見かけによらない
――それから。
その騒ぎがようやく落ち着いたのは、数分後のことだった。
アーサーに促されるようにして奈緒へと謝罪の言葉を口にした彩夏は、口に咥えた棒付キャンディーをガリガリと噛み砕きながら、ムスッとした表情で黙り込んでいた。
一方で、明に宥められた奈緒はもう一度席に着くと、アーサーにお詫びだと言って出されたウイスキーをちびちびと呷っている。
話題は再び、ウェアウルフを討伐したことについてだ。
奈緒は、ウイスキーを傾けながらアーサーに向けて言った。
「さっき、私がウェアウルフを倒したっていう話になっていたが……。私は、ほとんど何もしていない。最後に少しだけ、戦闘に参加したぐらいだ。ウェアウルフを倒したのは、ほとんど一条だよ」
「おや、そうなのかね? ハハハ、申し訳ない。私が見ていたのは最後のあたりだったからね、二人がどんな戦いをしていたのかはよく知らないんだ」
「それじゃあ、何? ウェアウルフを倒したのは、このオバ――……この人じゃなくて、こっちのレベルが低い方なの?」
彩夏は、アーサーとオリヴィアに睨まれてその途中の言葉を言い直しながら、明を見つめて言った。
「レベル13でしょ? どんな手を使ったの?」
「ハハハ、花柳くん。レベル13だとは言ったが、そのステータスが貧弱とまでは私は言ってないぞ? 彼――一条くんのステータスは、ここに居る誰よりも高い。筋力にいたっては200の直前だ。彼が本気を出せば、私たちはもれなくミンチだ。気を付けたまえ」
「――――は? 200?」
アーサーの言葉に、彩夏が明をまじまじと見つめた。
「この、冴えない男が?」
「ふむ……。君も、これから長く生きれば嫌でも分かると思うが、人は見かけによらないものだ。特に、レベルやステータスといったものが現れた今、それはなおさらだよ?」
アーサーは、ニヤリと笑って彩夏の言葉に答えた。
「……とはいえ、花柳くんの言葉も分かるというもの。たったレベル13で、その高いステータス。いったい、どんな手を使ってそこまでになったのか、ぜひとも聞きたいものだがね?」
言って、アーサーは明を見つめた。
その言葉に、明は小さく笑うと肩をすくめて見せた。
「別に。ただ、何度もこの世界をやり直していただけですよ?」
「なるほど?」
興味深そうにアーサーは言った。
それから、少しだけ考え込むように顎髭を撫でると、明達へとその色素の薄い茶色い瞳を向けてくる。
「これから行動を共にするなら、互いのことはよく知っておくべきだが……。うむ、ここらで腹を割って、互いの手の内を明かすというのはどうかね? 私はもう自分のことを洗いざらい話したが、花柳くんの力のことはまだ話していない。一条くん、君も彼女の力は気になっているだろう?」
「おい、ジジイ! 勝手にそんな約束を――――」
「どうせ一緒に行動すれば、君の力はおのずとバレるのだ。その戦闘スタイルを、変える気はないのだろう? それとも、彼らに隠れてその力を使っていくかね? 私は絶対に無理だと思うが」
「――っ」
彩夏は言葉に詰まると、舌打ちと共に口の中の飴を噛み砕き、やがて大きなため息を吐き出すと口を開く。
「……あたしの固有スキルは、『神聖術』だ。効果は、私自身のレベルに応じて、ポイント消費で取得するスキルとは別に、私専用のスキルが追加されるってやつ。今、あたしのレベルで使えるスキルは三つ。『自己回復』、『聖楯』、『沈黙』。どのスキルも、一日に使える制限は五回。それ以上は使えない」
彩夏はそう言うと、明へとその目を向けた。
「次、アンタだけど?」
その言葉に、明は小さく頷き口を開く。
「俺の固有スキルは、『黄泉帰り』だ。効果は、俺が死んだ時に、今あるスキルとステータスを維持したまま、過去の特定地点で生き返るというもの。……簡単に言ってしまえば、タイムリープみたいなものだな」
明は、『インベントリ』と『シナリオ』の効果を隠して伝えた。彼らと行動することを決めたが、まだ心の底から信用はしていなかったからだ。
インベントリは未来で手に入れた物を過去に持ち込むことが出来る効果だし、シナリオに関して言えば、悪用されればポイントと固有スキルを与えただけで持ち逃げされる可能性だってある。シナリオの発生条件が分からない以上、今は隠しておくのが一番だと考えた。
「……ほぅ?」
「タイムリープ?」
アーサーと彩夏、二人が明の言葉に同時に呟いた。
彩夏は、眉間に深い皺を刻み込むと明を見つめる。
「それじゃあ、何? アンタ、今まで何度も死んできたってこと?」
「そういうことになるな」
「へぇ……?」
彩夏は、そう言って笑うと口元を吊り上げた。
「いいね、最強じゃん。何度死んでも、生き返ることが出来るなんて。しかも、今ある能力を引き継げるんでしょ? あたしも、どうせならそんな能力が良かったなー」
その言葉に、隣に居た奈緒がピクリと身体を動かした。
奈緒は、手にしたグラスを傾けるとゆっくりと言葉を吐き出す。
「…………一条の、コイツの能力は、そんな良い物じゃない。何度もやり直せる、ゲームとは違うんだぞ? 少なくとも、コイツの力はお前のような人じゃ耐えられない力だ」
「は? 何それ、どういう意味よ」
彩夏はドスの効いた声を出すと、身体を乗り出して奈緒を睨み付けた。
奈緒は、そんな彩夏に向けて冷めた視線を向けると、ゆっくりと言葉を口にする。
「一度死んでから、そんな言葉を言えって言ってんだよ。コイツの力を、そう簡単に使えるだなんて思うな」
奈緒にしては珍しく、凄みの効かせた言葉だった。
そんな奈緒に、彩夏は気圧されるように一度喉を鳴らすと、小さく鼻を鳴らして口を開く。
「一度死んでから? 何、言ってんの。そんなの、世界がこんな風になれば誰だって一度はあるでしょ。私だって、この固有スキルを手に入れる前に、モンスターに殺されかけたし――――」
「殺されかけた、じゃない。実際に殺されてんだよ、コイツは。何度も、何度も、何度も。それでもコイツは、こうして今も立ち上がってる。コイツは――――」
「奈緒さん。熱くなりすぎ。お酒、結構回ってるでしょ」
明は、そっと奈緒の言葉を遮った。
見れば、奈緒の顔はほのかに赤くなっていた。ウェアウルフと戦い、さらには空きっ腹で度数の高いアルコールを入れたからだろう。普段の奈緒にしては、珍しく少ない量で酒に酔っているようだった。
「…………ああ、みたいだな」
奈緒は、明の言葉に小さく呟いた。
「少し、外に出てくる」
奈緒は呟くようにそう言うと、席を外して店から出て行ってしまった。
その背中を見送っていたアーサーは、「ふむ……」と呟くと背後のオリヴィアへと目を向ける。
「オリヴィア、悪いが彼女に付いて行ってあげなさい。モンスターが襲ってきては大変だ。何かあってはいけない」
その言葉に、オリヴィアは小さく頷くと奈緒を追いかけるようにして扉をすり抜けて行った。
「ほんと、なんなの。あの人」
彩夏は、居なくなった奈緒に向けて苛立っているようだった。
舌打ち混じりにポケットから棒付キャンディーを取り出すと、それを力任せにガリガリと噛み砕き始める。
明は、そんな彩夏に向けて目を向けると、呟くように言った。
「……すまん。奈緒さんも、悪気があったわけじゃないと思う」
「だから何? ただの感想に、なんであんなこと言われなきゃいけないわけ?」
「…………奈緒さんも、俺と同じく死んだことがあるからだ。だから、死ぬってことがどれだけ辛くて、苦しいことなのかを知っている。花柳……だっけ。花柳は、数十を超えるモンスターに囲まれたことはあるか? モンスターに身体の肉を喰われたことは? 痛みで気を失って、それでも死ねずにまた痛みで意識を取り戻した経験は? ……ないだろ? だから、奈緒さんは怒ったんだよ。俺の力は、そんな簡単なものじゃないって」
静かに、明は言った。
その言葉に、彩夏は明の言いたいことを察したのだろう。ハッとした表情になると、視線を逸らして口を開いた。
「別に、あたしは……。そんなつもりで言ったわけじゃ……。ただ、本当に羨ましいと思って、それで……」
「……ああ、分かってる。俺も、今の力を引き継ぎながら何度もやり直してるって話だけを聞けば同じことを思っただろうさ。でも、今回はちょっと、タイミングが悪かったな。あの人――奈緒さんは、ようやく立ち直ったところだったから。だから、余計に気に障ったんだろ」
その言葉に、アーサーは小さく笑うと彩夏へと目を向けた。
「うむ。君が、モンスターを相手に死に目に合いながらも生き残ったことは知っているが、それ以上の経験をしている人もいる。他人の力を羨むのは分かるが、そう簡単に口にしてはならないということだな」
「…………うん。みたいだね」
小さく、彩夏は呟いた。
「謝ってくる」
言って、彩夏は立ち上がった。すると、そんな彩夏に向けてアーサーが言う。
「その前に、君が謝るべき人が目の前にいるだろう?」
「……そうだね。ごめん。余計なことを言って」
「別に、気にしてない」
ゆっくりと、明は首を振った。
彩夏は、そんな明に向けてもう一度小さく頭を下げると、足早に店を出て行く。
「見かけによらず、素直な子ですね」
明は、そんな後ろ姿に向けて呟いた。
すると、その言葉を聞いたアーサーがニヤリとした笑みを浮かべる。
「うむ。人は見かけによらないとは、まさにこのことだね」
「あなたも、そのふざけた態度は見かけだけだったりします?」
「さあ、どうかな」
アーサーは口元に笑みを浮かべるとその表情を隠すように、手にしたグラスの中身を呷ったのだった。