生きている証
「さあ、遠慮することはない。適当なところへ腰かけてくれ」
アーサーは、二人に向けてそう言うとバーカウンターの奥へと消えていく。おそらく、そこに食べ物を保存しているのだろう。ガタガタとした物音を響かせると、やがてその手にドライソーセージを持って戻って来た。
「座らないのかね?」
入り口付近で突っ立っていた明達に向けて、アーサーは不思議そうな顔をして言った。
その言葉に、明達は何度目になるか分からない目配せをし合うと、未だ寝息を立てる少女から離れた丸椅子へとゆっくりと腰かけた。
「本当はカクテルでも振舞いたいのだが、氷がないのだ。常温でも良ければ適当に作るが、どうするかね?」
「……いえ。結構です」
「ウィスキーはどうだ? ストレートで良ければ常温ならではの風味が楽しめるだろう」
「酒を飲む気分じゃない」
明は首を横に振った。
それを見て、アーサーは「おや……」と呟くと、今度は奈緒へと目を向ける。
「お嬢さんはどうかね?」
「私もいらない」
「ふむ……そうか。では、私は飲むがよろしいかな?」
アーサーはそう言うと、明達の返事を待つことなく棚からウィスキーのボトルとグラスを取り出し、その中身を注いだ。
次いで、明達の前にミネラルウォーターのペットボトルを置くと、持って来ていたドライソーセージを手際よくナイフでスライスして、皿に出してくる。
「足りなければ、また何か用意しよう」
その言葉に、明は小さく頭を下げた。
世界にモンスターが現れて、食料や水の確保は難しくなっている。特に、肉類をはじめとする生鮮食品は、冷蔵庫が使えなくなった影響もあって早々に腐った。そこから、ある程度保存の効く食料を求めて生き残った人々がこぞって集めたものだから、今やドライソーセージを含む缶詰などといった品物はかなり貴重だ。
そんな貴重な物を、こうして躊躇うことなく出してくれるのを見るに、アーサーは自分たちのことをよほど信頼してくれているのだろう。
(……いや。それだけ、キラービーの巣へと一緒に向かって欲しいってことなのかもな)
そんなことを明が考えていると、奈緒が小さく肘で小突いてきた。
目を向けると、奈緒は明の耳元へと囁いてくる。
「これ、食べても平気か? 毒とか仕込まれてないだろうな?」
「毒なんて仕込めば、巣へと向かう戦力が減るだけなので、そんなことをする意味がないと思いますが……」
奈緒は、明の言葉に考え込んでいるようだった。
ちらりとした視線をアーサーへと向けると、出された皿をアーサーに突き出す。
「一つ、食べてくれ」
奈緒はアーサーを見据えながら言った。
「ハハハハハ! 疑り深いね! 実に結構。用心深いのは良いことだ。よろしい、では失礼して、一枚いただくよ」
アーサーは、奈緒の言葉にそう言って笑うと、突き出された皿から一枚手に取って、躊躇う様子もなく口に運んだ。咀嚼をして、口の中の物を飲み込むと、ニヤリと笑う。
「……うむ。美味いな。どうだ? これで満足かね?」
奈緒は、そんなアーサーの言葉に鼻を鳴らした。それから、いまだ疑うようにアーサーの顔を見つめると、やがて皿に乗ったドライソーセージの一つを摘み、口に運んだ。
「……美味しい」
小さな声で、奈緒は言った。
おそらく、無意識のうちに漏れた言葉だったのだろう。ハッとした表情をすると、奈緒は口にした言葉を後悔するかのように唇を噛みしめた。
アーサーは、そんな奈緒の様子を楽しむかのように喉を鳴らすようにして笑うと、明へと目を向けて口を開く。
「一条くんも、遠慮せずに食べるがいい。毒が入っていないことは証明済みだ」
「ありがとうございます」
言って、明は皿に盛られたドライソーセージへと手を伸ばした。
口に入れた途端に、程よい塩気が口の中いっぱいに広がる。咀嚼をすればするだけ溢れ出る肉の旨味に、身体が自然と酒を欲しているのを明は感じた。
「……確かに、美味いな。酒が飲みたくなる」
「ハハハ! そうだろう、そうだろう!! 私が選びに選び抜いた、絶品の物だ。マズいはずがない。……ああ、ちなみに。今からでもお酒は出せるぞ? なんてたって、ここはBarだからな!」
明は、アーサーのその言葉に小さく笑った。
「…………それじゃあ、マスターに注文を。アーサーと同じものをください」
すると、その言葉を聞いた奈緒が呆れた視線を向けてくる。
「一条……。お前、傷に触るぞ? 自動再生があるとはいえ、まだ完全に治ってないだろ」
「でも、こんな美味しい物を食べれば、気分が変わって酒が飲みたくなりますよ。それは、奈緒さんもでしょう?」
「…………まあ」
間を空けて、奈緒は同意を示すように頷いた。
それから、躊躇うように視線を彷徨わせると、奈緒は呟くように言葉を口にする。
「それじゃあ、私も貰おうかな」
「うむ、承知した」
アーサーはにこやかに笑うと、さらに戸棚からグラスを二つ取り出した。取り出したものに、ウィスキーを注ぐと明達の前へと置いてくる。
「先に渡したミネラルウォーターは、口直しにでも飲むがいい」
言って、アーサーは自分のグラスを手に取るとゆっくりと回して、味わうように口に含んだ。
それを見て、明達もゆっくりとグラスを傾ける。
途端に、口の中に広がる香りが鼻腔を刺激する。香りは全身に広がるように頭へと突き抜けて、居酒屋で奈緒と口にした生ビール以来の、久しぶりのアルコールとその度数の高さに、明は一瞬だけ視界が遠くなるのを感じた。
「――――美味しい」
ゆっくりと息を吐いて、明は言った。
その言葉に、アーサーがまた小さく笑う。
「美味いものはいつだって美味い。それが例え、世界がこんなことになろうともな。その美味いものをこうして味わうこともまた、この世界で生きている証だと私は思うのだ」
言って、アーサーは明を見つめた。
「我々が謳歌していた日常は唐突に壊れて、滅びた。ただそこにある幸せを受け入れるだけの、そんな日常はもう、終わってしまった。……一条くん。君にとっての、この世界で生きている証とはいったい何かな?」
「俺は……」
と、明がそう言葉を口にしたその時だ。
「んん…………」
明達の声がうるさかったのだろうか。それまで、身動きすることなく深い眠りについていた少女が呻いた。
「おっと、どうやら彼女がお目覚めのようだ」
アーサーは、手にしたグラスを傾けながら呟くように言った。
すると、その言葉が契機になったかのように。カウンターに突っ伏していた少女はゆっくりと身体を起こす。
「んー…………」
身体を起こした少女は、寝ぼけ眼で周囲を見渡した。ゆっくりと動くその瞳がアーサーを捉えて、次いで明達へと向けられて、止まる。
「…………あんた達、誰?」
警戒を隠そうともしない、ドスの効いた低い声。どこか幼さの残るその瞳は剣呑に細められていて、その華奢な身体からは似つかわしくない殺気が放たれる。
その様子を見て、明は「ああ、なるほど……」と直感的に察して、納得した。
アーサーの仲間である少女。花柳彩夏は、間違いなくヤンキーだった。