二つの初級魔法
それから、奈緒の体調が戻るまでの間、明達は休憩を取ることにした。
息を切らせて物陰に座り込んだ奈緒のために、明は荒されていない自販機を見つけると、その傍で巣を張る巨大蜘蛛をその巣ごと手斧で斬り裂いて、自販機を力任せにこじ開ける。
中に陳列されたジュースやお茶、ペットボトルなどを抱え込むようにして手に取って、それでも持ちきれなかった飲み物は適当な民家に侵入して、拝借した鞄や袋の中へと詰め込んだ。
そうして、大量の飲み物を調達して戻った時には、奈緒の顔にはいくらかの血色が戻っていた。
「悪いな」
明に差し出されるミネラルウォーターを受けとりながら、奈緒が小さくお礼の言葉を口にする。
その言葉に明は首を振って答えると、奈緒と同じくミネラルウォーターを手にして奈緒の横へと腰かけた。
「……そういえば。モンスターと戦う時に使っていた魔法がショックアローだけだったのは、どうしてですか? 初級魔法のスキルレベルを上げて、他にも魔法が使えるようになったと思うんですけど」
そう言って話題を切り出した明の言葉に、奈緒は考え込むように宙を見つめた。
「そういえば、試してなかったな。……まあ、その魔法の内容は、名前を見てどんなモノなのかだいたい想像がついてるんだ」
奈緒はそう呟くと、明に向けてちらりとその視線を向けてくる。
「気になるか?」
「……まあ。気になるか、気にならないのかで言えば、気になりますね。俺は、初級魔法を取得していないので」
「だよな」
奈緒は明の言葉に笑った。
それから、自身の体調を確認するように手を握ったり開いたりして見せると、やがて意を決したように拳を握り締めた。
「まあ、今の体調なら二回ぐらいなら平気か。うん、試してみよう」
「えっ、大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない。なんとなくだけど、あとどれぐらい魔法を使えばヤバいのかが、感覚で分かるんだ」
言って、奈緒は目の前へと向けて片手で拳銃を構えた。
「…………先に言っておくが、お前が思ってるような魔法じゃないと思うぞ?」
確認の意味を込めた視線を、奈緒が向けてくる。
「俺が思ってるような魔法じゃない? それって、どういう意味ですか?」
「まあ、見れば分かるさ」
奈緒は小さく笑った。
それから、視線を前に向けるとその魔法の名前を呟く。
「トーチライト」
瞬間、奈緒が構えた拳銃の先に、野球ボールほどの大きさがある光の球が浮かび上がった。
光は、くるくると奈緒の周囲を飛び回ると、やがて明達の視線の先を照らすようにふわふわと浮かんで宙に止まる。
「……な? 言った通りだろ?」
その様子を見ていた奈緒は、視線の先に浮かぶ光球を見ながら笑った。
「攻撃魔法じゃないな、とは名前を見た時から思ってたんだ」
「実は、球に触れると爆発したりしませんか?」
言って、明は手元にあったミネラルウォーターを一気に飲み干すと、空になったペットボトルを光球にむけて放り投げた。
弧を描いて飛んだペットボトルは光球にぶつかり、何事もなかったかのようにその光を通過して地面に転がる。
対して、明にペットボトルをぶつけられた光球はと言えば、ペットボトルがぶつかったその瞬間だけは、まるでその行為に抗議をしているかのように、周囲を照らす光を僅かに明滅させていたが、結局は爆発も弾ける様子もなく、変わらず奈緒の行く先を照らすように宙に浮かび続けていた。
その様子を見ていた明は声を漏らして考え込むと、おもむろに立ち上がってその光球へと近づいた。
「あっ、おい! 一条!!」
奈緒も、明が何をしようとしているのか気が付いたのだろう。
すぐに声を上げて制止してくるが、その言葉は明の行動を止めるには少し遅すぎた。
明は、宙に浮かぶ光球に向けて迷いなく手を伸ばすと、その光球が害のあるものなのかどうかを自らの身体を持って確かめたのだ。
「……すり抜ける」
明は、光を掴もうとして通過する自らの手を見つめながら呟いた。
そうしていると、ふいに光球が動き出す。見れば、段差に腰かけていた奈緒が立ち上がったところだった。
「お前――――ッ! 馬鹿か!! 攻撃魔法じゃないとは確かに言ったけど、本当にそうなのかどうかも分からないんだぞ!? まずはモンスターで試してから、実際に私たちに影響がないのかを確かめるべきだろうが!!」
「あ、ああ……。そう言えば、そうですね」
言われて、明は自分の行動がいかに軽率だったのかに気が付いた。
宙に浮かぶ光球から離れると、明は自分の行動を反省するように奈緒へと向けて頭を下げる。
(……ダメだな。死に戻りすることに慣れ始めてる)
――もしも、これで死んだら。
なんて考えは確かにあったが、それに対する警戒が薄かったのも事実だ。
明は、そんな自分に向けて呆れたため息を吐き出すと、奈緒へと視線を向けて言った。
「でもこれで、この魔法が攻撃魔法ではないことは証明されましたね」
「……私の不本意ながら、な」
ちくりと、奈緒が言った。
その言葉に、明は誤魔化すような笑みを浮かべて、会話の矛先を変えるように口を開く。
「他の魔法はあるんですか?」
「……まあ、あと一つだけ、あるにはあるが」
「教えてくださいよ。新しい魔法」
「お前なぁ……。はぁ……、分かったよ。ただし、今度はいきなり確かめようとするなよ?」
念を押すように奈緒は言った。
その言葉に明は小さく頷きを返すが、奈緒から向けられる視線は冷たい。その視線に、明は大丈夫だという意味を込めてまた笑って見せる。
やがて奈緒は、小さなため息を吐き出すと再び拳銃を構えて、別の魔法を口にした。
「クリエイトウォーター」
――瞬間。宙に浮かぶ光球が搔き消えて、奈緒の拳銃の先から大量の水が溢れ出す。
奈緒は拳銃の先からとめどなく溢れる流水を見つめて、ついで明へとその視線を向けた。
「覚えた魔法は、これで全部だ」
「これは……。水を創り出す魔法?」
「名前からすれば、そうだろうな」
「飲めるんですか?」
「……いきなり試すなよ?」
明をじろりと睨みながら、奈緒は言った。
その視線に、明は小さく笑って誤魔化すと奈緒が創り出す水を見つめた。
(水を創り出す魔法か。仮に飲むことが出来れば、飲み水を探す必要は無くなるけど。――そうだ、鑑定で詳細が見れないか?)
さっそく、明は思いついたことを試してみることにする。
「鑑定」
すると、思った通りだ。
奈緒が創り出す流水に『鑑定』スキルが反応して、鑑定画面が表示された。
――――――――――――――――――
生成水
・状態:硬水
――――――――――――――――――
・魔素含有量:0%
・追加された特殊効果なし。
――――――――――――――――――
魔力により生成された水。飲水可能。
――――――――――――――――――
「一応、飲めるみたいですよ?」
明は、その画面を見つめながら言った。
「鑑定してみましたが、飲水可能だって出てます。硬水らしいです」
「…………硬水? いや、それ……。私たちが飲んだら、水あたりするヤツじゃ」
「まあ、そうですね」
明は奈緒の言葉に頷いた。
軟水に慣れた日本人が、海外で硬水を口にした途端に水あたりを起こして下痢になるというのは有名な話だ。
実際に、この魔力で創り出した水を口に含もうと思うのなら、少しずつ飲んで身体に慣らしていかねばならないだろう。
「飲めるのか……」
奈緒は呟くように言って、再び拳銃の先から溢れる流水を見つめた。
訝しむようなその表情を見るに、奈緒は未だに明の言葉を信じてはいないのだろう。
明はそんな奈緒に向けて、ふと疑問に思ったことを口にする。
「ところで、この水。いつ止まるんですか?」
「…………」
明の言葉に、奈緒の返事はなかった。
ただ言われて気が付いたように、戸惑った表情で明と拳銃を交互に見つめた奈緒の様子を見て、明は、ああなるほど、と察する。
(止め方……。分からないんですね)
「一条……」
「はい」
「どうすればこれ、止まるかなぁ」
助けを求めるように呟かれるその言葉に、魔法を使うことが出来ない明は、愛想笑いを浮かべる事しか出来なかった。