序章 第4話「記憶と火種」
曖昧な記憶と、不確定な火種がばら撒かれる。
レノ・ホークスは幼くして母親を失っている。
正確には、産まれて1ヶ月もしないうちに突然いなくなってしまったらしい。
無論、乳児だった彼には当時の記憶などない。
父からは、自分の他に好きな男ができたのだろうと聞いた。しかし、父は嘘をつくのがとても下手な人であった。ゆえに、レノにはそれが嘘だとわかっていた。
おそらくは、彼が言ったのとは別の理由だろう。しかし、父はいつまでたっても−−−死んでも、母のことについて真相は教えてくれなかった。
父が死んだのは、仕事での過失−−−−冒険者という、一瞬のミスが文字通り命取りになる職業において、敵に無防備な姿を見せるという、決定的な失態を犯してしまったせいだと聞いている。普段から少し間の抜けた人だったが、仕事で手を抜くような人物でもなかったので、少し不自然に感じたのを覚えている。
背が高く、肩幅が広い人だった。
静けさの内に、力強さを備えた人だった。
手先が器用で、日頃からなんでも自分で作ってしまう人だった。
そのくせ、人付き合いにおいてはとことん不器用な人だった。
優しい人だった。寡黙ではあったがその分、彼はよく強面で作った精一杯の優しい笑みを向けてくれた。
優しい、人だった。
あの日、父が死んだ。
もちろん、覚悟はしていた。
幼いレノは幼いなりに、父の職業について理解していた。
いつ命を落とすかわからない、危険な仕事だと、理解はしていた。
−−−−あの日。
父は仕事に行ったきり、帰ってこなかった。当時11歳のレノに「じゃあ、行ってくるよ」といって、あの強面で優しく微笑んで出て行った。
二日、待った。
ただじっと、部屋の隅にしゃがみ込んで、動かないようにしていた。
玄関の方を向けば、その扉を開けてしまえば、不安が、恐怖が、現実になるような気がした。
長い長い二日目の夜。
激しい雨が降っていたその夜、冒険者ギルドから父の死を知らせる手紙が届けられた。
どこかの洞窟で魔獣に殺された、と書かれていた。
−−−−そこからのことはあまり覚えていない。
そのまま泣いて、泣いて、泣き疲れて。
目が覚めた時には既に日が昇っていたことは、なぜか覚えている。
その日の空が皮肉にも、昨夜の雨の気配を微塵も感じさせないほど、澄み渡っていたことも。
そして、なぜか家の中がいつもより少し、荒れていたことも。
————————
話しを終えたレノは、ゆっくりと顔を上げる。
不安と緊張と恐怖をないまぜにしたものが胸の中を圧迫していた。
自らの過去を家族以外に教えたのは、これが初めてだ。
縋るような、赦しを乞うような目で、同卓を囲む二人を見る。
母娘は、曖昧な顔をしてうつむいている。
この世界で、冒険者の社会的な立場は、それほど高くない。むしろ、他の色と比べて低い方とも言えるだろう。そもそも冒険者とは、職にあぶれた者や孤児、奇人変人の類、あるいは没落した中下流の士族がなるようなものだ。当然、良い評価を得ることは難しい。
しかし、その一方で社会的な貢献度が高く、冒険者がいなくては国民が安全な生活を営めないという実情があるため、民衆もその存在を無下にはできないのだ。
もちろん、『英雄』と呼ばれるような、国家の平和と繁栄に大きな貢献をした冒険者も、古来より少なからず存在する。そういった少数の者たちには、相応の賞賛と権力が与えらる。さらに、彼らのおかげで冒険者に対する悪印象は少しずつ払拭されており、今では冒険者という職を公務員の一つとして認められるまでになった。
ただ、それでもやはり大半の冒険者の出自や、これまでの価値観の名残のせいで、なんとなく『ちょっと卑しい奴ら』というイメージがある。
そんな父を持ち、さらには自らも冒険者にならんとする少年を、無知で無恥なこの少年を、目の前にいる親娘は−−−。
「レノ君、お父様のことはわかったわ。それでもやっぱり冒険者になるのはお勧めできないの」
しばらくの静寂の後、アンジェリーナが、静かに口を開いた。
「もちろん、安全のことも気にしているわ。でもね、それ以上にあなたが冒険者になることで、あなたやあなたの家族が周囲からの偏見の目にさらされないかが心配なの。レノ君には何年間もうちに通ってもらっているから、私たちはあなたを家族も同然と思っているわ。でもね、だからこそレノ君には苦しい生活をしてほしくないの」
レノはアンジェリーナのまっすぐな視線と言葉に射抜かれ、少したじろいだ。
許しが欲しかったわけではない。
しかし、それでもレノは悔しかった。
もちろん、レノを引き取ってくれたマイアたち一家に負担をかけることは心苦しい。
マイアの夫であり、リディア家の大黒柱であるリッツェル・リディアの稼ぎと、リッツェルの職場で見習いとして働いている長男、レミオンの稼ぎ。そこに、厄介になっているレノの稼ぎを足すと、ようやく家族4人(母マイア、父リッツェル、18歳の長男レミオン、7歳の長女リリア)+レノの生活費に達する。
レノは現在、自分を含む約3人分食費に相当する金額を、リディア家の家計に収めている。2年ほど前まではレノとレミオンの稼ぎがなかったため……リディア家の家計簿は、火の車もいいところだったはずだ。リッツェル曰く、リリアが生まれたタイミングでリッツェルの身内に不幸があったため、その遺産でなんとかやりくりできていたそうだ。
経済や金融の情勢を含め、よほどの幸運が重ならなければここまでうまくはいかない。一歩間違えば破産してもおかしくはなかったはずだ。
しかし、レノはあくまで父の背を追うことに拘った。
それほどまでに、レノの中で父の存在は大きく、尊かった。
ゆえに、諦めきれなかったのだ。
そしてレノは、自分が家政夫として働く場所で、その細く狭い人脈を伝って、冒険者という職業にについて調べた。その結果、わかったことがある。
確かに、冒険者の収入は少ない。しかし、ランクの高い冒険者になれば、話はまた変わってくる。
冒険者は一応、公務員だ。国と冒険者協会の決めた基準さえ満たしていれば、一定の収入は保証される。ただ、これではろくな収入にはならない。が、冒険者としての階級が上がれば、依頼される仕事の難易度が跳ね上がる代わりに収入も跳ね上がる。さらには国に認められた幾つかの宿泊施設を格安で利用することもできるのだ。
つまり、高ランク冒険者になれば単純に収入が増え、しかもこれまで通り収入を納め続ければ、マイアたちの家計簿の負担も軽減される。
これは、十年近い間、独りで考え続けてきて出した結論だ。都合の良い解釈も多分に含んでいる詭弁だが、それでもついに夢が叶うかもしれない。
故に、彼の決意は固かった。
頑なに意地を張った。
「それでも僕は、この道を進みたいです。これは揺るがないし、譲れません。家族……マイアさんたちとも、しっかり話し合います」
決意というよりは、どこか悲痛な覚悟を宿したような少年の翠眼に、母娘が息を飲んだ。
「レノ君の覚悟は、わかったわ。だって、押しに弱いレノ君がこんなに頑なになるんですもの。きっと、それだけの想いがあるのよね」
それまで深刻な顔をしていたエレナが、ふぅ、と息を吐いた。眉間のシワを解き、いつもの笑顔を浮かべる。
「いいわ。じゃあ私から特別に、レノ君に防具一式を買ってあげるわ」
レノの気迫に根負けしたエレナが、同意を示した。
思わぬ展開に、今度はレノが怯む。
「えっ、あ、ありがとうございます。でも、防具は貰えな……」
「いいの、いいの。これは私からのお祝いの贈り物よ。もらってくれなきゃ失礼よ」
そう言って悪戯に笑うエレナに、レノは押し負けた。
「は、はい。では、有り難く頂きます……」
頭をさげると同時に、レノははたと気付く。
これは、エレナが根負けしたというより、レノが退路を断たれたのだ。
絶対に退かないと態度で威圧するアンジェリーナを丸め込むために、エレナはレノの退路を断つ形で、強引に理由を作ったのだ。
そこまで考え、対面に座るエレナの顔を見上げ、息を飲む。
そこには、いつもの柔らかい笑みではなく、蒼緑の鋭い瞳で笑みを湛える、赤桃髪の女性の姿があった。
そんなレノを見て、エレナが吹き出す。
「あははっ、さっきまでカッコ良かったのに、いつもの押しに弱いレノ君に戻っちゃったわね」
いつもの奔放な笑顔に戻ったエレナが、澄んだ声でレノをからかった。
「え、えぇー……」
いつもの調子に戻った二人を、横から静かに見ていたアンジェリーナが、ゆっくりと穏やかな顔に戻り、気ままな娘と強情な少年に、やれやれと首を振った。
もとどおりの、平和な時間が、過ぎてゆく。
−−−少なくとも今は、平和な時間だと思っていたい。
稚拙で未熟な物語ではありますが、
よろしければ感想、レビュー評価など、よろしくお願いいたします。