長い一日の終わり
魔法の流水が止まったのは、それから数分後のことだった。
まるで大雨が降った後のように濡れたアスファルト舗装の地面を見つめて、奈緒が盛大なため息を吐き出す。
「私は、この魔法を気軽に使わないことに決めた」
自分の意思とは無関係に、いつまでも流れ続ける水に翻弄され続けたことがよほど堪えたらしい。
疲れた様子で呟かれるその言葉に、明は小さく噴き出して笑った。
「拳銃、手放せば良かったんじゃないですか?」
「……前にも言ったけど。この拳銃は、私が魔法を放つために方向性を決める道具であって、別に私が拳銃から手を離したからといって、発動していた魔法が止まるわけじゃない」
奈緒は、唇を突き出すようにしてむくれた。
どうやら発動した魔法は、その効果が切れるまで、発動者の意思とは関係なく発動し続けるもののようだ。
そんな奈緒の様子を見ながら、明はふと、発動し続けるという言葉をきっかけに思い出したことを口にする。
「そう言えば、クリエイトウォーターの発動中に、別の魔法を使ったらどうだったんですかね? トーチライト、でしたっけ。クリエイトウォーターを使った時に、直前に発動していたその魔法が消えてましたけど」
「――――っ!? お前っ、どうしてそんな情報を、今さら!!」
どうやら奈緒は、その瞬間を見ていなかったらしい。
胸倉を掴まんとばかりに身を乗り出してくる奈緒から身体を引きながら、明は、
「今思い出したんですよ」
と小さく息を吐き出しながら答える。
奈緒は、そんな明にむけて恨むような視線を向けていたが、やがて、今さら騒いだところでどうしようもないと諦めたのだろう。
大きなため息を吐き出すと、奈緒は「……今度、時間があった時に試してみる」と呟くようにそう言って、その話題を打ち切った。
そして、その騒ぎから一時間後。
奈緒の体調と『自動再生』による傷の治療を待っていた明達は、再び自分たちの街に向けて歩き出した。
街に辿り着いたのは、日付が変わる頃だった。
二人で話し合って、軽部達の居た病院にひとまず向かうことにする。
その道中で、明たちは幾度となくモンスターに襲われた。
ほんの少し離れていただけなのに、もはや懐かしさすら感じるブラックウルフを相手にしながら、明はレベルの上がった解析を発動させて、改めてその情報を確認する。
(――――……。なるほど、コイツらは、〝ライラ森林〟っていうダンジョンに居たモンスターなのか。スキルは……ないみたいだな)
用済みとなったブラックウルフを手斧で斬り裂き、また別のモンスターに出会えば解析を発動させる。
そうして、出会うモンスター全てに解析を使用しながら、明は改めるようにその解析画面を全て確認していく。
結果、明たちの街に出現したモンスターは全て〝ライラ森林〟というダンジョンに生息していたモンスターだということが判明した。
スキルは、どのモンスターも所持していなかった。
巨大蜘蛛や巨大蝙蝠もスキルを所持していなかったことを考えるに、おそらくだが、スキルを所持しているのはボスだけなのだろう。
(……まあ、それも。これから先、反転率が進んでモンスターが強化されれば分からないけど)
心で呟き、明はゴブリンに向けて表示させていた解析画面を、手を振って消した。
モンスターを蹴散らしながら数十分ほど歩き、明達は病院へと辿り着いた。
すると、その周囲に数匹のブラックウルフが唸り声を上げながら徘徊しているのを見つけた。その様子を見て、明はそう言えばと思い出す。
(あー……。そうだ、あと数時間もすれば、この病院ってコイツらに襲われるんだった)
そのことを、奈緒もまた思い出したのだろう。
ちらりと、明へと視線を向けると囁くように声を掛けてくる。
「一条」
「ええ、分かってます。先に、コイツらを倒しましょう」
言って、明は手斧を構えた。
そんな明達に、ブラックウルフ達もまた気が付いたようだ。
牙を剥きだし、はっきりとした敵意を示すように低く響くような唸り声をあげると、続々と周囲に集まってくる。
数は、二十三体。
どうやら、あの襲撃に参加していたブラックウルフすべてが今、この場に集まったらしい。
明は、隣で険しい表情を見せた奈緒に鉄剣を手渡すと、呟くように言った。
「無理はしないでくださいね」
「平気だ」
奈緒は明に渡された鉄剣を手に持つと、ニヤリと笑った。
「もう、あの頃の私じゃないからな」
その言葉に、明もまた笑った。
それから、表情を改めるようにしてブラックウルフ達を睨み付けると、ゆっくりと息を吸い込み、止めた。
「それじゃあ、よろしくお願いします、ねッ!」
叫び、明が飛び出すのと、奈緒が剣先をブラックウルフ達へと向けたのはほぼ同時。
「ショックアロー!」
以前とは違う、絶対の威力を持った光の矢がブラックウルフの一匹へと突き刺さり、その身体が衝撃で飛散する。
そうして、ブラックウルフの群れを相手にして数分。
明たちは、傷一つなくその戦いを無事に終えていたのだった。
病院へと足を踏み入れると、真っ先に明達を出迎えたのは夜間の歩哨に当たっていた自衛官だった。
その自衛官は、明の姿を見かけるとすぐにその顔を綻ばせて、声を掛けてくる。
「一条さんに七瀬さん!! よくぞご無事で……。ボスを倒してきてくれたんですね!!」
ウェアウルフを討伐したことで、彼らの眼前にも反転率の減少を示す画面が現れていたのだろう。
確実に明が倒したのだと疑わないその視線に、明は思わず苦笑を浮かべると、身体を休めるために部屋を貸して欲しいことを告げた。
「もちろんです。この病院の管理の方も、お二人ならば断わることは無いでしょう。少し、待ってていただけますか? 確認してまいります」
言って、その自衛官は小さくお辞儀をするとどこかへと行ってしまった。
しばらくの間、エントランスホールで奈緒と時間を潰す。
そうしているとふいに、廊下の奥から走る音が聞こえて、軽部が明達の元へとやってきた。
おそらく、明達が帰ったと聞いて急いで来たのだろう。微かに息を切らせた軽部は、明たちの姿を見ると満面の笑みを浮かべた。
「ああ、一条さん! それに七瀬さんも!! 良かった……。ボス討伐を知らせる画面が出てから、お二人が戻ってこないからずっと心配していました」
「ええ、まあ……。少し、遠出をしていたもので」
明はそう言うと、軽部へと隣街での出来事を簡単に説明した。
アーサー達のことは特に言わなかった。言ったところで、軽部達には関係がないと思ったからだ。
ただそれとは別に、この街でも見かけるキラービー達には巣があること、もしかすれば、モンスターが出現しているこの世界の街は、世界反転率が進むごとに異世界にあるダンジョンと思われる場所と置き換わり始めている可能性があることも告げる。
軽部は、明の言葉に大きく目を見開くと、考え込むような声を漏らした。
「なるほど……。キラービー達の巣、ですか……。確かに、それがある可能性は十分に高いですね。アイツらは、殺した人間をどこかに連れ去っているので。しかし、それにしても、まさかこの世界にある街がダンジョンになろうとしているとは。――――ちなみに、ですが。ダンジョンとは、あのダンジョンですよね? アニメやゲームに出てくる」
「さあ、そればかりは何とも……。ですが、モンスターの死体が勝手に消えて、またモンスターが現れているとこを見ると、その、ダンジョンで間違いなさそうな気もしますが」
明は、軽部の言葉に呟くように言った。
あれこれと推察を繰り返しているが、結局のところそれは全て、可能性の話でしかない。
ダンジョンと呼ばれるものがファンタジーの中の出来事でしかなかった以上、こうして現実に置き換わっている可能性があるとは言っても、それが本当に創作の中で知るダンジョンと同じものであるかどうかなんて、現段階では誰も分からないのだ。
軽部は、明の言葉に「そうですよね」と呟くと困ったように笑った。
「……ところで、一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「はい?」
「一条さんが担いでいるその袋とバッグ、一体何が入っているんですか? 出て行った時には無かったものでしたが」
軽部は、明が担いだ二つの袋と鞄に目を向けながら言った。
明は、その言葉に「ああ」と言って頷くと、
「まあ、お土産みたいなものです」
そう言って、自販機を壊して入手した飲み物を軽部へと手渡した。
軽部は、中身の詰まったその鞄と袋に目を大きく見開くと、深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。助かります。食料や水を調達に行こうにも、我々がここを離れるわけにはいかず……。正直に言って、水も食料も限りがあるので、こうして調達をしてきてくれるのは大変ありがたいです」
「それじゃあ、その飲み物をここでのベッド代替わりに……。なんて、厚かましすぎますか?」
ニヤリと笑った明に、軽部が口元を綻ばせて首を横に振る。
「とんでもない。みなさん、喜びますよ。ここの管理者には、もうすでに許可を得ています。一条さんが使っていた部屋を、そのまま使ってもいいとのことです。七瀬さんも、同様に前に使っていた部屋を使ってもいいとのことでした」
「ありがとうございます」
それまで、明に任せたことの成り行きを見守っていた奈緒は、軽部の言葉に小さく頭を下げた。
「それでは、私はこれで。また明日、これからのことについて相談させてください」
軽部はそう言って笑うと、踵を返して去って行く。
その後ろ姿を見ていた明達は、示し合わせたように顔を見合わせると、小さく笑った。
「ひとまず、俺たちも身体を休めましょうか。一晩眠れば、ウェアウルフに受けた傷も完治してるでしょうし」
「……そうだな。それじゃあ、一条。また明日」
「ええ、また明日」
呟き、明達は手を振り合って別れる。
こうして、一条明にとっての長い一日が終わる。
ようやく訪れるその日の終わりに、部屋へと向かう明の足取りは、ほんの少し軽かった。