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練習帳

莫迦なぼくと死にたがりの彼女

作者: くまみ

 地球に巨大な隕石が落ちてきて世界が滅びるなんていう、陳腐で冗談みたいなニュースを見て、彼女が急に泣き出したのには驚いた。

「死ぬのはいや」だなんて言うんだよ。

 いや、おかしいことはなにもない。もうすぐ世界が終わる。死にたくない、当然だ。ぼくだって泣きそうになった。

 彼女がそんなこと言うのが意外だったんだ。


 彼女はいつも、死を恐れぬことばかりしていた。治安の悪い国に単身で乗り込んだり、ちょくちょく失敗すると評判のパラシュートなしスカイダイビングにチャレンジしたり、山や海で採れたよくわからない動物や植物を料理して食べてお腹を壊したり。

 そういった姿を嬉々として動画で配信したり、エッセイを執筆したりして、結構な額を稼いでいた。そう、彼女は死を恐れていなかった。むしろ早く死にたいと……それもとびきり愉快で注目される死に方で世界中の話題をかっさらいたいと思っているようにみえた。

 だから彼女の涙には本当に驚いたんだ。


 ぼくは、めそめそしている彼女に、その通りのことを正直に伝えた。そうしたら彼女はぼくを見上げて、「あんた莫迦じゃないの」と言った。

 たしかにぼくは莫迦だ。いつもいつも、頭のいい彼女に負け続けて、教養のなさを嘆かれ、反応の鈍さをからかわれ続けて、それなのに何年も、ちょっと困ったような笑いを浮かべてやり過ごしてきた程度には莫迦だ。

 だからぼくは、いま彼女に「莫迦」と言われた理由もよくわからなくて、相変わらずちょっと困った笑顔のままで彼女を眺めていた。そうしたら彼女は、ぼくの莫迦さ加減に呆れすぎたのか、泣くのをやめた。ちょっとため息をついて見せて、珍しいことに、諭すような口調で説明をしてくれた。


「あのね。私が怖いのは、肉体が死ぬことじゃないの。私という存在が途切れてしまうことなの。どうせ人間は百年かそこらで全員死ぬでしょう。でも、それが終りじゃあない。死んだ後に、子供や孫が思い出を語りあったり、その人の書き残したものや成し遂げた功績を思い出したりしてもらう限り、本当の死ではないということなの。私が、死んだってかまわないみたいな危険な行動をするのは、たとえそれで肉体が死んでも、その記録がみんなの話題になるでしょう? あの時のアレ、凄かったねえってずっと語り継がれる伝説になるでしょう。それは生き続けるのと同じことだから、怖くないの」


 あなたにはよくわからないでしょうけどね、と彼女が鼻で笑ったから、ぼくは素直にうなずいた。彼女はぼくの反応に満足した様子だった。


「隕石はね……全部壊すでしょう。私も、あなたも、地球を全部。私がアップロードした動画データも、印刷した何万冊のエッセイ本も、それを観たり読んだりして感想を言ってくれるファンも。私もあなたも消えてしまうでしょう? 未来につながらないでしょう? 何も残らないでしょう? 私こんな、こんな死に方をするなんて思ってなかった。こんな……」


 彼女はまた泣き始めた。

 ぼくはぽかーんとしていたと思う。彼女が何を言っているのか本当によくわからなかった。どこかの街で悪漢に殺されるのと、毒草を食べて中毒で死ぬのと、隕石にぶつかって粉々になって死ぬのと、結局はすべて死ぬってことじゃあないか。誰が自分を見ていようと見ていまいと、ただ死ぬだけなんじゃないのか。それは同じくらい怖くて、同じくらい避けようがない、同じ程度の悲しみにしか思えなかった。

 ぼくは回らない頭で、何とかそういうようなことを彼女に伝えたと思う。そうしたら彼女はぼくに抱きついた。前代未聞の出来事だったので、ぼくは世界の終りのことなんて忘れるほどに動揺した。今までに何度、ぼくの気持ちを伝えても、あなたは私に釣り合わないわって歯牙にもかけない態度だったのに。

「あなたはほんとうに莫迦ね」

 彼女はそう呟いた。ぼくを抱きしめる腕に力がこもった。

「いま初めて、あなたが莫迦でよかったと思ってる」


 何が何だかわからない。ぼくはじっさい莫迦だから。

 ただ、ぼくは今ようやく、自分が莫迦でよかったなと思った。

 ぼくが君と釣り合わないくらいに莫迦だったおかげで、最期のときにきみを抱きしめていられるのだから。


 暴動でも起きたのだろうか、外からガラスの割れる音と怒号が聴こえる。

 あと数日か数週間かで終わってしまう世界の奥底で、ぼくはなんだか生まれて初めて誇らしい気持ちで、彼女の肩に手をまわした。

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