死霊術と圧縮
「ひっ!?」
突然現れた女性を見て、奈緒が小さな悲鳴を上げた。見れば、その顔は固く強張っている。
(そう言えば……。奈緒さんは、幽霊とか心霊現象とか、そういった類のものが苦手だったっけ)
青ざめた表情でじりじりと背後に下がる彼女を見て、明はふとそんなことを思い出した。
幽霊よりも恐ろしいモンスターが実際に現れたのだから、そのあたりは克服したのだろうと思っていたが、どうやら別問題だったらしい。
「ゆゆゆ、幽霊っ!? 幽霊か!?」
奈緒は悲鳴にも近い声で、アーサーの背後に現れた女性を見つめてそう叫ぶ。
アーサーは、そんな奈緒の様子にクスクスと笑みを浮かべると、背後に浮かぶ女性――オリヴィアへと視線を向けながら口を開いた。
「すまなかったね。驚かせるつもりは無かったんだ。見ての通り、彼女はもうすでに死んでいる身だが……。私の固有スキル、死霊術で魂をこの世界に具現化させているような状態でね。端的に言ってしまえば幽霊と呼ばれる存在だが、それはそれで、彼女が寂しがる。生きている者と同じように、彼女と接してくれると嬉しい」
その言葉に、奈緒はオリヴィアを見つめた。
オリヴィアは奈緒の視線を受けて、安心させるような優しい微笑みを浮かべる。
「自我が、あるのか?」
そんなオリヴィアを見て、奈緒が恐る恐るといった様子で呟いた。
その言葉に、アーサーは頷きと共に口を開く。
「もちろんだとも。彼女は私たちの言葉を聞いて、理解することが出来る。難点としては、私にだけしか彼女の声が聞こえないことだが……。まあ、そこは別に君たちが気にするようなことじゃない。君たちに知っておいて欲しいのは、彼女は私の、名実ともにパートナーであるということだ」
アーサーはオリヴィアに向けて優しげな微笑みを浮かべると、明たちに視線を戻して言葉を続けた。
「というわけで、扉の外の雑魚は私たちに任せてほしい。なあに、心配はいらないよ? 今日は腰の調子がいいのだ。君たちはそこで、ソファーにでも腰かけて優雅にティータイムを楽しんでいればいい。君たちがすべての紅茶を飲み終わる頃には、こちらも片付いていることだろう」
言って、アーサーはまるで散歩にでも出かけるかのように、緊張感のない足取りでオリヴィアを連れ立って歩き出す。
あまりにも気が抜けたその様子に、明は思わず声を上げた。
「ちょ、ちょっと! 本当に一人で行く気ですか!?」
「もちろん。これぐらいの相手なら、私たちで十分だ。なあ、オリヴィア?」
アーサーの問いかけに、オリヴィアがやる気を見せるように両手の拳を胸の前で握り締めた。そんなオリヴィアの様子にアーサーはニコリとした笑みを浮かべると、ふと思い出したように言った。
「ああ、それと。君たちに差し出していたこのナイフだが、使わせてもらうぞ? 君たちと出会うまで、今日はモンスターと戦うつもりが無かったから、手持ちの武器がこれしかないのだ」
手にしたナイフをゆらゆらと揺らしながら掲げると、アーサーはナイフの柄をしかと握りしめる。
「――――さて。……オリヴィア、戦いだ。準備はいいかね? 我々の力を、彼らに見せつけるいい機会だ。出し惜しみはせず、派手にやることにしよう」
アーサーの言葉に、オリヴィアが小さく微笑み頷いた。
その微笑みに、アーサーもまた応えるように小さく笑うと、表情を引き締める。
「私の合図で、君が扉を開けてくれ。……ゆくぞ、いち、に、さんっ!」
アーサーが叫ぶのと、オリヴィアが扉へと向けて手を伸ばすのはほぼ同時だった。
カチリと、誰も手を触れていないにも関わらず鍵が外れて、バンッという激しい音と共に扉が開かれる。
瞬間。扉の外に広がる夜闇が、扉の開かれた衝撃で千切れて、分裂した。いや、闇が広がっているかと見間違うほどにひしめき合っていた巨大蝙蝠たちが一斉に動き出したのだ。
巨大蝙蝠たちは血に濡れたような真っ赤な瞳を明たちへと向けると、次々と部屋の中へと飛び込んでくる。
「くっ!」
「っ!」
反射的に、明と奈緒の身体が動いた。しかし、アーサーはそんな明たちの動きを予測していたようだ。明たちが動き出すと同時に、その動きを制するように腕を伸ばすとアーサーは落ち着いた声で言った。
「任せなさいと、言っただろう?」
巨大蝙蝠たちの悲鳴が響いたのはその時だった。
見れば、部屋の中へと飛び込んできていた巨大蝙蝠たちが、見えない壁に阻まれているかのように、空中でその動きをピタリと止めている。異変はそれだけじゃない。身動きを止めた蝙蝠たちが、バキバキと骨を折る音を響かせながら一斉に血を噴き出し始めたのだ。
「「なッ!?」」
あまりにも有り得ないその光景に、明と奈緒、二人の驚く声が重なった。
そんな二人の様子に、アーサーはまたクスクスとした笑みを浮かべて口を開く。
「驚いたかね? これが我々――いや、彼女の力だ」
「彼女? まさか――――」
言って、明はハッとアーサーの隣に立つ女性へと目を向けた。
オリヴィアは、真剣な表情で巨大蝙蝠たちを見据えていた。戦闘が始まると同時に伸ばされていたその手は、まるで見えない何かを掴むかのように半ば閉じられている。少しずつ、ゆっくりと力を込めるかのように握り締められているその手に合わせて、空中で動きを止めた巨大蝙蝠たちの骨が砕けて、悲鳴が上がった。
「あれは……」
思わず、明の口から声が漏れた。
「彼女の固有スキル、圧縮だ。彼女は今、あの空間に存在する大気を圧縮している。ステータスの筋力値に応じて圧縮できる力も変わるというという代物で、圧縮に指定出来る範囲が狭いのが少々厄介なところだが……。こういった閉所であれば、その力を遺憾なく発揮することができる」
「固有スキルって――――。死んだ人間も使うことが出来るんですか?」
アーサーは、口元に小さな笑みを浮かべながら明の疑問に答えた。
「私の固有スキルである死霊術は、死んだ者の魂を具現化することが出来るという効果の他に、さらに効果が二つあってね。一つは、具現化された魂は生前と同じようにスキルの使用が出来て、モンスターを倒せばレベルアップをするということ。もちろん、レベルが上がれば私たちと同じように彼女もポイントも得られるのだが――、彼女の獲得したポイントは私の元へと流れ込んでくるから、実質、彼女自身にはポイントが与えられていないようなものなのだがね」
言って、アーサーはオリヴィアの手によって潰される巨大蝙蝠たちへと目を向けた。
「しかし、重要なのは二つ目だ。その効果は、私の持つポイントを消費することで、死霊術によって具現化した魂を強化出来るということ。これが、何を意味するのか分かるかね?」
「――――ポイント消費による、ステータスの底上げか」
明は、アーサーの言葉に答えるように呟いた。
その言葉を聞いたアーサーは満足そうに笑う。
「その通りだ。『圧縮』に必要なものは筋力値。本来なら、ステータスの中で筋力値だけを上げるのはあまりにもバランスが悪すぎる。どんなに力が強くても、動きが遅ければ攻撃は当たらないし、防御力が皆無ならばあっという間に殺される。その点、彼女はそれを気にする必要がない。何せ、彼女の身体はもう、ここには無いのだ」
その言葉に、明はアーサーの顔をちらりと見た。
アーサーはとても寂しそうに、けれどその悲しみを乗り越え、ある種の吹っ切れたような顔で笑っていた。
「この世界にモンスターが現れたあの日。私の目の前で、オリヴィアはモンスターに殺された。何もすることが出来ず、ただただ腕の中で死にゆくオリヴィアを抱きしめながら、私は自分の力の無さを呪ったものだ。……そんな時だった。私の目の前に青白い画面が現れて、固有スキルが与えられたのは。死霊術という名前の、そのスキルの効果を読んで、私はこのスキルを彼女へと使うことに決めた。…………それから、私の力で幽体化したオリヴィアは、奇しくも私と同じく固有スキルを与えられていることが分かった。力の無さを悔やみ、自分自身を呪った私自身へとそのスキルが与えられなかったことは、正直に言って複雑な気持ちだが――――。今では、それも良かったかもしれないと思っている。私がこの世界で生き続ける限り、彼女もまた、私と共にこの世界に在り続けるのだからね。あの時、あの瞬間に終わるはずだった私たちの糸は、今でもまだ、こうして繋がっている」
アーサーの言葉に応えるように、オリヴィアがさらにその手に力を込めた。
――瞬間、グチャリ、と。
部屋の中に飛び込んできていたすべての巨大蝙蝠が、見えない手に握りつぶされて圧殺された。
ビチャビチャと床に飛び散る血を眺めながら、アーサーが呟く。
「これで、我々の力が分かったかね?」
明は、アーサーと同じように巨大蝙蝠が潰されたその場所を見つめた。
床や壁に飛び散った血痕と肉片は夥しく、凄惨だ。これが巨大蝙蝠ではなく、人間が相手であったならば、あっという間にスプラッター映画が出来上がりそうなほどの光景となっている。
明は、その光景から視線を逸らすと思考を巡らせた。
(筋力値に応じて威力の変わる固有スキル、か……。確かに、アーサーの言うように生きている時なら筋力値に特化してステータス値を割り振ることなんてなかなか出来ない。彼女の――オリヴィアの固有スキルがここまで強力なのは、一度死んで、アーサーの固有スキルによってある意味で生き返ったからだ。霊体でもう二度と死ぬことがないからこそ、そのステータスを筋力に大きく割り振ることが出来る。この二人の固有スキルが合わさったからこそ、『圧縮』はとんでもない威力になっている。けど――――)
心で呟き、明は視線をアーサーへと向けた。
「確かに、凄い力だ」
「ハハハ! そうだろう、そうだろう!! これで、君たちも私のことを見直したんじゃないかね?」
明の言葉に、アーサーが声を上げて笑った。
その顔を見ながら、明は言葉を続ける。
「ああ、本当に、凄い力だ。……でも、一つだけ気になることがある」
「ん? 何かな?」
「あんた、今の戦いで何をしてたんだ?」
「そういえば、確かに。戦闘の前にいろいろと言っていたけど、結局、この人自身は最後まで何もしてなかったような……」
明の言葉に、奈緒が同意するようにぽつりと言葉を溢した。
「…………」
「…………」
明と奈緒、二人の視線がアーサーへと突き刺さる。
するとアーサーは、浮かべていた笑みを固めると、ゆっくりと明たちから視線を逸らした。
「さ、さて……。話の続きをしよう! どこまで話したかな!!」
「逃げた」
「逃げたな」
「フハハハハハ!! 最初に言っていただろう、私はお嬢さんよりも弱いと!! 戦闘において、私の役目はオリヴィアの応援だ!! それ以上のことを、このオジサンに望んじゃいけないよ?」
言って、アーサーは再び声を上げて笑った。
その言葉に、明と奈緒は自然と顔を見合わせると、互いに浮かべた疲れを隠すことなく大きなため息を吐き出したのだった。