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2仕込まれた 目覚まし

佐野明良



 頭に響く機械音ですぐに目が覚めた。


 スマホのアラームを止めて、ゴロゴロしながら振り返る。


 昨日いつ寝たっけ?


 確か風呂から出た後、部屋の窓を開けたら椿姫の下着姿を見ちゃって、変態って言われて、これからどうするかを考えて……。その途中で寝てしまった。


「そうなるとずいぶん寝たことになるな。道理で寝起きがいいわけだ」


 いつもならアラームを消した後、あまりの眠さに二度寝をしてスヌーズが鳴ったら嫌々起き上がる感じだ。それなのに今日は頭が既に冴えて二度寝をしたいとは思わない。いつもこうなが学校に行くのも怠くないのに。


 そんな事を考えながらスマホを見ると。


「……はぁ?」


 自分の目を疑った。


 デジタル時計は八時十分と表示されている。


 いやいやいや、そんな筈はない。アラームは平日毎日設定の七時に固定してるはず。

 それなのに八時十分? 有り得ない。

 有り得ないのだが、表示が変わって八時十一分と時を刻んだ。


「ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ」


 声に出しながらスマホだけ持って一階に駆け下りた。

 リビングに立て掛けられている針時計を確認すると、スマホの表示が狂ってないことに絶望する。


 脳裏に『遅刻』という文字が駆け巡った。


 どうする? どうする?


 落ち着け、落ち着け俺。

 遅刻なんてたいしたことじゃない。一度ぐらいしても人生になんの影響もないはず。

 むしろ長い人生で遅刻をしたことがないという人の方が珍しい。

 特に高校生なんてちょっと悪いぐらいがイケてる感じだから泊が付く。

 

『さっせぇーん、遅れやしたぁー』


 とかだらしなく教室に入った方が女子にモテるかも知れない。

 と、自分に言い聞かせているが平常心ではいられない。


 なにせ俺はこれまで一度も学校を遅刻したことがないのだ。

 体調が悪くて休むことはあったが、遅刻はない。


 出席確認や担任が喋っている教室に、扉を開けて入っていく。

 当然クラスメイトの視線は俺へと集まり、教師から理由を聞かれるだろう。


『ね、寝坊したので遅れました(震え声)』


 可笑しくない。なにも変なことはない。他の奴等は年中していることだ。

 俺だっていちいち遅刻した生徒を見なければ、理由を聞いて何か思ったことはない。

 それぐらい大したことがないことなんだ。


 それなのに、自分の場合を想像してしまい、クラスメイトの視線、教師の問いかけに身震いをしてしまう。


 時間は八時十五分になっていた。


 学校までは電車を使って二十分ほど。既に間に合わない。


 だったら……。


「母さん。今日休んでいい?」


「風邪?」


「いや、まあ。少しだけ体調がよくないぐらいだけど」


 みんなの注目を集めるのは嫌だ。遅刻するぐらいなら休んでしまえ。


 幸いうちは厳しくない。元気な時でも寝不足と言えば休ませてくれる。


「ならよかった。今日は紗雪が調子わるくて休んでるから。面倒みてあげて」


「やっぱ学校行くわ遅刻しそうだから急ぐ」


 まさか紗雪が熱だして休みなんてタイミングが悪すぎる。


 現在、妹は父兄への反抗期真っ最中。


 面倒なんて見ようとしたものなら暴れ回って抵抗するに違いない。最悪、俺に看病されるなら自殺する、或いは体調が悪いのをいいことを俺の命を奪ってくる可能性がある。


 かといって放置をすれば妹を溺愛している両親に不慮の事故を装って殺されかねないのでどちらにしてもBAD END。運良く異世界に転生してくれないと割に合わない。


 だったら学校へ行った方がマシだ。


 ささっと最低限の身嗜みを整えて玄関を飛び出す。


 女の子との出会いを求めて電車を使っているが、距離的には歩いても行ける距離。

 自転車があればそっちの方が時間はかからないほどだ。

 残念ながら自転車はうちに置いてないんだけど……。


 走り出そうとしたところで見慣れた彼女――椿姫が自転車を押して門を出ていくのが見えた。こちらを見ずに押し続け、そろそろ乗るだろうというところで。


「ま、待ってくれ椿姫!」


 遅刻という状況に、何も考えずに咄嗟に声を掛けていた。


 椿姫は足を止めたが振り返らない。


 昨日の事があるのであまり刺激はしたくないが、そうも言っていられない。


 走って椿姫の前に回り込む。


 幼い頃の、内気でいつも涙目だった表情は見る影もない。


 綺麗な蒼眼にシュッとした凜々しい小顔。


 いつも以上に鋭い眼光がこちらを睨み付けている。


「つば……。いや、秋藤。昨日はごめん。その、わざとじゃないから許してくれ」


 昔の癖で名前が出掛けたが、それを止める。


 今の俺と秋藤の立場で、名前を呼び捨てにするのは躊躇われる。


 怒りの視線を向けられているにも関わらず、長い睫毛にくっくりとした目鼻立ち。薄い桜色の唇に見惚れてしまいそうになる。

 

 そんな彼女と寝癖すら直せていない自分。


 ネガティブで自虐的かも知れないが、綺麗な彼女とだらしない俺。

 そんな関係で名前を呼び捨てをすることができなかった。


「……ッ」


 舌打ちをした訳ではないし、表情が変わったわけでもない。


 それでもどこか怒りの圧が増した気がした。


 やっぱり昨日の事を怒っているのか。


「本当にごめん! 後でなんでもするから今は」


「なんでも?」


 言葉の途中で口を挟まれた。


「後でなんでもしてくれるの?」


「あ、ああ! だから自転車に乗せてくれ! もちろん俺が前で漕ぐから!」


 二人乗りといえど自転車で全力で漕げばギリギリ間に合う。


 いつも朝早くて電車通学している椿姫がなんでこんな遅刻ギリギリに……? とも思うが、昨日のことが原因だったら更に気まずくなりそうだから聞くのは止めておこう。


 椿姫は自転車の荷台を一瞥して。


「……私、あの日から二人乗りしてないの。久し振りだから危ないと思うけど」


「大丈夫! 昔みたいに俺にしがみ付いててくれてれば安全だから!」


「そう? なら、いいけど」


「よし、行くぞ!」


 椿姫を後ろに乗せて一気にペダルを踏み込む。


 安全運転を心がけつつも住宅街を一気に駆け抜けて河川敷の土手へと出る。


 気がかりなのは、椿姫があまり掴まっていないこと。


 昔は両手を回して顔を背中にくっつけていたのに、今は背中を少しつまむ程度。


 二年間で空いてしまった距離感に悲しくなるが、悪いのは俺だ。


 いつかまた椿姫に後ろから思い切り抱きしめてもらえたらと思いペダルを漕ぐ。


「石を避けるぞ」


 一直線に進んでいると少し先に大きめの石が見えた。


 予め伝えて避けようとすると――横から何かが衝突したかのような力にハンドルが切られる。立て直せないと判断して咄嗟に握っていたハンドルを手放した。


 自転車から放り投げられた形で俺と椿姫は長い土手を転がり落ちる。

 

 視界が何度も回転して身体が打ち付けられる。


「いててててっ」


 土手を転がり落ちて身体が止まる。


 いきなりなにがあったんだと頭を振って目の前を見ると、椿姫の顔が眼前に迫っていた。地面に倒れている椿姫の覆い被さるようにして、鼻先が触れる距離に迫っている。二つの蒼眼に自分の姿が映るのが見えるほどで、彼女の吐息が頬を擽った。


「悪い!」


 急いで立ち上がろうとしたところで、椿姫が瞳を閉じた。


 その行動に、身体が硬直してしまう。


 子供の頃に同じようなことがあった。


 段ボールをソリ変わりにして二人で土手を滑り降りて遊んでいた時、調子に乗ってウィリーをしようとしたら体勢を崩して、二人で転がり落ちて……。

 その時は確か俺が下敷きになる方で、頭を動かした椿姫の後ろから差し込んだ日の光があまりにも眩しいから目を閉じた。


 そしたら椿姫にキスをされたんだ。


「しゅ、秋藤?」


 呼びかけるが返事はない。


 どういう意図があるのか。


 なんで彼女は瞳を閉じたまま身動きを取らないのか。


 俺にはわからない。わからない、けど。


 震える桜色の唇を見ていると、なぜか吸い込まれる感覚になり。


 次第に前のめりになってまい――。


「わんわん! わんわんわん!」


 土手の上から叫ぶ犬の声で我に返った。


 そちらを見ると吠えている犬と心配そうにこちらを見ている老人。


 慌てて立ち上がり怪我はないです! と手を振って対応。


 そのうちに秋藤は立ち上がり足早に土手を上がっていた。


 自転車を立てると、呆然としている俺を見下ろしている。


「……遅刻になるけど」


「あ、ああ! 悪い。すぐに行く!」


 急いで自転車に乗って再び全力でペダルを漕ぐ。


 その前に。


「あ、危ないから。ちゃんと掴まっといた方がいいぞ」


 昔のようになりたくて、下心があって言ったことじゃ決してない。


 ただ、安全のために言ったんだ。


「そう。なら、少しだけ」


 腰元を両手で掴まれる。骨に触れられてむず痒くなるが、それは堪える。


 そこからは順調に進み、ギリギリ遅刻を免れるといったところで、背中に暖かい感触が伝わった。いままで気付かないようにしていた鼓動が更に激しくなり、いよいよ顔が熱くなってくる。


「うるさいかも」


「な、なにが?」


「……いえ。なんでもない」


 まさかこのうるさい鼓動を聞かれた?


 緊張だったり、興奮だったりに気付かれた?


 そんな不安を抱きながら、俺は校門を滑り抜けた。

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