嘘
「父上…?」
隣でレオン様が首を傾げる。
怒らせてしまったのだろうか…
自分の…しかも国王陛下の名前を言えないなんてもしかしなくとも不敬罪…?
震える両手を擦りながらも、少し息を吐く。
すると、レオン様が心配そうに眉を下げ、私の背中を優しくさすって下さった。
だが、不意にその大きな手は私の背中の傷に触れてしまう。
「…っんぅ」
少し痛みが走り声が出てしまった。その小さな声を聞き取ったレオン様は手を止め、
こちらを見やる。
「…ねぇ、シルフィオーネ。背中に何かあるの?」
その声は先程までの優しい声とは違い、真剣に問いていた。
そんな声に、戸惑ってしまう。しどろもどろと目を泳がせて、思わずレオン様に背中を背けた。
「……マーサ」
その瞬間にレオン様はマーサを呼んでしまう。さっと出てきたマーサはなんとも言えない顔をしており、私の目を見つめていた。
もちろん、マーサは見てしまったのだ。
私の体にある無数の傷を。この青いドレスを着せてくれる時に。酷く目を歪ませ涙耐えていた。そんな彼女に、これは秘密なのよ。と言って口止めさせたのがつい数分前。
「シルフィオーネの背中に何かあったかい?」
「……シルフィオーネ様の体には無数のキズがあり…打ち身や変色した痣…背中にも鞭で打たれたようなキズや擦り傷が……っっ」
説明をしながらも目に皺を寄せ、今にも泣いてしまいそうなマーサ。その原因は私なのだ。
それを聞いたレオン様はこめかみを押さえ、下を向いてしまった。
私はすっと立ち上がり、マーサに駆け寄る。
ついに零れてしまった涙を優しく拭き取った。
私のためなんかに泣いてくれるのね。
「ごめ、んね」
嫌なもの見せちゃって。記憶に残っちゃうでしょう?
そう思いながらも次々と零れてくるマーサの涙を拭く。
「いえ、いえっ!シルフィオーネ様。私こそ申し訳ございません!」
何故か謝られてしまった。疑問に思っていると後ろからため息が聞こえる。
「マーサ、今のことを父上に報告してきてくれ。そして、シルフィオーネはこちらにおいで」
マーサはすっと後ろに下がり部屋を出ていった。私は言われたとおり、元の席に座る。
「……君は今までずっと後宮に居たのかい?」
「はい、そう…だと思います。」
「辛かっただろうに…ごめんね。私達は君の…シルフィオーネの存在を知らなかったんだ。本当にごめんね」
知らなかったとは…?
眉を下げ後悔を滲ませるその瞳は私の体を見ていた。
「私が君の継兄だと言うことはわかるね?」
あぁ、はい。そうだとは思っていました。
こくりと頷いてみせる。
「私達はあの日…シルフィオーネが生まれた日に後宮に行ったんだ。だが、シルフィオーネのお母様…ソフィア様の様子がおかしくてね。生死に関わるって言うからソフィア様に付きっきりだったんだ。
でも、あの人は…亡くなってしまって。
君の事はあとから無事に生まれていたと聞いたんだ。そして、後日見に行くとなった日にね…」
彼はこめかみに皺を寄せ、何かを忌々しく見ているようだった。
「君が亡くなったと聞いたんだ。」
うまく言葉が理解できなかった。
え…?
亡くなった…?
つまり、私は今の今まで死んだものだと思われていたと…?
あまりの衝撃的な言葉に思考が停止してしまう。
「…くそ」
レオン様は両手で顔を覆い、イラつきを隠せないようだが、それは今は目に入らない。
ということは…?私は今まで存在が知られていなかったと?
だから、私用のドレスが1着もなかったの?
だから、私のご飯がなかったの?
だから、私には家庭教師がいなかったの?
だから、私はあの人たちにあれだけ虐められ続けてきたの?
だから…一度も会いに来てくれなかったの?
辛いと思っても、自分の気持ちを正直に受け止めずやり過ごしてきた。
もしかしたら、王宮に住んでるお父様とお義兄様が助けてくれるかもしれないと。そんな淡い期待を心にとどめ、私は我慢してきた。
どんな罵倒をされようと。どんな痛みを与えられようと。どんなことをさせられても。
だが、来てくれなかった。一度も。
私はお父様たちにも嫌われているんだと、そんな期待をするのをやめようと思ったのはもはや数年前。
来てくれるわけがないじゃない。
だって、私があそこに、後宮に住んでいたことも知らないのだから。
12年だ。私は12年もあそこにいたのに。
敷地内からは出たことも無い。新しい使用人以外にはあったことも無い。
まったく、馬鹿じゃないか。
湧き出る怒りとどこかで感じる徒労感が涙として目から溢れ出た。それは止まることを知らず、今までの嘘泣きなど非にもならない程こぼれ落ちてくる。
声を押し殺し、ぐちゃぐちゃになる脳内を全て投げ出すように泣いた。
レオン様はそれを酷く申し訳なさそうに見て、私を抱き寄せた。
ぎゅっと抱きしめる体の体温が冷たく感じて、そのしっかりした男性らしい体の感触は今までに感じたことがなかった。
それを気に私の涙はより一層流れ出る。
レオン様は時折、「ごめん…ごめんね。」と頭を撫でながらもずっと慰め続けてくれた。
レオン様の体の感触になれた頃には、両目は赤く腫れて閉じてしまい、安らかな寝息だけがその部屋に残った。
*レオン視点
先程まで泣いていた彼女は、静かに眠ってしまった。体の傷に触れないように、ソファに横たわらせ、マーサに指示をした。
マーサを待っている間にお父様が戻ってくる。
「父上……」
お父様はそっとシルフィオーネの顔を見るとご自分の机に戻った。
「確かに、所々ソフィアに似ているな。」
「父上にも似ていますよ。目の色なんてそのままではないですか。」
そうして、沈黙が流れる。
考えているのだ。あの後宮にいる毒婦とその娘をどうするのか。
「父上…そろそろ頃合ではないのですか?
……私は、もう我慢の限界なのですが。
国王陛下を欺くなんて不敬罪では済まされません。それに…シルフィオーネが……」
「…あぁ。そろそろ潮時だな。」
そうして、私は固く頷く。
お父様は私の瞳を見つめたあと、無意識のようにシルフィオーネを見つめていた。
それは焦燥と反省が滲んでいて、私自身にもひどい罪悪感がのしかかった。
「失礼します。」
ノックとともにマーサとこの王宮の王宮医師が入ってくる。
「失礼を承知で、先に診させて頂きます。」
口早にそういうと王宮医師はシルフィオーネを抱き、奥の部屋へと駆けて行った。
「…やはり、体調を崩していたのか。」
「はい。先程気づいたのですが、彼女は異様に体温が高いのです。体の傷も心配ですし、勝手に指示しました。」
「あぁ。」
そうして、父上は執政に戻った。
ついでに説明をしておくと、何故父上は部屋を出ていったのか。
それは、ご自分の名前を知らないシルフィオーネに怒った訳では決してない。
あの時、シルフィオーネは酷く父上を怖がっていた。
後宮には男なんて居ないし、慣れていなかったんだろう。
それを感じた父上は部屋を出た。シルフィオーネを怖がらせないために。
しかも、部屋を出た後部下達に後宮の事を調べてくるように指示を出した。メイド達に新しい部屋を作るようにいい、料理長に美味しい料理を作るように伝えたらしい。
そして、今、この王宮の誰もが父上を見て思うことがある。
これほどまでに怒りを露わにする国王陛下、アルベルト・クラン・カスティリアを見たことがあるかと。
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