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2不意打ちの キス

秋藤椿姫



 準備は万満。


 私は自転車の側で立ち、自宅の門に隠れて一つの鏡を見つめていた。


 視線を逸らさずスマホを視界に入れて時間を確認すると、八時十分。


 そろそろ明良くんが起きる時間。


 昨日の夜、部屋に忍び込んだのは目覚ましの時間をずらすため。


 予想通り、耳を澄ますとドタバタと階段を降りる音が聞こえて来た。

 今頃お母様に学校を休んでいいか聞いてるはず。


 でも、明良くんは休まない。


 理由は紗雪ちゃんが休むことになってるから。

 別に私が紗雪ちゃんになにか仕込んだり仕組んだりした訳じゃない。

 ただ、今日は彼女の体調が悪くなる日。

 その周期を私が把握しているだけ。


 紗雪ちゃんはいま凄い反抗期を迎えている。

 私にもお父様や明良くんの愚痴を零すほどに。

 何回か二人が確実に死んでしまう計画を相談されたことがある。

 モノまで作ってたから流石に少し焦ったけど、話せば分かってくれる根は良い子。

 たまに少し恐いけど。


 鏡に玄関から飛び出てきた明良くんが映った。


 私は何事もなく自転車を押して歩き出す。


「ま、待ってくれ椿姫!」


 明良くんが私を呼んだ。


 こうして名前を呼ばれたのは中学二年生の夏休み前。

 7月21日金曜日の午後5時12分以来のこと。


 ずっと待ってた。そうやって私の名前を呼んでくれるのを。


 必要としてくれるのを。


 嬉しい……。あまりの嬉しさに身体が震えてきた。

 幸せが身体を満たして目が涙で一杯になる。細胞の一つ一つが絶頂してる。


 動けないでいると、明良くんが走って前に回り込んできた。


 いけない。ここで幸せな感じを出したら怪しがられちゃう。


 だから表情をいつも以上に引き締めて、睨み付ける。

 呼吸を整えて、学校でいる私を演じる。


 ……やだっ、明良くん寝癖ついてる可愛い。


「つば……。いや、秋藤。昨日はごめん。その、わざとじゃないから許してくれ」


 えっ? なんで? なんで名前で呼んでくれないの?

 嫌だ嫌だ嫌だ。名字で呼ぶなんて嫌だ。

 さっきみたいに名前で呼んでよ。椿姫って呼んでよ。


「……ッ」


 いけない。我慢しないと。ここで弱いところは見せられない。

 堪えないと。全身に力を入れて、表情に出ないようにしないと。


「本当にごめん! 後でなんでもするから今は」


「なんでも?」


 あまりの美味しい言葉に感情が抑えきれずに食い気味に喋っちゃった。

 でも表情は保ててるはず。


 心を落ちつけて。


「後でなんでもしてくれるの?」


「あ、ああ! だから自転車に乗せてくれ! もちろん俺が前で漕ぐから!」


 どうやら明良くんは遅刻が嫌でそうとう焦ってるみたい。

 予想外の収穫。

 スマートフォンのボイスレコーダーがONになっているかが気になってくる。言質でもちゃんと記録しておかないと。あとでイケないことになっちゃうから。


 でもここで焦っちゃダメ。

 ちゃんと計画通りに動かないと。


「……私、あの日から二人乗りしてないの。久し振りだから危ないと思うけど」


 あの日というのは明良くんの後ろに乗せてもらってからという意味。

 貴方以外の人の後ろになんて付いていかない。ずっと明良くんのことを待ち続けてた。他の人になんて心はもちろん、身体も与えていない。

 ハッキリと言葉にできないけど、ちゃんと伝わったよね……?


「大丈夫! 昔みたいに俺にしがみ付いててくれてれば安全だから!」


 よかった、伝わったみたい。

 昔みたいに私は明良くん一筋で、何があってもしがみ付いて行くから。


「そう? なら、いいけど」


「よし、行くぞ!」


 自転車に乗ると、さっそく猛スピードで走り出した。


 本当は昔みたいに両手を回して抱き付きたい、背中に顔を押し付けて感じたい。

 けど、それは我慢。服の裾を摘まむ程度で我慢する。


「石を避けるぞ」


 明良くんの言葉に、深呼吸を済ます。


 大丈夫。


 河川敷側に避けるって位置に石は何個か置いた。


 友達と何回も土手を転がり落ちる練習をした。


 怪我がないように、自転車は土手に残るように。


 そして、転がりながら明良くんが私に覆い被さるように。


 唇が重なる――というのはお預け。


 胸やスカートの中に顔を押し付けるというのは運要素が強すぎた。


 だから採用したのは妥協案。


 確実性が高いし、私の目的に近いからギリギリOKの案。


 大きい背中から顔を出して石の位置を確認。


 明良くんがハンドルを河川敷側に切った瞬間、私は明良くんに抱き付いて身体を河川敷へと放り投げた。


 視界がぐるぐると回る。けど、経験済み。シミュレーション通り。


 一番下まで転がり落ちたところで目を開くと、明良くんの顔が目の前にあった。


 大きめに吐息をはくと、擽ったそうに目を細める。


「悪い!」


 明良くんが身体を起こす前に、瞳を閉じる。


 覚えてる? 昔もこんなことがあったこと。


 あの時は明良くんから私を誘ったんだよね?


 嬉しかった。私のことをそう思ってくれてるんだって。


 もしかしたら妹とか、恋愛感情のない幼馴染みに見られてると思って不安だった。


 でも、そのとき初めてそういう目で見てくれてるって確認できたから。


 明良くんも思い出してくれてるかな?


 もし思い出して、瞳を閉じた私を目の前にして……でも、明良くんはキスはしてこない。


 ちゃんとした人だから。


 付き合ってもない人にそういう行為はしない人だから。


 今回私が欲しいのは明良くんの言葉。


 目を瞑ったのはキスを誘った訳じゃなくて、見つめ合った状態だと私が我慢できなくなっちゃうから。それに、こうした方が明良くんも伝えやすいと思うから。


『今までごめん。でも、椿姫のこと愛してるから結婚してくれ』


 そして唇を重ねてくれる。


 そうしてくれると信じてる。


 ……でも、なかなかその言葉が来ない。


 不安になって薄目を開けると、明良くんの顔が少しずつ迫ってきていた。


 えっ? うそ? 本当? キスしようとしてる? 明良くん、私にキスしようとしてるの? 待って。まだ心の準備が出来てない。だって先に謝ってくれると思ってたから。プロポーズが先だって思ってたから。いきなり、そんな。唇を近付けられても困る。


 ドキドキする。心臓が張り裂けそう。こんなに苦しいのは初めて。

 でも、明良くんになら、このまま奪われても全然……。


「わんわん! わんわんわん!」


 突然の音に驚いて明良くんは飛び上がった。


 そのままこちらを見ることなく心配そうにこちらを見ていた土手にいるお爺さんに無事を知らせている。


 しょうがない。そんな時もあるね。


 むしろ今回はこれでよかった。


 あのままキスをしてもらっていたら、それは少し違ってた。


 納得できなかったかもしない。ちゃんと順番を踏んでからじゃないと。


 でも、もしキスしてくれてたら、それは明良くんは私を愛しているってことで……。


「遅刻になるけど」


「あ、ああ! 悪い。すぐに行く!」


 再び自転車に乗って学校を目指す。


「あ、危ないから。ちゃんと掴まっといた方がいいぞ」


 優しいね、明良くんは。

 昔みたいに抱き付いてみようかな?


「そう。なら、少しだけ」


 止めておこう。


 いま抱き付いたら、離れられなくなりそうだから。


 腰を掴むと明良くんが少し震えた。どうやらここが弱いらしい。


 あまりの可愛さに、顔を背中に押し付けてしまった。


 さっきのドキドキがまた押し寄せてきた。


 周りの音なんて気にならない。


 あまりに自分の鼓動の音が大きすぎて。


「うるさいかも」


「な、なにが?」


「……いえ。なんでもない」


 今は言えない。


 幸せすぎて心臓の音がうるさいなんて。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 「友達と何回も土手を転がり落ちる練習をした。」 [一言] 友達はどこまで事情を聞いているんだろうか
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