柏葉薫
外に出た明は、地面に転がるブラックウルフの死体の前にしゃがみ込む女性の姿を見つけた。
黙々と毛皮を剥いでいるその姿は間違いない。いつしかの人生で出会った、解体をしていた彼女だ。
(……『解析』)
心で呟き、明は彼女の解析画面を表示させる。
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柏葉 薫 24歳 女 Lv10
体力:10
筋力:19
耐久:19
速度:19
幸運:10
ポイント:1
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個体情報
・現界の人族。
・体内魔素率:0%
・体内における魔素結晶なし。
・体外における魔素結晶なし。
・身体状況:正常
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所持スキル
・身体強化Lv1
・解体Lv1
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表示された画面は、以前見たものと変わりがない。
あの時は彼女の名前を覚えるつもりもなくて、その箇所には目もくれなかったから覚えてはいなかったが、どうやらこの人が奈緒の言っていた柏葉という人で間違いないようだ。
明は、驚かさないようわざとらしく足音を立てて柏葉へと近づくと、ゆっくりとその名前を呼んだ。
「あなたが、柏葉さんですか?」
その言葉に、彼女は一度ビクリと身体を震わせると、解体していた手を止めて明へと振り返った。
「あなたは――――」
目を見開き、柏葉が明の顔を見つめる。
「一条明です」
短く、明は名前を告げる。
すると、柏葉は小さな頷きを返してきた。
「え、ええ。知っています。一条さんは、その……有名ですから」
その言葉の意味を、明はすぐに察した。
数日前。明が繰り広げたミノタウロスとの死闘は、その場に集まった野次馬によって動画化され、ネットを通じて全世界へと拡散された。
顔の映ったその動画を目にした人は多い。
おそらく、柏葉もそのうちの一人だったのだろう。
明は、柏葉の言葉に頷きを返すと、さっそく本題へと入ることにした。
「解体をお願いしたい物があります」
「私に、ですか?」
柏葉は、明の言葉に目を大きく見開いた。
その言葉に、明は頷きを返すと手に持っていた死体袋を地面に下ろして、その中身を開いて見せる。
「これです」
「――――ッ!? これ……」
袋の中身を覗き込んだ柏葉は、すぐにそれが、どんなモンスターなのかを察したようだ。
明は、袋の中身を見つめながら言った。
「昨日、ボス討伐を知らせる画面が出ていたのは知っていますね? その画面は、俺がボスを倒した際に出たものです。……そして、これが。昨日、俺が倒したボスモンスター、ウェアウルフです」
「ウェアウルフ……」
柏葉は、明の言葉を繰り返すように呟いた。
「出来ますか?」
明は、柏葉の顔を見つめながら言った。
柏葉は、突然の依頼に戸惑っているようだった。何度も、明とウェアウルフの死体を見つめて、やがて意を決したように問いかけてくる。
「あの、どうしてこれを私に?」
「誰かのために、自分の出来ることをやりたい。柏葉さんが前に、そう言っていたのを知っていたからです」
「私が?」
柏葉は、明の言葉に不審がるように言った。
今の柏葉は知らないのも無理はない。かつて、明へとそう言った柏葉は目の前の彼女とはまた違うのだ。
「…………」
柏葉は悩んでいるようだった。
視線を動かして、幾度も死体と明の顔を交互に見つめて、やがて小さく言葉を漏らす。
「死体を、解体するのを引き受けることは出来ます」
「っ、じゃあ――――」
「で、でもっ! 今の私の、解体のスキルレベルじゃ完全には無理です!! 多分ですけど、綺麗に解体出来る部位は全体の四割……ううん、もっと低い。良くて三割ぐらいだと思います」
「解体に失敗するってことですか?」
「失敗、というよりそもそも解体が出来ないんだと思います。私の筋力値が低いっていうのも影響していると思うんですけど……。このモンスターの耐久が、もともと高すぎるんだと思います」
おそらく、解体スキルの影響で感覚的に察したことを言っているのだろう。
呟かれるその言葉に、明はなるほど、と言葉を漏らして考える。
(たしか前に聞いた時は、解体スキルを持っていればモンスターの耐久が高くてもその耐久を無視できるって言ってたよな? 解体Lv1の補正値じゃ、さすがにウェアウルフの耐久は無視できないってことか)
明は、そう心で呟くと柏葉の顔を見つめた。
「……それじゃあ、柏葉さん自身のレベルが上がればその問題はどうにか出来そうですか?」
「え、ええ……。多分、ですけど」
「分かりました。それじゃあ、レベルを上げましょう」
「えっ? えぇッ!? い、いや、確かに私のレベルが上がればその問題は解決できますけど!! 私、本当に弱いんですよ? ゴブリンぐらいしか勝つことが出来ませんし」
「平気です。俺が瀕死になるまでモンスターを痛めつけるので、柏葉さんがトドメを刺してください。言ってしまえば、パワーレベリングですね」
「パワーレベリングって、そんな簡単に……」
「まあ、物は試しってことで」
気軽に言った明に、柏葉は訝しそうな視線を向けた。
だが、それでも最終的には「レベルが上がるなら……」と、柏葉は明の提案を受け入れてくれた。
さっそく、明は行動に移すことにする。
部屋に戻ってから猛牛の手斧を手に取ると、その足で奈緒のもとを訪れて柏葉をパワーレベリングすることを伝えた。
すると、やはりと言うべきか。奈緒も柏葉のパワーレベリングに同行すると言ってきた。
「私も行く」
そう言って、身支度を整える奈緒の動きはぎこちない。『自動再生』スキルのおかげで裂けた額の傷はもう完治しているようだが、未だに折れた右腕は完治に至っていないようだ。
ときおり顔を顰めながら右腕を庇う動きをしているのを見ていると、今は完治に向けて身体を休めてほしいと思ってしまう。
「いえ、奈緒さんはココに居てください。まだ、傷が癒えてないでしょ? ここで無理をして、さらに怪我を負うほうが危ないです」
「大丈夫だ。昨日だって、モンスターと戦えた」
「昨日はそうかもしれませんが、今日は柏葉さんも一緒です。柏葉さんのステータスは低い。誰かが守らなきゃ、あの人は簡単に死ぬんです。そんな人を、その傷で守り切れますか? 自分の身だけを守れば良かった昨日とは違いますよ?」
明の言葉に、奈緒も明が何を言いたいのか察したのだろう。
奈緒は、悔しげな表情で唇を噛むと、やがてゆっくりと大きな息を吐き出す。
「……分かった。分かったよ、今日は無理せず身体を休める。だけど――――」
そう言うと、奈緒はじろりとした視線を明に向けた。
「私の見てないところで無理したら……許さないからな?」
明は、その言葉に意表を突かれたかのように、ぽかんとした表情で奈緒を見つめた。
それから小さく笑みを溢すと、しかと頷き、伝える。
「気を付けます。……それじゃあ、行ってきます」
「ああ、気を付けて」
明は奈緒の言葉に頭を下げると、その場を後にした。