8-1悩み 相談
秋藤椿姫
「そんな匂い嗅ぎながら食べなくてもいいのに」
「佐野に入れてるのと同じの入れられてたらたまったもんじゃないから」
アヤメちゃんは卵焼きの匂いをクンクンと嗅いでから口の中に放り込む。
「あれはあきら……。佐野くんのだけにしか入れないわよ。別に食べても問題ないものだし」
「そうかも知れないけど。得体の知れないものなんて食いたくないの」
続けてウィンナーの匂いを嗅いでから食べる。
私が考えに考えて作った愛情の白い調味料。
病み付きになる味をしているけど、身体に悪い事もなければ違法なものでもない。
前にアヤメちゃんに出したら『不穏な匂いがするから食べたくない』と的確に断られた事がある。私でも匂いじゃ入っているのかわからないのに、不思議だけどアヤメちゃん特有の何かがあるんだと思う。
「味は美味いんだけど」
一つ一つ匂いを嗅いでから食べている姿は見ていて気持ちよくないけど、これに関しては昔から信じてくれない所だから今さら言ってもしょうがない。
「そういや話しってキスしたってだけ?」
「そう! ……いえ、それだけじゃないわ。実は困ってる事があって」
「なに」
「佐野くんと仲直り出来たのはいいのだけれど。学校では今まで通りに接したいって言ってきたの」
「なるほどねー」
お味噌汁を啜りながら遠くを見るアヤメちゃん。
「ま、しょうがないっしょ」
「しょうがない事なんてなにもないでしょ? だって私と明良くんはもう家族のようなものなのよ? 幼い頃に婚約は済ませているの。少しだけ距離を置く事になっていたけど、それを婚約破棄したとは捉えることは出来ないはず。心の中ではお互いを愛し合っていたのだし、またこうして元の関係になれると分かっていたのだから。であれば関係が元通りになった今ならもう周りに隠す必要なんてないじゃない。むしろ公表していくべきだと思うの。私と明良くんの関係性を。婚約は隠すにしても、お付き合いをしているということは全面に出していくべきだと思うわ。そうすれば学校でもイチャイチャできるのだし」
「秋藤がイチャイチャしたいってだけっしょ?」
「そうだけど!」
「そうだろうけど」
だって……だってそうだもん!
やっと明良くんと仲直り出来てこれからいっぱい一緒にいられるって思ったのに!
『学校でもお互いの為に今まで通りでな』
って言われた私の絶望がわかる!?
今まで一緒にいられなかったぶん高校生活はイチャイチャしたかった!
それはもう先生に訴えてでも席替えをして隣の席になりたかった!
登下校はもちろん手を繋いだり自転車に二人で乗ったりしたかった!
授業をサボって屋上で肩を寄せ合いたかった!
保健室で同じベットで寝たかった!
それなのになに! 今まで通り? 嫌だ嫌だ嫌だ!
ずっと明良くんを感じていたい!
「佐野だって一緒にいたいんじゃないの」
「当たり前でしょ? 一緒にいたいに決まってる」
「でも『お互いの為に』とか言ってたんじゃないの?」
「なんで知っているの? 私と明良くんの愛に割り込もうなんて例えアヤメちゃんと言えど」
「いや佐野ならそう言うと思っただけだから」
さ、流石はアヤメちゃん。明良くんのことまで理解してる……ズルい。
「一緒にいたいならいればいいじゃない? なんでわざわざ隠すようなことを」
「ん、まあ。あれでしょ。説明すんの面倒いなぁ」
アヤメちゃんは溜息を吐いてから。
「秋藤は佐野と一緒にいたら、もう佐野しか見ようとしないじゃん?」
「明良くんがいる以上、他を見る必要がないもの」
「でも今の友達って秋藤なりに頑張って作ったんじゃないの?」
「それはそうだけど」
人見知りという性格はまだ直っていない。
話しかけて来てくれる子に話しを合わせて、遊びに行ったりして。
頑張って自分から挨拶してみたり、お昼に誘ってみたりして仲良くなった。
「けど、それだって明良くんに成長したところを見て欲しかったから」
「最初はそうでも今は違うんじゃない? あの背の高い奴とかとご飯食べてるとき割と楽しそうにしてんじゃん。元気そうな奴に付き合ってバドミントンしてる時も楽しそうだし」
「それは」
思い返すと、確かに今の友達といるのも楽しい。
中学校の頃はただ一緒にいる人を作っただけだった。
けど、高校で一緒にいる子達は、自分で選んで作った友達。
この子達といるのは楽かも知れないと考えた結果。
「佐野はそういう関係も秋藤に持ってて欲しいんでしょ? 例えば、アタシがいなかったらどうよ?」
「絶対に嫌。明良くんとは違うけど、アヤメちゃんの事も愛してるから」
本当は学校でもアヤメちゃんと一緒にいたい。
けど、アヤメちゃんは私を避けるから一緒にいられない。
連絡をしても返してくれないし、お昼に誘ってもどこかへ逃げてしまう。
「佐野はいいけど、アタシに重いのやめて欲しいんだけど」
いつも助けてくれるのに、いつもそんな調子でひらひら躱してくる。
でも、それがアヤメちゃんらしい。
「そういう人って何人かいた方がいいんじゃないの? 私1人だけじゃなくて」
「そう、かしら」
知り合いが多ければそれだけしがらみが出来てしまう。
遊びに誘われたり、誰かを紹介して欲しいとお願いされたり。
でも、今いる子達はそういうことは言ってこない。
ただ私と一緒にいて、遊んでいるだけ。
「ま、不利益がないならわざわざ捨てる関係じゃないっしょ。秋藤が佐野とも友達とも上手くやれるならいいんだろうけどさ」
それは、出来ないと思う。
明良くんと一緒にいていい事になったら、私は明良くんから離れない。
本当なら今だって明良くんと一緒にいたいんだから。
そうしたら、間違いなく友達とは疎遠になってしまう。
だから、明良くんの考えは良くて、アヤメちゃんの言う通りかも知れない。
「理解は出来るけど、納得してなさげだね」
顔に出ちゃったのか、アヤメちゃんがそんなことを言う。
「佐野くんとイチャイチャしたいっていうのは譲れない。けれど、今の友達と仲良くしたいって気持ちもあるもの」
「だったらいいっしょ。帰ったら佐野と楽しくすれば。それに、佐野にだって友達がいるわけだし」
「そう、ね」
仮に私が今の友達を捨てて明良くんと一緒にいたら、明良くんはどうなのか?
私のせいで明良くんの友好関係を壊してしまうのはいけないこと。
お互いの為、というのは明良くんのこと、自分の事も考えての事かも知れない。
「また佐野くんと話し合ってみる」
「それがいいよ。そもそも二人って付き合ってんの?」
いきなりの質問に、ふっ、と笑ってしまいたくなる。
「アヤメさん、今さら何を言ってるのかしら。私達は婚約しているのよ?」
「じゃあどっちが告白したの」
「それは……。こ、告白なんてしなくても婚約しているのだから」
「ふーん、じゃあ付き合ってる訳じゃないんだ。婚約も2人で勝手にした口約束だし。案外関係性薄いねえ、アンタ等の関係って」
いつも変わらぬお気楽な感じで言うアヤメちゃんに、何も言い返せない。
「佐野に好きって言われた?」
「子供のこ」
「今の話し」
「い、言われて、ないけど」
「付き合いたいって言われた?」
「言われて、ないけど」
「ふーん……。じゃあただの幼馴染み止まりか」
「なっ……。なにを……」
雷に打たれたような衝撃に襲われて声が出なくなる。
私と明良くんがただの幼馴染み止まり?
有り得ない、そんなこと!
小さい頃にあれだけ一緒にいた。一緒に寝たし、裸も見せ合ったし、キスもした。大きくなったら結婚しようって誓い合った。それをただの幼馴染み止まり?
でも……。でも、改めて考えると否定出来ない。
関係性で言えばそう。
例え運命的に繋がれることが約束された存在とは言え、今の私と明良くんは付き合ってない、結婚していない、身体を重ねてもいない、家族になってない。
戸籍的にはだけど!
「……キス、したもん」
「はぁ? なんて?」
「キ、キスしたもん! しかも昨日! 明良くんからキスしてきてくれた!」
「キスなんて別に付き合ってなくてもする人いるじゃん」
「っ! じゃあ告白してもらうからいいもん! 明良くんから! それでいいんでしょ!」
「そうしてらもった方がいいんじゃないの?」
アヤメちゃんはニタニタと楽しそうに笑いながら。
「そうじゃないとただの幼馴染みだかんね。アタシとの関係と変わんないんじゃない? アタシだって佐野とはガキの頃から仲いいし。そういえばアタシも佐野と小さい頃に結婚する約束したかも」
「ア、アヤメちゃんのバカ! すぐに明良くんの彼女になってみせるんだから!」
怒りのあまり、私は立ち上がってしまう。
「そしたらまた教えてね。あっ、いつでも相談には乗るから」
「すぐに頼るからね! アヤメちゃんのバカー!」
そう言って私は涙を流して人気のない裏庭へと逃げた。