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4偽りの 痴漢

佐野明良



 自転車通学をした方が経済的にも時間的にも余裕ができる。


 それでも俺が電車を使って通学しているのは色々な出会いを求めて。


 という理由もあるが、もう一つは色々な人を見て勉強したいと思ったからだ。


 髪型から制服の着こなし。お洒落をしている人はどうやっているのか。


 どういった振る舞いをすればイケてる高校生になるのか。


 椿姫の隣に立つのに、どうすればいいのか。


 たまに見過ぎて『なに見てんだよ』と難癖を付けられたこともあったけど。


 この一年で色々考えた結果がこれだ!


「……明日自転車買いに行こうかな」


 朝のホームは混み合っている。


 東京の山手線ほどではないが、列が出来る程度には。


 電車の中ともなれば中々の人口密度で、最大限の気を遣わなければ人に触れてしまうほどだ。

 痴漢免罪、なんて男子高生の俺にしてくる人はいないだろうけど、それでも恐くて両手でつり革を持ってしまう。


 この混み具合では勉強もクソもない。


 それ以上に神経がすり減って病気にでもなりそうだ。


 必死になってお洒落な子を見てきたけど怒られたりしたし。


 やっぱり今日の放課後にでも自転車買いに行こうかな。


 そんなことで溜息を吐いていると、ふと視界の端に椿姫が見えた。


 染毛があると言えど、やはり椿姫の金色の長い髪の毛は目立つ。

 

 彼女は扉の前に、窮屈そうに立っていた。

 手を扉について押しつぶされないよう力を入れているからが、微かに頬が赤い。

 ときおり身体を動かしているのは、後ろの男を押し返そうとしているからか。


 椿姫もわざわざ電車通学してるのか不思議なもんだ。


 人混みも注目を集めるのも嫌いなのに。なにか特別な理由でもあるのか?


 小さい頃は人混みが嫌だからと遊園地だったり水族館だったりにも行きたがっていなかった。

 そのくせいざ行ってみたら一番はしゃいでたんだけど。


 そんな考えをしながらボーッと椿姫を見ていると、後ろの男が椿姫の耳元に顔を近付けた。

 

 椿姫はそれに抵抗するように首を振り、腰をくねらせる。


 明らかに動きが可笑しい。それに、さっき男がした動き、普通じゃない。


 注意深く二人の動きを見ていると。


「まさか痴漢か?」


 確かなことはわからない。


 人で視界は遮られ、二人の下半身は完全に隠れてしまっている。


 それでも顔を赤くしている椿姫と、ときおり可笑しな動きをする男。


 違うかも知れない。


 でも、この満員電車では痴漢かも知れない。


 女子との触れ合いがなさ過ぎてそういう考え染まり過ぎているかも知れない。


 しかし、なぜか急に苛々してきた。


 言葉に出来ない感情が次々と湧いてきて、手が震える。


 もし痴漢だったら?


 どうする? 俺に何が出来る?

 距離は離れている。

 人を掻き分けて近付くだけで人目を集める。

 そのうえ確かかわからない痴漢の確認をする?

 違ったらどうする? 恥を掻き、その人に迷惑をかける。

 椿姫にもまた冷たい視線を向けられるかも知れない。


 確認するっていってもどうする?

 痴漢ですか? って聞くのか?

 それとも手を掴んで痴漢とでも叫ぶのか?

 同級生がのってるかも知れないこの電車で?


 色々な考えが駆け巡る。

 その間にも椿姫は頬を赤くし、俯き加減に身体を動かしている。


 そして――彼女が横目でこちらを見た。


 ばっちりと瞳は、微かに潤んでいて。


「あっ、すいません。ちょっといいですか。すいません」


 どうだっていい。ここで退いてどうする。


 俺は椿姫と子供の頃のような関係に戻りたいって思ってるんだ。


 だったら、昔を思い出して動けばいいんだ。


 難しいことを考えるのは後回しだ。まずは椿姫の元へ駆けつけること。


 これがガキのころ俺がしていたことだ。


 周りから嫌な顔をされながらも、少しずつ椿姫の元へ近付いていく。


 舌打ちをされたり睨まれたりするが、そんなことは構わない。


 なぜなら……。明日から自転車登校するからだ!


 明日から会わない人間にどう思われてもいい。


 今は椿姫の元へと行かなければ。


 強引に進んで痴漢? の背後へと回る。


 何がどうなっているかはわからないが。


「おはよう。椿姫」


 声を掛けると、微かに椿姫が振り返る。


 その時、ちょうど電車が停車して反対側の扉が開いた。


 振り返る椿姫に、驚いてか、肩を跳ね上げた男は逃げるように電車を降りる。


 捕まえようか逡巡したが――電車に入ってきた大量の人に背中を押された。


「おぉ!」


 いきおい余って扉に手を突いてしまった。


 危ない、と一息吐くと、目の前には椿姫の顔があった。


「あっ、悪い」


 すぐに身体を離れかそうとするが、次々と入って来る人に背中が押され、逆にこちらに向き直っている椿姫を押しつぶすように近付いてしまう。


 なんとか腕に力を入れて触れないように堪える。


「だ、大丈夫か?」


「ええ。大丈夫」


 顔は見えない。見えるのは、椿姫の頭部だけ。


 甘い香りが鼻孔を擽る。力を緩めれば、椿姫と身体が密着する。


 そんな煩悩を振り払うように窓の外を見つめる。


「……ありがとう。助けてくれて」


「あ、いや。その。なんだ。やっぱり、なんかされてたのか?」


「っ!」


 椿姫の頭が俺の胸元にぶつけられる。


 痛みはないが、不味いことを聞いたと反省の念に駆られる。


 痴漢だなんだをされたかどうかなんて聞くべきじゃないよな。


 悪い、そう謝ろうとした時、いきなり電車が揺れた。


 その衝撃で背中が強く押され、踏ん張り虚しく椿姫に覆い被さる。


「わっぷ」


 胸元に椿姫の顔がさっきの勢い以上にぶつかり、そんな言葉が漏れる。


「わ、悪い。でも、少し我慢してくれ」


 小声で伝える。


 つねに背中に力が加わり押し返すことはできない。


 もうこの状況を耐えるしかないが……椿姫の感触が胸元に伝わってくる。


 呼吸をすると髪の毛に触れてしまう。


 腹部が圧迫された。


 見えないが、椿姫の手が当てられているようだ。


 シャツの上から撫でるように動いた後、軽く押される。


 少しでも俺と距離を離れたいからと押しているのだろう。


「ダメ……。ダメ……。ダメ。待って。本当に、ダメ……」


 金色の髪の隙間から見えた耳は真っ赤になっていて、そう言葉を繰り返している。


「本当にごめん。でも押し返せないんだ。もうちょい我慢してくれ」


 好意に思ってない相手の胸元になんて椿姫もいたくないだろう。


 しかし『ダメダメ』と否定されても、今の俺の力じゃどうにもならない。


 椿姫の顔と、小さい手。


 その感触に罪悪感を抱きながら、俺は必死に素数を数えて気持ちを落ち着けた。

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