10勇気の 匂い
佐野明良
家族の行動……よし!(両親は買い物。紗雪は友達と遊び)
身なり確認……よし!(違和感がない程度の清楚な身嗜み)
部屋の掃除……よし!(床に落ちた毛の徹底排除。PCは完全ロック)
部屋の匂い……よし!(芳香剤セット。服にはファブリーズを吹きかけ済み)
1つ1つを指さししながら確認していく。
これから俺の部屋に椿姫が来る。
昨日の夜、緊張しながらも椿姫にスマホで連絡を入れた。
『テスト勉強一緒にしないか?』
無難でなんの変哲もない完璧な誘い文句。(ソースはネット)
既読が付いてから30分返事がなかったから危うく自殺するところだったが。
『誘ってくれてありがとう。是非』
という返信が来たので俺の部屋へとお誘いしたのだ。
30分の間なにがあったかはわからない。
それでも約束にこぎ着けられたからよしとしよう。
「そろそろか」
現在時刻は12時50分。
集合は13時からだからもう少しあるけど、そわそわして落ち着かない。
昨日同じベッドで寝ていたはずなのに、今回の方がずっと緊張する。
「あぁ! 大丈夫! 大丈夫だよなぁ! いきなり部屋って大丈夫だったよなぁ!」
なにもすることがないのがこんなにも不安だとは。
我慢できなくなって階段を降り、軽い気持ちで玄関の扉を開けると。
「つ、椿姫」
椿姫が前に立っていた。
膝丈ほどの白いワンピースにはウエストにリボンが備えられ、下には黒のストッキング。上には軽く水色のカーディガンを羽織っている。
勉強をするからか、髪が邪魔にならないよう後ろで縛られていた。
驚いた様子でこちらを見ている椿姫に。
「どうしたんだ? こんなところで」
「……いえ。ちょうどチャイムを押そうとしていたところだけど」
「そ、そっか。悪いな、変なタイミングで。入ってくれ」
驚いたけど、それ以上に椿姫が驚くよな、そりゃ。
チャイム押そうとした瞬間に扉を開けられたら。
「飲みもの持ってぐから。先に行っててな」
「ええ」
リビングに入り用意していたグラスに麦茶を注ぐ。
……落ち着け。落ち着けよ俺。久し振りの私服を見たからって焦ることはない。
しかし、まあ、そうか。髪を結っているのを見たのは初めてかも知れない。
髪が結われていつも以上に椿姫の顔が見られて思わずドキドキしてしまった。
細い首筋だったり後ろから覗かせたうなじがこんなにも見方を変えさせるとは。
「いかんいかん。早くしないと」
思い返してデレデレしてる場合じゃない。これから勉強するんだから。
足早に階段をあげり部屋へと入ると、椿姫は行儀よく卓袱台の前に座っていた。
伸びた背筋の割に髪の毛が微かに乱れていたり、纏められた髪が揺れていたり。
ま、気のせいか。
「さっそく始めるか」
椿姫の前に座って勉強を開始する。
スラスラ、スラスラ……と、お互いに数学の問題を解いていくだけ。
たまにちらりと椿姫を見る。
ウエストがリボンで締められているので強調された胸につい視線が言ってしまう。
頭を振って逸らすも、真剣な目付きをしている表情に釘付けになりそうになる。
ダメだ。勉強勉強……と。
「匂い」
「ん? どうした?」
椿姫が手を動かしながら声を出す。
「芳香剤の匂いが、少し苦手で」
「わ、悪い! そうだよな! ちょっとアレだったよな!」
まずった! こういう香りが嫌いな人もいるよな!
気合い入れて強めのをチョイスしたのが完全に裏目に出ちまった!
すぐさま芳香剤を回収してクローゼットに叩き込む。
「よく紗雪に臭いって言われるからさ。そうだ! 今度一緒に買いに行かないか?」
上手い! よく機転を利かせたぞ俺! これで次の約束を入れられる! 天才!
これはもう付き合ってるといっても過言じゃない!
「はい」
と椿姫は返事してから。
「……いえ、それは、ちょっと。言いにくいのだけど」
申し訳なさそうに拒否をした
こ、これは、あ、あれか?
デートの誘いを断られたってことなのか?
まだ付き合ってないから、デートって、あれじゃ、ないけど。
あれ? えっ?
視界がグニャリと歪んでいく。
まさか椿姫に拒否されるなんて思っていなかった。
「あっ。ち、違うの! その」
椿姫は言いにくそうに、俯いて顔を真っ赤にしてから。
「私。明良くんの、香りが、昔から好きだったから。だから、そっちを嗅がせて欲しいっていうか」
「そ……。そういうことか! なんだよかった。よかったよかった」
別にデートを断られた訳じゃなかった! セーフ! セーフ! オールセーフ!
俺の匂いってのがよくわからないけど! まあセーフ!
「じゃあ、いい?」
上目遣いを寄越して聞いてくる椿姫に。
「えっ? まあ、いいってことになるな」
よくわからないけど、俺の匂いでいいってことだよな?
これからは芳香剤は置かないで欲しいと。
だから買い物には行く必要がないと。
それならなんの問題もない。
と、思っていると、椿姫が猫のように床に手を突きこちらに近付いて来た。
「なにを」
訳が分からず固まっている俺に、椿姫の顔がこちらに迫る。
驚いて目を閉じると……クンクンと、鼻を鳴らす音が聞こえた。
見ると、椿姫が鼻を俺の首元に近づけて、まるで犬のように匂いを嗅いでいる。
顔を動かせばぶつかる距離に、目線を下げると開いた胸元が覗き込めてしまう。
熱が空気越しに伝わって来て、一気に汗が噴き出てくる。
椿姫はスゥーと口で呼吸をした後、元の位置へと戻り。
「ごちそうさ。いえ、ありがとう。さ、勉強をしましょうか」
「お、おう。そうだな」
わ、訳が分からないよ……。と、動転してる場合じゃない。
平常心! 平常心! ただ椿姫が俺の匂いを嗅ぎに来ただけ!
平常心! でいられる訳がない!
椿姫の香り、熱、そして微かに見えた胸。
必死に平常心を考え数字の羅列を睨み付けるが、ドキドキが収まらない。
いま正面を見たら。いま椿姫と目が合ったら顔から火が出て死ぬかも知れない。
落ち着け。とりあえず落ち着きを取り戻せ。
麦茶を飲んで、クールダウン。
「ふぅ……。よし」
「ふぅ……。よし」
「ん?」
「ん?」
重なる声に正面を見ると、目が合った。
改めてみる綺麗な蒼眼に新雪のように白い肌。
整った顔に。
「べ、勉強するか」
「そ、そうね」
すぐさま勉強を再開させた。