序章 第7話「非望的観測」
見護る彼女の胸の内。ただ真っ直ぐな意志の対抗。
外で響く激しい雨の音が、大きくない家の中に充満する。
「僕は−−−」
少年は、自らの意思を、夢を、静かに告げる。
「僕は、冒険者になりたいんです」
大量の雨粒が古家の窓を激しく叩く音に、しかし少年の声は掻き消されない。
静かな声ではあったが、その内に宿る想いは、間違いなく、彼と相対する女性の耳に届く。
刹那、雨音が掻き消える。否、そう錯覚しただけなのだろうか。
しかし、一瞬の静寂のうちに、二人の−−−レノとマイアの思考は纏まる。
そして、静寂は破られる。
「レノ君、それは、本気……なの……?」
困惑した表情のマイアが口を開く。緊張し、微かに震える声には、それ以上の感情も混じっているのかもしれない。
そんな彼女の問いに、レノもまた強張る声で応じる。
「はい−−−僕が本気で考えて、決めたことです」
喉から声を絞り出し、しかし視線だけはしっかりとマイアの瞳を見据えて、レノは言い放つ。
再び、静寂が訪れる。先程よりも長い静寂が、雨音の進む距離を伸ばし、時間の進みを遅くする。
「私は……反対よ、レノ君」
叔母の口から小さな声で呟かれた言葉に、レノは身を硬くした。
無論、予想どおりの反応ではあった。
故に、その言葉に耐え得るつもりだったのだが、
「そう、ですよね……」
実際に言われると、こんなにも苦しいものなのか。
喉の奥が、鉛でも詰まらせたように苦しい。
視界が、歪んでいくような気がした。
アテの外れた淡い期待は、乾涸びたトマトのように萎み、どこか遠くの方へ落ちてしまった。
だが、ここで諦めるわけにはいかなかった。
レノを突き動かす、意地とも執着とも言える衝動的な感情は、彼の声帯を震わせ、さらなる言葉を続かせた。
下がりかける視線を押し上げ、再びマイアの眼を見る。
「でも、僕はもう、決めたんです。これは、僕が僕の人生の中で初めて選んだ、自分の生き方です」
言葉を放ったレノの瞳には不安の色がある、しかし、その声に迷いはない。
言うなれば、撓みながらもまっすぐ的へ吸い込まれる矢のように。
「決めたって、私たちに何の相談もせずに?」
そんなレノに、眉間にしわを寄せた叔母は冷静な、どこか怒ったような低い声で、言葉を返した。
「そ、それは……」
痛いところを突かれ、レノの声が揺らぐ。
「自分の将来を考えていたなら、なぜ私や、リッツェルに言ってくれなかったの? 一言でも相談してくれればよかったのに」
マイアは、諭すような口調で、そう言った。
それは、優しく包み込む慈愛のような声音で、冷たく突き放すナイフのような形をしていた。
「でも、たとえ相談しても、きっと冒険者にはさせてくれなかったんですよね」
「−−−ええ、そうね」
レノの探るような瞳に、マイアは一瞬の躊躇の後に答えた。
「レノ君に、兄さんと同じ死に方をして欲しくないからね」
空気が、止まった。
響く雨音が、緊張の隙間を塗り潰してゆく。
「兄さんは、あなたのお父さんは、冒険者になったから死んでしまったのよ」
マイアの声が、震えている。
「家族のそんな姿、私はもう見たくないの」
それは悲痛な、心からの声であった。
「もう二度と、家族が傷つくのを、見たくないのよ」
長年のうちに積もった、痛切な悲哀の声であった。
「レノ君の横顔、日に日に兄さんに似ていくのよ。自分の命なんか顧みず、、誰にも心配させない為に嘘くさい笑顔を顔に貼り付けて、体をボロボロにしながらお金を稼ぎ続けるそんな姿が、常に細い糸の上を歩いているようで、見ていてすごく怖いのよ。もう、そんな怖い思い、したくないのよ。だからお願い−−−」
家族を思う彼女の、嘆願の声であった。
「だからお願い。レノくんは(・)冒険者なんか(・・・)に、ならないでちょうだい」
それでも、少年は
「僕は−−−冒険者に、なりたいんです」
あくまで、憧れに固執した。
「父のように(・・・・・)冒険者に、なりたいんです」
そうすることでしか、自分の未来を描くことができなかった。
マイアは、目を伏せている。沈黙は、数十秒続いた。いや、数分だったかもしれない。
ともすれば数時間とも錯覚するような沈黙の中、マイアが口を開く。
「レノ君……」
その瞳はひどく辛そうで。
「レノくんのやりたいことがあるなら、本当は応援してあげたいの。
今まで何も我儘を言われたことがないから、あなたに夢や目標ができたのなら、支えてあげたいの。お金の心配だってしなくていい。確かにレノくんが頑張ってくれている方が助かるのは事実だけど、それが無くたって家計はなんとかなるわ。それでもね……それでも、冒険者は、駄目なの」
レノを突き刺すマイアの言葉はひどく鋭利で。
けれど、それを放つ彼女の瞳もまた震えていて。
−−−雨音は、未だ弱まる気配を見せなかった。
読んでいただきありがとうございます。
次回、ついに、序章、結。
少年の夢の行方やいかに。
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