5雨宿りと 濡れた彼女
※本編終了後の追加エピソードです。
佐野明良
あまりにも天気がいいので思わず徒歩で通学してしまった。
我ながらなんでこんなことをとも思ったが、気分がいいのでオールOK。
放課後まで快晴が続き、さ~て帰るぞ友達に別れの挨拶をして教室を出る。
「いい天気~♪ ふふふ~ん♪ ふふふ~ん♪」
あまりの天気の良さに、思わず鼻歌を口ずさんでしまう。
校門を抜けて三つ目の角を曲がったあたりで、ぽつ、ぽつ、と大粒が肩を叩いた。
「う、うそだろ……」
天気予報は晴れのはず。
傘なんて当然、持ってきていない。
制服を濡らしたら母さんに『バカねえ、アンタ』と呆れられる。
ここは雨が強くなる前に近場で雨宿りするのが諸葛亮公明。
ということで商店街を駆ける。
豆腐屋の軒の下で立ち止まるほどの度胸はない。
『どうしたい明良、こんなところで?』
『母さんに呆れられるのが嫌で。少し雨宿りさせてください』
『がははっ! まだまだ子供だねえ!』
なんて、豆腐屋のおじさんにバカにされるのはまっぴらごめんだ。
人目の付かない雨宿りが出来る場所は——神社。
商店街の裏手、段差の多い石畳の先。あそこなら誰にも見られない。はず。
走り出すと、雨が強まり始めた。
商店街の裏手にまわり階段を一気に駆け上がる。
拝殿の屋根下に滑り込むと、更に雨が強まった。
ザーザー音を立てて降る雨は、数十秒あたれば制服はびしょ濡れになる強さ。
「ギリギリセーフ。これも日頃の行いってやつだな」
助かった助かった。
雨宿り代としてお賽銭を入れ、ついでにお願いごともしちゃう。
「椿姫と仲直りできますように。俺が逃げずに謝れますように」
目を閉じて強く祈っていると、近くに人の気配を感じた。
こんな天気に参拝ですか?
なんて言える訳もなく、恐る恐る目を開く。
そこにいたのは椿姫だった。
髪の毛の先まで濡れて、制服のYシャツは肌に貼りついている。
白いシャツはところどころ色が濃くなり、椿姫が動くと皺が動く。
肩で呼吸を整えながら彼女は無言で俺を一瞥し、すぐに外へ逸らした。
どうやら椿姫も雨宿りに来たようだ。
どういう巡り合わせだよ……。とも思うが、懐かしさも感じる。
小さい頃、椿姫とここで、雨宿りをしたっけ。
あの時は、雨に濡れた椿姫が寒いと騒ぐから、Tシャツを広げて一緒に入った。
身体を寄せ合い温めあったが……いま思うと、とんでもないことをしてたな。
どちらも無知の子供だったからできたことだ。
「へくちっ!」
懐かしんでいると、隣からくしゃみが聞こえて来た。
あまりにも可愛らしいそれに、思わずちらりと見てしまう。
濡れたシャツは肌に張り付き、身体のラインを見せつけているようだ。
襟元からちらりと見える奇麗な鎖骨。
奇麗な金色の前髪からは、雫がぽたり、ぽたりと胸元に落ちている。
「……」
なにも見なかったことにして、鳥居の向こうに広がる世界を見つめる。
全く俺は何を考えているんだ。相手は椿姫だぞ。
疚しい気持ちを抱く前に、謝罪だろうがバカたれが!
「へくち! へっくち!」
二連続のくしゃみ。
再び椿姫を見る――そんな場合じゃない。
ブレザーとシャツを脱ぐと、冷気が身体に触れる。
この気温で濡れた服を着ていては、くしゃみをするのも納得だ。
「これ。着るか?」
脱いだそれを、椿姫のほうへ差し出す。
と、差し出してから、これ大丈夫か? と考え直す。
「俺のなんて、嫌か」
昔は一緒の服に入ってたけど、今では俺の服を着せるのも忍びない。
寒そうなくしゃみを聞いて渡したが、痴漢と間違えられてもおかしくないか。
すぐに手を引っ込めようとしたが。
「……あっち、向いてて」
椿姫が服を受け取った。
俺は慌てて背を向ける。
背後で布が擦れる音が聞こえてくる。濡れたYシャツが肌から離れる微かな音。ぴちょりと、床に濡れたシャツが置かれ、タオルで身体を拭いているか、擦れる音が聞こえて来た。
背中に指が微かに触れた。
広げた腕が当たっただけだと自分に言い聞かせ、雨を降らせる空を見上げる。
「もういいわよ」
振り向く。
俺のYシャツとブレザーが、椿姫の身体にすっぽりと覆いかぶさっていた。サイズが合うはずもなく、袖は手の甲をすっかり隠して、萌え袖というやつになっている。襟が大きいせいで、首元がいつもよりずっと近く見えた。
「じろじろ見ないでくれる?」
「す、すまん。つい、可愛いなって」
「――ッ!」
と、口にした瞬間、自分でなにを言ってんだと顔が赤くなる。
「違う! 違くてだな! 変な意味はなくて! その、なんて言ったらいいかわからないんだけど、本当に……。その、ごめん……」
思わず口走ってしまった言葉。
恥ずかしさを堪えるのが精いっぱいで、椿姫の方を見られなかった。
言い訳にもならない言葉を並べたことに、自分が情けなくなる。
睨まれているのか、隣から熱い視線を感じた。
けど、目を合わせると怒られそうで、椿姫を見れない。
目のやり場に困り、分厚い雲を見上げる。
『じゃあ雨をぜんぶ避けた方が勝ちな!』
『そ、そんなの無理だよ、明良くん!』
懐かしい神社。再びこうして二人だけで雨宿りしていると、はしゃぎまわる昔の俺らの姿が、ぼんやりと見えた気がした。
「すんすん……」
隣から物音が聞こえた。
横目にちらりとだけ様子を窺う。
椿姫は、腕の中に服を抱きしめるようにして、顔を少しうずめていた。
嗅いでる、ように見える。俺の服を。
「……なによ」
頬が朱色に染まり、わずかにふくらんだ。声は不機嫌っぽいのに、どこか恥ずかしさが感じられる。そのアンバランスな見た目と声音に、心臓が跳ねる。
「あっ、いや、その。服を締め付けてたから。やっぱり寒いか?」
「いえ。別に、寒いってわけじゃないけど」
「そうか。ならよかった」
それ以上は踏み込めない。何かもっと言えたはずだ。たとえば、髪も拭いたほうがいいとか。ズボンも履くか? とか……。それはダメか。
「あー……」
言葉にならない声が雨音にかき消されていく。我ながら情けない。
雨が葉を叩く音が変わってきた。勢いが落ち、粒の数が減る。水溜りに広がる波紋がゆっくりになって、黒い雲が流れていくと、太陽が姿を見せた。
通り雨が終わる。
俺は一歩、前に出て呼吸を整える。
「だいぶ弱まってきたな」
椿姫からの返事はない。それでも俺は、構わない。
「服、後で返してくれればいいから! 風邪には気を付けろよ!」
俺の制服を着ている椿姫があまりにも眩しく見えて、自分でも驚くほど大きな声が出てしまった。その声量が恥ずかしくなり、誤魔化すように足を前に動かす。
「じゃ、じゃあ!」
水溜りを飛んで避けて走り出す。別に変な事じゃない。それなのに、まだ神社にいる椿姫を置いていっている気がして、鳥居の前で振り返る。
椿姫は、俺のブレザーの袖口をそっと鼻先に当てていた。袖はぶかぶかで、手の甲がすっかり隠れている。萌え袖の端から、濡れた指先が少しだけ覗く。その仕草が、やけに小さく見えて、守りたくなる。
……やっぱり、椿姫って可愛いだって、改めて思う。
「なに?」
問われ、さすがに思ったことは口に出せない。
「風邪には気を付けるんだぞ!」
そう言って、俺は階段を駆け下りた。




