アーサーのお願い
「……で? 結局、目的は何だったんです? 娘がどうとか言ってたけど」
巨大蝙蝠による襲撃から数分後。
周囲に生き残りのモンスターが隠れていないことを確認した明たちは、改めて男から話を聞いていた。
とは言っても、アーサーへと問いかけているのは明だけだ。奈緒は、あまりにも胡散臭いアーサーを警戒し続けているのか、少しだけ離れた位置で二人の会話に耳を傾けていた。
「うむ、まずは見て分かる通りだが……。私とオリヴィアは、年の差婚でな。彼女との出会いは、十年ほど前になるか……。あれは私がまだ、日本語が拙い時で――――」
「そういうのはいいから。早く本題に入ってください」
バッサリと、アーサーの言葉を遮った。
この男と出会って数十分。ほんの短い時間だが、明はもうすでにアーサーの扱いを理解し始めていた。
アーサーは、明の言葉に傷ついたようでも怒ったようでもなく、「そうかね?」と言うと改めるようにして口を開いた。
「私とオリヴィアには、娘が居たのだ。二日前まで共に行動していたのだが……。モンスターに攫われてな。その寝倉まで、共に向かってくれる仲間を探しているのだ」
「攫われた? 一体誰に……」
「キラービーだ」
「キラービーって、あのキラービーですか?」
明は、アーサーの言葉に眉を顰めた。
アーサーは、明の言葉に頷くと言葉を続ける。
「そうだ。恐ろしく大きな蜂のモンスターだね。ここからさらに西にある街の、駅ビルがまるごとヤツらの巣になっているのだ。気が付いているかね? 周囲の街にはキラービーが居るだろう? あれは全部、あの巣から飛び立った、いわば働き蜂とも言うべき兵隊だ。娘が攫われて、私は幾度となく隠密を使いながらあの街へと向かったのだが……。如何せん、数が多い。あの街はもはや、蜂どもに支配されていると言ってもいいぐらいだ。そんな場所へ、さらにはより数の多い巣の中へと私一人が乗り込んだところで、あっという間に殺されるのが関の山だろう。だから、共に戦う仲間が必要なのだ」
なるほど、と明はアーサーの言葉に頷いた。
巣があるということは、そこには女王蜂しかり、それに近いモンスターがいることだろう。巣のある場所が街の中ということは、その街を縄張りにしているボスは巣の中に居るモンスターである可能性が高い。キラービーが働き蜂であるのなら、運ばれた人間は女王へ献上する食料といったところだろうか。
「…………事情はわかりました」
明は、アーサーの目を見つめながら呟くように言った。
「でも、キラービーに運ばれたのが数日前なら、娘さんの身体が無事である保証はどこにもない。モンスターたちは、その……」
明は、続く言葉を濁した。それ以上のことを言ってもいいのかどうか悩んだからだ。
すると、そんな明の様子にアーサーは小さな笑みを浮かべた。
「ああ、分かっている。おそらく、喰われているだろうな」
「だったら――――」
「だが、そうだとしても、私は奴らの巣に行かねばならん。たとえ娘の身体が奴らの腹の中だとしても、あの巣の中に娘の形が無くなっていたとしても、娘が身に付けていたものまでは奴らは喰えんはずだ。娘が身に付けていた物が一つでもそこにあるのなら、私はそれを取り戻したい。そして、妻の亡骸が眠る場所へと連れて行ってやりたいのだ」
その言葉に、明はオリヴィアへと目を向けた。
オリヴィアはアーサーから離れて、ふよふよと部屋の中を漂っていた。ときおり、気になったものを調べているのか戸棚へと手を向けている。すると、誰も触れていないのに戸棚が一人でに開いて、それを見ていた奈緒がまたビクリと身体を震わせていた。
「今、どれだけの人が集まっているんですか?」
「一人だな。私と同じ、固有スキルを持っている子だ。娘を取り戻す協力をしてくれるのならば、後ほど紹介しよう」
明は、固有スキルの言葉に眉根を僅かに動かした。そして、アーサーに悟られないよう無表情を繕うと考えを巡らせる。
(……固有スキル持ちがもう一人、か。その人の能力は分からないけど、この男と彼女の力が強力なのは確かだ。生き残りさえすれば、確実にモンスターに対抗できる力にはなる。この様子を見てると、俺たちが協力しようが協力しまいが、この人は確実にキラービーの巣には行くだろうな……。それで生き残ることが出来れば良いが、出来なければ惜しい戦力を失くすことになる)
そんなことを、明が考えていたその時だ。
「ひゃあッ!?」
突然、甲高い悲鳴が室内に響いた。
驚き、すぐに明はその声の主へと目を向ける。すると、離れた位置で明たちの話を聞いていた奈緒の胸のあたりから、半透明の腕がにょきっと生えているのを目にした。見れば、奈緒の背後にはいつの間にかオリヴィアが立っていて、悪戯のつもりなのか奈緒に向けて腕を突き出している。
オリヴィアは、奈緒の反応にクスクスとした笑みを浮かべた。
それを見たアーサーは、微かに驚いた表情を見せると、やがて笑いをこらえるように身体を震わせ始める。
「こ、こら、オリヴィア……。いた、悪戯は……やめなさい」
辛うじて声を出すアーサーに、オリヴィアは小さく頷くと奈緒の背後から突き出していた腕を引いた。それから、申し訳なさそうな顔で奈緒に両手を合わせると、再び部屋の中をふよふよと漂い始める。
「ふ、ふふ……。すま、すまないね。彼女は昔から悪戯好きでね。悪気はないんだ、許してやって欲しい」
「あのねぇ――――っ!」
奈緒はアーサーの言葉に声を荒げた。しかし、その言葉は途中で途切れる。アーサーを相手に、文句を言ったところで何も意味がないと悟ったからだろう。
途切れた言葉は、やがて重たいため息に変わる。
「とにかく、もう二度とこんな悪戯しないで……」
疲れたように奈緒は言った。
その言葉に、アーサーは確かな頷きを向けるとオリヴィアへと声を掛けた。
「聞いたかね、オリヴィア。今の悪戯は、このお嬢さんへは無しだ。やらないように」
オリヴィアは、アーサーの言葉に反応して、こくこくと頷いた。
アーサーは、そんなオリヴィアの様子に頷きを返すと、再び明たちへと視線を戻す。
「すまないね、話が中断してしまった。……それで、どうかね? キラービーの巣へと、私と共に向かってくれないか? お礼は……そうだな。こんな世界だ。今さら、金にどれほどの価値があるのか分からない。よって、私に出来ることがあれば、君たちの手助けを何でもすると誓おう」
「……奈緒さんは、どう思います?」
「気が進まない。この人と一緒に行動してれば、休む暇がなさそうだ」
オリヴィアにやられた悪戯の尾を引いているのだろう。ムスッとした顔で奈緒は言った。
「ハハハハハ!! 手厳しい言葉だ。いわゆる、ツンデレというやつだな?」
その言葉に、奈緒がじろりと視線を向ける。
アーサーは、奈緒の視線に笑顔を凍り付かせると、明へとひそひそと囁いてきた。
「うむ。どうやら、私は彼女に嫌われてしまったみたいだな。彼女の前ではあまりふざけないほうが良いみたいだ。口を噤んでおこう」
「ちょっと、近いです。離れて。加齢臭が……」
「酷くないかね!?」
アーサーは明の言葉に声を上げた。
それから、気を取り直すように咳払いをすると、真面目な表情となって明たちへと目を向ける。
「多くは望まない。娘がこの世界に居たのだという証を、取り戻したいだけなのだ。――――頼む」
言って、アーサーは床に膝をつくと土下座をするように頭を下げた。部屋を漂っていたオリヴィアも、アーサーの元へと近づくと、両手を身体の前に会わせて深く頭を下げてくる。
その様子に、明と奈緒は顔を見合わせた。
奈緒は明の目を見つめながら、呆れたようにため息を吐き出しながら言った。
「どうするんだ?」
「……そうですね。どちらにせよ、ボスは倒さなくちゃいけませんし、この人の頼みは聞いてもいいかなと思います」
「ッ! それじゃあ――――!!」
明の言葉に、アーサーが顔を持ち上げた。
その笑顔に向けて、明は真剣な表情を向けると釘を刺すように言った。
「――――ただし、今すぐというわけにはいきません。キラービーの巣に向かうなら、その前にちゃんとした準備をしておきたい。アイツらの本当の怖さは、ステータスじゃなくてその毒針にある。どれだけステータスを上げようとも、その毒針に刺されれば最後、俺たちはあっという間に死んでしまいます。だから、その準備をしなくちゃならない」
「なるほど? それもそうだな。何か良い案があるかね?」
「……毒に対抗できる方法はあります。一つが、スキルの中にポイント20以上を消費して取得できる、『毒耐性』を取得すること。ただしこれは、耐性が付くだけであって毒を防ぐものじゃない。毒の回りが遅くなるだけで、身体には毒が残るでしょうね。スキルレベルが低ければ、解毒をする前に死ぬ可能性だってある」
そして、さらに言えばだが。身体に残った毒を解毒するために薬が必要となる。現実にも毒蜘蛛や毒蛇が持つ毒素を分解する薬剤は存在しているが、相手はモンスターの毒だ。この世界にある既存の薬が効く保証はどこにもない。
おそらく、それに対抗できる手段は、スキルにある『調合』でしか作れないものだろう。
「『調合』というスキルがあるのは知ってますよね? おそらく、あのスキルで解毒剤が作れれば、キラービーの毒を受けても解毒出来る可能性はあります。……でも、毒を受ける度に解毒薬をがぶ飲みしているんじゃあ埒が明かない。だから、それと合わせてもう一つ、俺たちが用意しなくちゃいけないものがある」
「…………なにかね?」
「防具です。キラービーの毒針を受けても針を通さない、強固な防具。それを身に付け、仮に毒針を受けても毒耐性で即死を防ぎ、毒が回り切る前に解毒薬を飲んで死ぬのを防ぐ。……それが、巣を攻略する上で最低でも必要となることでしょう」
「二つのスキルに、防具か……。ふむ……」
アーサーは、考え込むように顎髭を撫でると視線を彷徨わせた。
「オリヴィアにはそもそも毒針は効かないし、私は隠密で隠れていれば済む話だから、あまり考えても来なかったが…………。うむ、確かにそのあたりの問題は解決するべきことだろうな。――よろしい。まずは、その問題をどうにかしようじゃないか。ポイントを稼ぐ当てか、奴らの毒針が貫通しない衣服の当てでもあるかね? 先に言っておくが、養蜂用の防護服を探そうなどとは思ってはいないだろうな? あんなもの、キラービー相手には何の意味もないぞ?」
「分かってますよ。ちゃんとした、対モンスター専用のものです。……一応、当てはあります。まあ、彼女に話してみないと分かりませんが……」
「ポイントはどうする? 地道にレベルアップか?」
「それ以外の方法がありますか?」
明は、アーサーへと問いかけた。
明にはクエストがある。格上を相手に一度死に戻り、クエストを発生させさえすれば、レベルアップ以外にも大量のポイントを獲得することが可能だ。
しかし、その方法が同じ固有スキルを持つアーサーにも与えられているのかが分からない。
それを探るため、半ば鎌をかけるように問いかけたその言葉に、アーサーはニヤリとした笑みを浮かべると、答えた。
「うむ、愚問であったな。では、レベルアップによるポイント稼ぎも平行して行っていくことにしよう」
明はじっと、アーサーの顔を見つめた。
何かを隠したような様子はない。やはり、クエストは自分だけに与えられたものなのだろうか?
そんなことを考えていた時だった。ふいに、明は服の裾がくいと引っ張られたことに気が付いた。見れば、いつの間にか傍へと近寄ってきていた奈緒が裾を握っている。
奈緒は、そのまま明の耳元へと口を近づけると、囁くように言った。
「おい、一条。本当に、コイツのことを手伝うのか?」
「まあ、言っていることが本当なら、その巣にいるのはボスでしょうし……。その巣を消滅させることさえできれば、街に侵入してくるキラービーも居なくなるかもしれません。遅かれ早かれ、対処することにはなるでしょうし、早いうちにやっておいてもいいかと」
明は、奈緒に合わせるように小声で囁いた。
奈緒は明の言葉に僅かに眉根を寄せる。
「それはそうだが……。あの男、信用できるのか?」
「それは……まだ、分からないです。ですが、戦力にはなります。一緒に戦ってくれれば、モンスターを相手に生き延びることがグッと楽になるのは間違いないです」
「裏切られたらどうする? 巣の中に置き去りにされでもしたら、最悪だぞ」
「それをするメリットが、あの人にあるとは思えませんが……。ですが、もしも裏切られたら、すぐに死に戻りますよ。死に戻り先の場所が、また変わっているのかどうかまだ分かりませんが、少なくとも、裏切られた時点よりかは過去に戻ることが出来ますから」
「…………そうやって、簡単に命を投げ出してほしくはないんだけどな」
奈緒は、明の言葉に小さくぼやいた。
明は、奈緒に向けて誤魔化すような笑みを浮かべると、アーサーへと視線を投げかける。
アーサーは、明たちの相談が終わるのをじっと待っていた。向けられた明の視線に気が付いたのか、なぜかにこやかな笑顔で手を振ってくる。その仕草に、明は空笑いを浮かべるとアーサーから視線を逸らして、奈緒へと目を向けた。
「……とりあえず。もう一人の固有スキル持ちも気になりますし、話を受けましょう。あんな態度なので本心は読みにくいですけど、案外悪い人じゃないようにも思えますし」
「まあ、お前がそう言うなら……」
奈緒は、明の言葉に不承不承ながらに納得したようだ。深いため息を吐き出しながらそう言葉を口にすると、釘を刺すように明を見つめる。
「でも、あまりにも怪しかったら私は容赦しないからな?」
「ええ、それはもちろん。俺は、自分で言うのもアレですけど、抜けてるところがありますからね。そこを、奈緒さんにカバーしてもらえれば」
笑みを浮かべた明に、奈緒は呆れた視線を向けた。
けれど、それ以上の言葉は何もない。
それを確認すると、明はアーサーへと向けて声を掛ける。
「お待たせしました」
「結論は出たかね?」
「ええ。正式に、あなたの話を受けますよ。俺たちは、あなたと一緒にキラービーの巣へと向かうことにします。これからよろしくお願いしますね、アーサー」
「うむ、こちらこそだ!! それでは、まずは私の仲間の元へと案内しよう。彼女の力は本当に頼りになるぞ! 期待してるがいい!!」
アーサーは明たちの顔を見渡すと、声を上げて笑った。
その笑い声に、奈緒は頭痛を堪えるように頭を押さえると、ゆっくりと息を吐き出す。
「ああ、もう本当に……。これから、騒がしくなりそうだ」
心の底からの言葉だったのだろうその言葉は、すぐ傍に居た明の耳にだけ届いて、アーサーの笑い声に掻き消されたのだった。
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