動機
「――――ッ!」
三十度目。
ハッとして目を見開くと、そこには闇に閉ざされた暗い室内が広がっていた。
部屋の片隅には奈緒が腰かけていて、開かれた窓に向けて煙を吐き出している。
暗闇に灯された唯一の小さな光点は、奈緒が咥えたタバコの先端だ。
奈緒が息を吸い込むと同時に、その小さな光点は存在を主張するように微かにその姿を大きくさせていた。
(……良かった。生きてる)
明は、ぼんやりとしながらタバコを燻らせる奈緒の姿を見て、大きな安堵の息を吐き出した。
それから、すばやく周囲を見渡して状況を確認する。
どうやら、今度の黄泉帰り先は奈緒と共に身体を休めていたマンションの室内らしい。察するに、今はちょうど二人でポイントの割り振りを行っていた最中のようだ。
(やっぱり、ボスを倒せば黄泉帰り先が変更されるのか?)
明は、変更された死に戻り先へと思考を巡らせた。
これまでに二度、変更された死に戻り先はすべてボスの討伐直後だ。正確に言えば、一度目の変更地点はボスの討伐直後とは言えないのかもしれないが、それでも、黄泉帰り先の変更にはボス討伐が関係していることは間違いないだろう。
(……それよりも、今は奈緒さんのことだ)
心で呟き、明は奈緒へと視線を向けた。
今はまだアーサーがその姿を現していないが、あの男がもうすでにこの部屋の中にいるのは間違いない。
あの男と出会い、紹介されるがままに花柳彩夏と出会って、奈緒は殺された。
ならば、この人生では彩夏と出会うわけにはいかない。
そう心に決めた明は、さっそくアーサーに断りを入れようと暗闇に向けて声をかけた。
「アーサー、そこに居るんでしょ? もう姿を隠す必要はない。出て来てください」
「一条? どうした、急に――――」
と奈緒が明の言葉に驚き、声を上げたその時だ。
「…………ほぅ? 驚いたな。いつから、私がここに居ると気が付いていたのかね?」
奈緒の言葉を遮り、闇の中から滲み出るようにその男が姿を現した。
「ッ!?」
あまりにも突然のことに、奈緒がビクリと身体を震わせて動きを止めた。
姿を現したアーサーは、驚く奈緒に向けて満足そうな笑みを浮かべて見せると、ついで、全く驚く様子を見せない明へと興味深そうな視線を向けた。
「ふむ。どうやら、お嬢さんは私のことに気が付いていなかった様子。となると、君だけが私の『隠密』を見破ったことになるが……。ふむ。ふむふむふむ。いったいどうして、それが君に出来たのか気になるね。私の隠密は、『索敵』のスキルじゃ看破できないはずだが?」
「別に、大したことじゃない。あんたがそこに居ることを、俺はもう知っていただけだ」
明は、呟くようにそう言った。
すると、その言葉の意味を察したのであろう奈緒が、ハッとした表情で小さく息を飲む。
アーサーは、そんな明達の様子にまた唸りを上げると、思案顔となって口を開いた。
「なるほど? それは、予知か何かのスキルの影響かな?」
「……そんな感じです。だから、俺はもう、あんたがどうして俺たちの前に出てきたのかを知っている。その上で、単刀直入に言います。アーサー、申し訳ないがあんたのお願いは聞き入れられない」
アーサーは、明の言葉に微かな驚きを見せるとやがて小さな笑みを浮かべた。
「……うむ。長いこと生きてきたつもりだが、何かを言う前に何もかもを見透かして断られたのは初めてだ。理由を聞いてもいいかな?」
「あんたの仲間――花柳彩夏に、奈緒さんが殺されるからだ」
「なっ!?」
その言葉に、奈緒がまた驚きで声を上げた。
驚くのも無理はない。奈緒からすれば、唐突に自分が殺される未来があったのだと告げられたようなものだ。
「間違いない、のか?」
奈緒は、明に向けて言った。
「……ええ。そうじゃなければ、俺は今、ここに居ませんよ」
その言葉に、奈緒は「そうか……」と呟くと口を閉ざした。
明が黄泉帰りをした理由。それを、明の言葉から薄々と察したのだろう。
明は、口を閉ざした奈緒から視線を外すと、再びアーサーへとその目を向ける。
「このまま、あんたと行動を共にすれば、俺たちは花柳といつかは必ず出会うことになる。そうなればいつまた、奈緒さんが殺されないとも限らない。アイツがあんたの仲間である限り、俺はあんたと共に行動するつもりはない」
「ふぅむ……。にわかには信じがたい言葉だが……。花柳くんがお嬢さんを殺した? どうやって? お嬢さんは、花柳くんよりもレベルが上だ。ステータスも必然的に上回っている」
「俺が持っていた、鉄剣を使っていた。それを使えば、多少の筋力と耐久の差は関係がなくなる」
「鉄剣? これのことかな?」
言って、アーサーは壁際にある鉄剣を手に取ると、持ち上げようとする。――が、その鉄剣はビクリとも動かない。
アーサーは鉄剣から視線を外すと、明へと目を向けた。
「本当に、花柳くんがこれでお嬢さんを? この剣、重過ぎて持ち上がらないのだが」
「アーサーの筋力値じゃあそうかもな。けど、花柳の筋力値なら持ち上がる」
「ふむ、なるほど」
アーサーは鉄剣から手を離すと、思案顔となって顎髭を撫でた。
「その話が本当かどうかは分からないが……。君たちにはまだ話していない、花柳くんのことを知っているとなると、私は君の話を嘘だと断言することが出来なくなる。……しかしだね。そうなってくると、ますます分からなくなるのが花柳くんの動機だ。聞けば、君たちは私の紹介で花柳くんに出会ったのだろう? それなのに、出会ったばかりの君たちを、花柳くんが殺そうと思うかね? むしろ、別の誰かが殺したのではないかと、私は思うのだが」
明は、アーサーの言葉になるほど、と思案した。
アーサーのバーがあったあの雑居ビルは、入り口がバリケードで塞がれていた。とはいえ、入り方さえ知っていれば誰もが入れるような場所だ。加えて、アーサーは別の出入り口があることも言っていた。
アーサーが出て行き、明達が寝入った後に別の人物が入り込んで奈緒を殺した可能性もありえなくはない。
しかし、だとすればどうして、花柳彩夏はその場から姿を消していたのか。
そもそもどうして、奈緒だけが殺されていたのか。
(奈緒さんが殺された理由……。それはきっと、俺よりもステータスが低いからだ。オークの鉄剣の攻撃力だけじゃ、俺の耐久は破れない。だから、残った中でも殺しやすい奈緒さんが殺された?)
理由としては、そんなところだろうか。
アーサーは、考え込む明に向けて言葉を発する。
「……と、いうわけで。私は花柳くん以外の人物がお嬢さんを殺した説を推そう。仮にお嬢さんを殺したのが花柳くんだとしても、私がそうならないよう目を光らせておくから……と言っても、どうやら君は、もうすでに私の話を聞き入れる気がないようだね」
アーサーは、そう言って明を見つめると小さく笑った。
アーサーの言う通りだった。奈緒を殺したのが花柳であろうが花柳じゃなかろうが、このまま共に行動をすれば、奈緒がまた殺される可能性は否定できない。
決まった未来を覆すには、そもそもの根底を変えるしかないのだ。
「そうですね。この結論は、何があっても変わらない。俺は――いや俺たちは、キラービーの巣へと向かわない」
はっきり、明はその言葉を口にする。
するとアーサーは、感情の読めない笑みをその口元に浮かべると、ため息とともに口を開いた。
「……よかろう。残念だが、君たちのことは諦める。もしも気が変わったら、私の元へと訪ねてきてくれ。私のいる場所は分かるのかな?」
「通りから外れた雑居ビルの中にあるバーですか?」
明は、アーサーの言葉に答えた。
その言葉に、アーサーはニヤリと笑みを浮かべる。
「……なるほど。そこも知っているのか。となると、ますます君が言った言葉の信憑性が高くなるね。ふぅむ、それにしても花柳くんが殺人か……。人は見かけによらないとはよく聞くが、まさにその通りだな。彼女と共に行動することを、私も考え直さねばならないか?」
呟きを漏らすと、アーサーは身を翻して玄関へと向けて歩き出す。
「では、お邪魔したね。縁があればまた会おう」
言うと、アーサーの姿はゆっくりと闇に滲み溶けていくようにして、消えた。
前話のあとがきに関して、多くのご意見ありがとうございました。
ひとまず、テンポ問題ないという意見が多かったのでこのまま最後まで投稿してみます。