幕引き
「……ひとまず。夜明け前まで休憩しましょうか。それから移動しても、朝には柏葉さんが居る病院には着きますし」
アーサーが居なくなり、途端に店内が静かになったからだろうか。
もしくは、さきほどまで飲んでいたウィスキーが今になって効いてきたのかもしれない。
ぼんやりとしていると、やがて頭の中には靄がかかったように思考が鈍りはじめて、急激に襲ってくる眠気に欠伸をしながら、明は奈緒に向けて言った。
「そう…………だな」
明と同じように、欠伸をしながら奈緒が頷く。どうやら、奈緒も明と同じく眠気が強いようだ。
明は、そんな奈緒から視線を外すと彩夏へと向けて言った。
「すまん。ちょっと、寝ててもいいか?」
「あたしは別に、それでもいいけど……」
彩夏は明たちから視線を逸らしながら言った。その様子を見るに、どうやら彩夏は眠たくないようだ。
(まあ、花柳はさっきまで寝てたしな)
とそんなことを思いながらも、明は彩夏に向けて「悪いな」と断りを入れると、店の隅へと移動し、壁に背中を預けるようにして座り込んだ。
「…………」
次第に意識が遠ざかりはじめる明の耳に、奈緒と彩夏の会話が聞こえた。
どうやら、寝ている間に彩夏が見張りをしてくれるようだ。
「それじゃあ、時間になったら起こすから」
そう言って、彩夏がガリガリと口の中の飴を噛み砕く音が店内に響いていた。
(……花柳には、起きたら……礼を言う、か)
うつらうつらと、頭を揺らしながら明はそんなことを考える。
そうして明は、辛うじて繋いでいた意識をゆっくりと手放したのだった。
◇ ◇ ◇
明が目を覚ましたのは、それからしばらくしてからのことだった。
「…………」
寝起きと同時に鼻につくむせ返るような嫌な臭い。その臭いに、明は思わず眉を顰めると、残っていた眠気を飛ばすように一度大きな欠伸をする。
「……奈緒さん?」
そうして店内を見渡したところでようやく、明は、奈緒の姿がそこにないことに気が付いた。さらには、彩夏の姿も店内にはない。それどころか、壁際に立てかけていた豚頭鬼の鉄剣も、奈緒たちと同じくその場から無くなっていた。
「…………」
じんわりと、心の内側に不安が広がる。
何かがおかしいと、『第六感』による直感が囁いてくる。
「奈緒さん?」
再び、明は静かな店内に向けて声を出した。
――返事はない。
まさか、トイレにでも行っているのだろうか。
そんなことを考えた明は、奈緒を探そうと身体を起こしたところで、ようやく気が付く。
「――――――ぇ?」
バーカウンターの奥で、辺りに飛び散った真っ赤な血の痕。
その床に広がる真っ赤な血だまりと、その上に倒れた彼女の姿を。
「…………奈緒、さん?」
奈緒には、首が無かった。
さらには、血だまりの上に倒れた彼女の身体にはまるでそれが墓標だとでも言うかのように、明が使っていた豚頭鬼の鉄剣が背中から床に深々と突き刺さっている。
おそらくは、首を切り離されてもすぐには死ななかったのだろう。
床に倒れた手足の傍にはその拘束から逃れようとしていたのか、無数の引っ搔き傷が床に出来ていて、さらには奈緒の指先の爪は何枚も剥がれていた。
「――――――」
その光景に、明は思わず息を止める。
それからすぐに、『シナリオ』の効果によって奈緒が獲得した、『不滅の聖火』によって、首を切られてもすぐには死なず、しばらくの間、彼女が生きていたことに気が付いた。
「――――ァ、ぁあッ」
知らずと、声が漏れた。
床に縫い留められた身体の先に転がる、奈緒の首が目に入ったからだ。
見開かれたその瞳は、もはや光を映さず淡々とした視線を明に向けている。夥しい血の量によるものなのか、その顔色は血色というものを感じさせないほどに白くなっていた。
「ぁあああああああああッ!!」
叫び、明は奈緒の元へと駆け出した。バーカウンターを乗り越えて、彼女の血に滑り、床を這うようにして彼女のもとへと近づく。
「奈緒さんッ! 奈緒さんッッ!!」
必死の形相で鉄剣を引き抜き、その身体と首を抱き寄せた。冷たい身体だ。その冷たさが、七瀬奈緒という女性がもう死んでいることを嫌というほどに分からせてくる。
「何でッ!? どうしてッ!!」
奈緒の身体を抱きしめながら、明は心からの叫びをあげた。
状況が分からない。
一体何が起きている!?
どうして、目を覚ませば奈緒が死んでいるんだ!!
「黄泉帰り!! なんで、黄泉帰りが発動してないんだ!!」
明は激情を叩きつけるように、言葉を吐き出した。
――いや、自分でもその理由が分かっている。
奈緒の死によって発動していた黄泉帰りは、あのシナリオの最中だけだ。
奈緒のシナリオはもう、終わっている。
それはすなわち、彼女がこの先何度死んだとしても、もう二度と過去には巻き戻らないということに他ならない。
「ッ!!」
明は、割れんばかりに奥歯を強く噛みしめる。
唐突に奈緒が死んだこの状況に。モンスターでもなく、明らかに人為的に殺されたとしか思えないこの状況に。
明は、胸の内に燻る怒りの炎を感じた。
ゆらりと。奈緒を床へ横たえて、立ち上がる。
何か、ほんの少しでも。奈緒を殺した人物に辿り着くものは何かないかと、明は周囲を探る。
しかし、辺りを探っても何も見つからない。
店の中にあるのは、アーサーが残した食べ物や水だけ。それらしいものは何一つとして残されていない。
(……ということは、手がかりはただ一つ)
心で呟き、明は奈緒の身体を貫く鉄剣へと視線を向けた。
豚頭鬼の鉄剣。それは、筋力値60以上でしか扱うことが出来ないものだ。筋力値が低ければ、持ち上げることもままならない。
ゆえに、そんな道具を扱える者は、この店に残った人物の中でも一人しかいなかった。
「………………花柳か」
ゆっくりと、明は言葉を吐き出した。
そして、心の内で燃える激情に促されるように、明は壁に立てかけていた猛牛の手斧を手にすると店を飛び出す。
(どこだ。どこだ、どこだ、どこだ!!)
怒りに叫びを上げながら、明は雑居ビルの中をくまなく探す。
けれど、その姿は見つからない。ならばと街に飛び出し、今度は手あたり次第に周囲を探していく。
民家の中、周囲にある他の雑居ビル、スーパー、コンビニ、路駐して放置された車の中。
走って、走って、走り回って。
そうして、どこにも花柳の姿がないことを確認して、明はようやく、その足を止める。
「クソッ!!」
怒りに任せて、明は傍にある自販機を力任せに蹴った。
尋常ではない力で蹴られた自販機は、凄まじい音と共に凹み、吹き飛び、アスファルト舗装の上を転がる。
もしかすれば、花柳はもう、この街に居ないのかもしれない。
あの状況からして、奈緒が死んでからかなりの時間が経っていることは確かだ。
「…………」
力なく、明はその場に座り込んだ。
奈緒を殺した人物の目星はついている。彼女が奈緒を殺したその理由は分からないが、状況からしてそれを成し得られるのも彼女しかいない。
それに今、彩夏がこの場に居ないということも、それが正解でもあるということだ。
――――しかし。
今、アイツを追いかけて復讐に囚われて殺したところで、どうなるというのか。
奈緒はもういない。アイツを殺したところで、戻って来るわけでもない。
それならば、いっそ。今度は奈緒が殺されないように、この出来事を次に活かした方が良いのではないだろうか。
「……こんなの。こんなの、俺は認めない。奈緒さんが死んだままになんて、出来るはずがない」
明は、そう呟くと手にした手斧を振りかざして自らの首元に押し当てた。
「こんな人生、俺は認めない」
吐き捨てるように言って、明は勢いよく手斧を振り下ろした。
同時に電流のような激痛が全身を貫き、一瞬にしてその意識は闇に閉ざされる。
一条明に即死を免れるようなスキルはない。
ゆえにその行動が、一条明にとっての二十九度目となるこの人生に、幕を下ろす行動となってしまった。
テンポ改善のためにここまでの流れを大幅に改稿しようかと思っています。
ご意見いただければ幸いです。