存在を思い出して、その顔を見つめた。



「どこに、行くんですか」


 呆然と、明たちのやり取りを眺めていた柏葉が言った。



「ちょっと、この世界を変えるために、昨日まで」



 明は柏葉の言葉に呟く。

 その言葉に、柏葉が明の顔を見つめた。

 柏葉は、明の言葉の意味を図りかねているかのようだった。じっと言葉の真意を探るように明の顔を見つめると、小さな声で問いかけてくる。



「それは、その言葉は……まさか。一条さんは、過去に戻れるって意味ですか?」

「……死ねば、ですけどね。それが、俺の固有スキルです。死ぬことで過去に戻り、今をやり直せる。何度も、何度でも。俺が死に続ける限り、俺はこの世界を幾度となくやり直す。それが、俺の能力です」

「……タイムリープ」

「そうですね、そうとも言えます」


 柏葉は数秒ほど黙り込んで、明の言葉に考え込んでいた。

 やがて何かに気が付いたように微かに目を大きく見開くと、柏葉は呟くように言った。



「――――まさか。そのために、死ぬつもりですか?」



 問いかけるその言葉に、明はただ笑った。

 その答えは、わざわざ口に出さずとも決まっているようなものだった。



「また、次で会いましょう」



 明は静かに、囁くように柏葉へと呟く。

 そうして、柏葉の返事を待つことなく彼女の傍を通り抜けると、明は誰の目にも止まらない場所で自らの命を絶ったのだった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] この世界線に残された柏葉さん可哀想すぎる(ToT)
[良い点] 『ちょっと昨日まで、』かっこいいですねー!
[一言] 感想を真面目に考えていると涙腺がゆるみ嗚咽を漏らし吐きそうになります。いや!面白いからこそなんですけど脳が破壊されそうです。なんかわけわかんなくなって自暴自棄になりそう。
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