しばしの別れ
奈緒たちが戻り彩夏が明に向けてもう一度、失言に対する謝罪をした後。
バーカウンターに腰かけた彼らの話題は、これからのことが中心となった。
「まず、当面の目標は『毒耐性』を得るためのポイント稼ぎだね」
明たちの前に「秘蔵の物だ」と言って、バーカウンターの奥からオレンジジュースが入ったペットボトルを持ってきたアーサーがそう言った。
「『毒耐性』を取得するのに必要なポイントは20だったかな?」
「そうですね」
と、アーサーからオレンジジュースの注がれたグラスを受けとりながら明が頷く。
「あとは、『調合』で解毒薬が作れるのかどうかと、本格的な防具ですかね」
「防具に関しては当てがあると言っていたが、大丈夫かね?」
「俺が居た街に、『武器制作』と『防具制作』のスキルを取ろうかと悩んでる人が居ました。その時は、ポイントが足りずに取得出来ていませんでしたが……。あの人のレベルさえ上がれば、防具の問題は解決できます」
「柏葉さんのことだな?」
奈緒が明の言葉に呟いた。
その言葉に、明は小さく頷き続きの言葉を口にする。
「ええ。最悪、パワーレベリングでも何でもやりますよ。……もちろん、本人の許可を取ってから、ですが。……ただ、問題はパワーレベリング中に死ぬ可能性があるってことです。それに、パワーレベリング自体もすぐに終わるわけじゃない。レベリング中に反転率が進み、モンスターが強化される可能性だってある」
「しかし、今は反転率が止まっている。その間でどうにか出来ないのかね?」
アーサーが明へと問いかけた。
その言葉に、明は難しい顔になって唸りをあげる。
「俺と同じく、次回への〝引き継ぎ〟が出来るなら可能ですよ。……でも、この力は俺だけのものだ。誰しもが短い間に、急激に力を身に付けるなんてことが出来るはずがない。反転率がいつ動き出すのか分かりませんが、そう簡単にはいかないかと」
その言葉に、アーサーは「ふむ」と唸り、奈緒へと視線を向けた。
おそらくは、明達が『シナリオ』のことを隠しているがゆえに、急激に力を身に付けたと思われる奈緒のことを疑っているのだろう。
奈緒は、アーサーの視線から表情を隠すように、アーサーから貰ったオレンジジュースのグラスへと口を付けた。
「っていうか、そもそもだけど。その、『防具作成』のためにその人のレベルを上げるのも大切だけどさ。あたし達が『毒耐性』を取るために、今からポイントを20も溜め込まなくちゃいけないんでしょ? 他の人のレベリングしてる暇なんてあるの?」
パーカーのポケットから棒付キャンディーを取り出した彩夏が、それを口に咥えながら言った。
「花柳の言う通りだな。『毒耐性』スキル、『調合』、防具。全部をそろえようと思えば、いくら何でも時間が足りない。その間に、次のモンスターの強化が来てしまえば、さらに巣へと乗り込むのは難しくなるぞ?」
奈緒が彩夏の言葉に同意する。
その言葉に、アーサーも同意を示すように頷いた。
「そうだね。準備を整える間に、次の強化が来てしまえば元も子もない。出来れば、今の状態を維持したまま、ボスに挑むのがベストだ」
「それじゃあ、どうする? 時間が足りないからって、準備もなくこのままキラービーの巣に乗り込んだところで、俺たちに待つのは毒死の未来だ」
明が言ったその言葉に、奈緒は小さく身体を摩った。
おそらく、キラービーに殺されたことを思い出したのだろう。その様子を見ながら、明はさらに言葉を続ける。
「俺の力で、試行錯誤をしながらボスの攻略法を探ることは出来るけど、無策で挑むのはそもそも論外だ。意味もなく、俺は死ぬつもりなんてない」
明の言葉に、全員が唸りを上げて黙り込んだ。
その様子を見ながら、明は思考を巡らせる。
(……手詰まりだな。時間が足りない。ポイントに関して言えば、シナリオが使えれば一気に解決できることだけど、この二人をまだ信用することは出来ないし、そもそも発生しないものを頼れない……。あと、俺が使える手と言えば『インベントリ』だけど――――)
心で呟き、明はふと気が付く。
(……待てよ。『インベントリ』? それがあれば、少なくともパワーレベリングで進む反転率の問題は解決出来るか? 『防具制作』で防具を作ってもらった後に、その防具を『インベントリ』に登録して死に戻りさえすれば、パワーレベリングに掛かった時間そのものが無かったことになる。結果的に、反転率は進んでいないことになるし、本来ならあるはずのない完成した防具が死に戻り先ですぐ手に入る)
ただ、そうなってくると次の問題は、パワーレベリング後の死に戻り先だ。
(ボスも倒して奈緒さんのシナリオもクリアしているから、今の死に戻り先はウェアウルフを倒した後になってるとは思うけど……。パワーレベリングをした後に、反転率が進んだ状態で死に戻り先が変更されると厄介なんだよなぁ……)
黄泉帰りによる特定地点の変更。それが、どのタイミングで行われているのかもまだ分からない。
下手に時間を掛けすぎれば、思わぬところでセーブ地点が変更される可能性だってある。
(こっちはこっちで、いろいろ厄介なんだよなぁ……)
と、明がそんなことを考えていた時だ。
ふいに、彩夏がだらりとバーカウンターへと身体を預けて、考えることに疲れたのか声を上げた。
「あー、もう、分かんねぇ! 全部をやろうとすれば、準備に時間が掛かりすぎるって!! アーサーのオッサンには悪いんだけどさ、今すぐに巣に乗り込むのは無理のような気がしてきた」
「ううむ……そうだな。現実的に考えれば、今すぐに奴らの巣に向かうのは無理のようだ」
アーサーは彩夏の言葉に呟いた。その表情を見ればまだ諦めきれてはいないようだが、同時に、協力してくれる明達を死なせたくはないと思っているようだ。
アーサーは、深いため息を吐き出すと、その視線を明達へと向けてくる。
「……分かった。一度、巣に向かうことは置いておこう。まずは準備が必要だね。そのための時間を稼ぐにはどうすれば良いのかをまず考えようか。とはいっても、結論は出ているようなものだがね」
明は、その言葉に小さく頷いた。
「ええ。反転率が動いていない、今の間にもう一度、別のボスを倒す。時間を稼ぐなら、それしか方法はないですね」
「うむ、そうだね。と、なると……。問題は、どのボスを相手にするのかということだが……」
アーサーが言ったその言葉に、明は記憶を思い返す。
明の知る限りで、周囲の街々に残るボスはハイオーク、ギガント、リザードマンにハルピュイアだ。どのモンスターも、強化前の当時のレベルで70を超えている。強化が行われた今、確実にそのレベルは100を超えていることが予想できた。
「せめて、今のボスのレベルとステータスが分かればな…………」
呟かれた明の言葉に、アーサーが考え込むように顎髭を撫でた。
「ふむ……。ならば、私がその役目を果たそう。『隠密』があればそこらのモンスターに気付かれることはないし、双眼鏡でも使って遠目から『解析』をすれば、ボスに気付かれることが無いはずだ」
「良いんですか? ボスの様子を見てくるってことは、もしかすれば、その……」
「うむ。死ぬ可能性もあるだろうな。……だが、元を正せば君たちには私のお願いを聞いてもらっているのだ。だったら、まず私が動くべきだろう」
言って、アーサーはニヤリと笑みを浮かべた。
「私が周囲のボスを探っている間、花柳くんにはその、柏葉という人の元に向かってもらおう。私がボスを探っている間にその人が死んでしまえば元も子もない。一条くん達も、その人の元に向かってもらってもよろしいかな?」
「分かりました」
明はアーサーの言葉に頷いた。
アーサーがボスの様子を探ってくれるのならば、それはそれでありがたい。問題は、ボスが持つスキルをアーサーの『解析』では見ることが出来ないという点だが、そのあたりは次に挑むボスを決めた後にもう一度、探りを入れれば済む話だろう。
(その間に、俺は俺で少しでも自分のレベルをあげておくか)
自身のポイントに関して言えば、クエストで賄える。
問題は奈緒や彩夏のポイントだが、それに関しては各自でレベルアップを頑張ってもらうしかない。
それから、明達はさらに詳細を詰めていく。一度別れるアーサーとの合流地点を明達が居た病院に決めて、アーサーの偵察期限を、以前に明が確認したモンスターの強化が行われない反転率3.37%までとした。
「うむ。では、それまでに戻らなければ、私は死んでいると思って構わない。私が死ねば、私のお願いは綺麗さっぱりと忘れてくれ」
言って、アーサーは明たちの顔を見渡した。
「それではさっそく、私は出掛けてくる。君たちは少しでも身体を休めて、ここを発つといい。ああ、鍵は頼むぞ? ステータスのおかげで、もはや意味もなさなくなってしまった産物だが、だからといって鍵をしない理由にはならないのでね」
アーサーはポケットから小さな鍵を取り出すと、バーカウンターの上に鍵を置いて、
「では、しばしの別れだ。諸君!」
声を上げながら笑うと、颯爽と店の外へと出て行ってしまった。