5冷えた身体と 彼の温もり
※本編終了後の追加エピソードです。
秋藤椿姫
明良くんは天気が良いとよく歩く。歩幅が少し大きくなって、曲がり角のたびに空を見上げる。その時に無言で『これだよ、これ!』とかたまに呟いちゃって、他の人に聞かれて恥ずかしがってるところは本当に可愛い。愛くるしい。私が頭を撫でながら『大丈夫だよ』って支えてあげたい。未来の私の旦那様。
だから、今日は歩いて登校するってわかってた。
放課後、ウキウキで校門を出ていく明良くんの後を追いかける。
少し距離を置いて、バレないように自然と足を運ぶ。
うん、大丈夫、見失っていない。
「いい天気~♪ ふふふ~ん♪ ふふふ~ん♪」
鼻歌に合の手を入れてあげたいけど、それは我慢。結婚したらいつでも盛り上がってあげられるから、それまではじっと我慢する。
っていうか、なんでこのタイミングで誰も出てこないの? 思わず漏れる鼻歌を聞かれて恥ずかしがる明良くんが世界で一番可愛いのに! 苦笑いしながら照れる明良くんが見られればこの上ない幸せなのに!
商店街に入る前、雨がぽつりと降って来た。
「オカルト研究会の子たちに頼んでおいてよかった」
思わず、口の中で呟いてしまう。半分冗談、半分本気。雨乞いなんて本当に効くのかはわからない。けど、運命は私と明良くんを祝福してくれたみたい。
ありがと神様。あと、オカ研のみんなも。
大粒の雨が肩に落ちた。ブレザーが湿る前に脱いで、鞄に仕舞う。中に傘が見えたけど、それは取り出さない。
明良くんが神社に入っていくのを見て、心臓が跳ねた。
シャツが雨に濡れて身体に張り付く。少し肌寒いけど、今はそれが心地良い。
まるで悪い子。頭のどこかでそう囁くけれど、私は雨粒を受け止め続ける。
神社の階段をあがった先、背伸びをして拝殿を覗くと、明良くんが祈ってた。
なにを祈ってるのかな?
私との将来を祈ってくれてるなら嬉しいけど……今は違うかも知れない。
けど、大丈夫。すぐに私が迎えに行くから。
明良くんが目を開く前に、同じ屋根の下に入り込む。呼吸を整えるふりをしながら、視線をそっと彼へ。私を感じて瞳がこちらに向けられた。
驚いた時の瞳の開き方は、昔から変わってない。
好き。
視線があって、すぐに外す。
驚きと気まずさ。でも、それだけじゃない。耳のあたりが、ほんの赤くなってる。
濡れたシャツの下に、明良くんはなにを見たのかな?
「へくちっ!」
我慢しようと思ったのに、小さなくしゃみが出た。
やだっ、恥ずかしい! するならもっと可愛いやつにしたかったのに! 我慢できなかった!
「へくち! へっくち!」
止まらないくしゃみに、自分の顔が熱くなるのを感じる。
我慢したいのに、歯を食いしばっても止まる気配がない。
雨で一気に気温が落ちて、予想以上に身体が冷えてしまったみたい。
俯いて、必死に寒さを耐えていると、明良くんが勢いよくブレザーを脱いだ。
まさか小さい頃みたいに、一緒の服に包まってくれる?
お互いの肌を擦り合わせて、暖め合って、このくしゃみを止めてくれる?
「これ。着るか?」
差し出されたシャツとブレザー。
そうだよね。昔みたいにはいかないよね。
なったら嬉しいけど、それはさすがにって、私でもわかるから。
「俺のなんて、嫌だよな……」
い、嫌なわけない! 明良くんの服を渡されて嫌がるわけがない! 明良くんの匂いが付いた服なんてずっと欲しかった! サンタさんに何回もお願いした! 昔の服ならバレないかな? って何度も服を盗もうとした! こっそり部屋に侵入してなんども吸った! その服を嫌がるはずないよ!
「……あっち、向いてて」
でも、それを態度には出せない。今はまだ、そういう段階じゃないから。
すぐに服をもらって、冷静な言葉を心がける。
慌てて背中を向ける明良くん。
こんなところで服を脱ぐのは恥ずかしい……けど、大丈夫。
ここまでに来る階段では友達が見張ってくれてる。
誰かが来たら、すぐに連絡が来ることになってる。
だから、今は明良くんと二人きりだから。
覚悟を決めて、濡れたシャツを脱ぎ捨てる。
明良くんの服に包まれたい気持ちを抑えて、まずは身体をタオルで奇麗に。
せっかくの密着だもん、不純物は取り除いた素肌で味わいたいもんね?
袖を通すと、指が明良くんの背中に触れた。
ぴくっと跳ねた明良くん可愛い。
もっと驚かせて反応みたい。
けど、それは我慢。
「もういいわよ」
冷静に声を出す。
振り返って、向けられた視線が、一瞬だけ泳いで、それから斜め下に逃げた。
照れ照れも可愛い。本当はもっとじっくり見て欲しいけど。
「じろじろ見ないでくれる?」
「す、すまん。つい、可愛いなって」
「――ッ!」
えっ?
えっ? えっ? えっ? えっ? えっ? えっ? えっ?
えっ?
いま明良くん私のこと可愛いって言った! 言ったよね! 絶対に言ったよね!
うそ? 嬉しい……。
あまりの嬉しさに変な声出ちゃったかも知れない。でも、それはしょうがないよね。だって明良くんが可愛いって言ってくれたんだもん……。
「違う! 違くてだな! 変な意味はなくて! その、なんて言ったらいいかわからないんだけど、本当に……。その、ごめん……」
違う? 違くないよ! 明良くんは私のこと可愛いって言ってくれたよ! そんなこと言っても絶対にさっきの言葉はなくならないよ!
明良くん、よそ見しないでこっちを見て! もう一回言って! 一回じゃなくて何回でも言って! お願いだから!
なんて願っても、明良くんは耳まで顔を真っ赤にして、遠くを見つめている。
うぅー……。そんなに照れないでもいいのに。昔はいつも言ってくれたんだから。
でも、しょうがないよね。明良くんは思春期なんだから。
そういう言葉を口にするのは、恥ずかしいもんね。
遠くを見つめて心を落ち着けようとしている明良くん。
私は袖口を胸元に抱え、そっと鼻先を当てる。
寒いから、温めているだけ。もし見られても、そう見えるように。でも、本当は少し違う。布に残った体温、洗剤の匂いに混じる明良くんの香り。深く吸い込むわけじゃない。ただ、確かめるみたいに、短く。何度も。忘れないように吸う。
あぁ、これ。私にとって中毒性が高いかも知れない……。
「すんすん……」
待ちわびたこの香り、やめられなくなっちゃう。
明良くん成分が胸がいっぱいに広がって、視界の端がきらきらする。
どれぐらい香りを楽しんでいたかわからない。
途中で明良くんがこちらを見ていたことに気付いた。
なんとも言えない明良くんの流し目に、恥ずかしさで顔が一気に熱くなる。
「……なによ」
「あっ、いや、その。服を締め付けてたから。やっぱり寒いか?」
「いえ。別に、寒いってわけじゃないけど」
「そうか。ならよかった」
誤魔化せたかな?
心臓の鼓動が早い。指先を袖の中でぎゅっと丸めて、恥ずかしさを堪える。自然な笑みで微笑んでくれる彼の笑顔に、身を捩って堪える。服に残る温かみの大本に、明良くんの胸元に飛び込みたくなる。そうすれば心が楽になる気がする——けれど、しない。私は、今の私たちの距離を、ちゃんと歩いて縮めたい。
「あー……」
明良くんが何かを言いかけて、途中で止めた。
私はそれに、なにも言わない。
雨の音が響く中、明良くんの存在を隣に感じて、安心するひと時を堪能する。
「だいぶ弱まってきたな」
うなずく。名残惜しさに、目の奥がじんわり熱くなる。
「服、後で返してくれればいいから! 風邪には気を付けろよ!」
けど、その言葉が聞けただけで、胸が温かくなる。
服は返さないけど、風邪には気を付けるから、大丈夫だよ、明良くん。
「じゃ、じゃあ!」
ぎこちない別れの挨拶をして、明良くんは走り出す。
袖口をそっと鼻先に当てる。外から見れば、寒さをやわらげているようにしか見えないはず。でも本当は、明良くんの香りで、気持ちを我慢する。
置いていかないで。
「せめて、最後に笑顔を見せて」
心の中でだけ願う。
鳥居の前で、彼がふいに立ち止まり、こちらを見る。
目が合った瞬間、危なかった。泣いてしまいそうで。
でも泣かない。いつもの私で、いられるように。
「なに?」
精一杯の強がりを口にする。
「風邪には気を付けるんだぞ!」
そう声を掛けてから、光のほうへ走っていく。
置いていかれたわけじゃない。ちゃんと、見てくれた。
袖口に埋めた鼻先が、ほっとする。胸の奥で、小さな灯りが点る。
「大丈夫だよ、明良くん。私は風邪をひかないから」
見えなくなった背中。
私はお賽銭を入れてから、神様にお願いをする。
「ひくとしたら明良くんだから……。なんてね」
縁起でもないことを言ってしまったと反省しながら、私も歩き出した。




