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6 静養生活、2度の大鐘


ユリアンナは、窓から差し込む光で目が覚めた。ベッドから身を起こし、試しに声を出してみる。


「あー、あー。あえいうえおあお あー。…うん、声の調子は大分良くなったかも……」

「発声練習…ですか?」

「わっ!? メディーナさん、居たんですか?」

「ええ、声が聞こえたので様子を見に。ごめんなさい声もかけずに」

「いえ、大丈夫ですよ、聞かれて困るものでもありませんし。声の確認をしようと思ったら、これを真っ先に思い浮かべるだけです」

「そうなんですね、この国に来る前はそういうお仕事を?」

「仕事ではなく趣味の範疇でしたが、演劇をやってました。惰性に近付いてましたけど」

「演劇を…、失礼ですが、意外ですね」

「私もそう思います。まぁ、部員のかさ増しに入っていただけなので上手くもないですよ。色々癖は付いちゃいましたけど」

「なるほど…、この国には劇場もありますから暇があれば観劇も良いでしょうね。では起床したところでしょうし、診察をしてもよろしいですか?」

「あっはい、お願いします」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


─ミルズアース王国全てに響き渡る鐘の連続音─


「ッ!! 襲撃!?」


診察の途中、救護隊長メディーナはその音に反応し弾かれたように立ち上がった。そして真剣な眼差しでユリアンナの瞳を見る。


「ユリアンナさん。今から誰かが来るまでここから一歩も動かないで下さい。そしてもし命の危険を感じた場合、それを無視して自分の命を最優先で守ること。良いですね?」

「えっ、は、はいっ!」


メディーナはその答えを聞くと一気に走って救護室を飛び出した。


《救護隊総員! 四班に分かれ門へ!!》

《《はっ!!》》


扉の音、軍靴の音、号令、激励、その全てが入り混じった音が窓の外から響く。


《襲撃だ!! 全軍配置に就け!! 槍を持て!!》

《《はっ!!》》


それは兵士長の号令だ。兵士、軍馬の足音が大地を揺らし、門へ進路を切ったのだ。


…その音はすぐに止んだ。嵐の前の静けさか、絶対的な緊張感が国中に走った。戦場に居る兵士は勿論、それは壁の内側の市民、そして異世界の住人だったユリアンナでさえも巻き込んだ。


生死を賭けた戦いが始まる。


《放てえぇーっ!!!!》


その声は、全てに届いた。このミルズアース王国全て、いや、この大陸全てに聞こえるかのような猛々しい号令。それこそがこの世界に生ける人間にとっての驚異、獣に対する守護の合図である。


戦の音は全て聞こえた、聞こえる筈はなくとも確かに聞こえたのだ。鎧の鳴る音、術の爆発音、その場に立つ戦士の魂さえも。壁を何度越えた先の出来事であろうと、何もかもが伝わっていた。


(戦ってる…、みんな戦ってる…。サイウス班長、ハールダンさん、スコーピアさん、リーネバイドさんも、ファサードさんも、ヴェントリッサさんも……。…私は、私は何も出来ないの? 他の人が戦っているのに、私はベッドの上でそれが終わるのを待っているだけ? ……仕方ないことかもしれない。でも、仕方ないことだとしても、そんなのって…!)


「そんなの…嫌だ…!」


思わず口に出た言葉は、ユリアンナにその感情を再確認させた。その瞬間、掌から淡い光が溢れ出す。


「…へ? 何……これ…?」


光は広がっていく、徐々に、強く、ユリアンナの全身を包み込んだ。


光が全身を飲み込んでいくにつれ、ユリアンナは自分が何をすべきかを理解した。何が起こるかは分からない、だが、やり方は分かる。


ユリアンナは固く拳を握り締めた。


「どうか…勝ってください……!!」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「いぃだだだだだだだ!! おいジュリアム! もうちょっと優しく頼むぜ!!」

「必要な処置っすよ、マグナスさん。我慢してください」


戦いは、人間の勝利で終わった。兵士、そして傭兵の活躍により、見事獣を退ける事に成功したのだ。


獣の襲撃があった後、怪我人は救護室へと運び込まれる。救護隊員ジュリアムは、その任を受け兵士を背負っていた。


そしてジュリアムは異変に気がついた。


「──ユリアンナさん?」


─背負われていた兵士が投げられるように寝台へ寝かされた音─


「いてっ!! ジュリアム!? どうしたんだ!?」


ジュリアムはユリアンナの元へ駆け寄る、どうやら彼女は意識が無い。


「ユリアンナさん! ユリアンナさん聞こえますか!? …息と鼓動は──ほんの微か…、膂力も殆ど無い…。だけどまだ生きてる! 救護隊長!! 救護隊長来てください!! ユリアンナさんの意識がありません!!」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「──ぁ……」

「ユリアンナ! 良かった……目が覚めたんですね」

「ハールダン…さん……? …う……あれ、声…出な……」

「無理して喋らなくても良いのよ」

「ああ。あまり焦るな、ユリアンナ」

「…ありがとう、ございます…、班長…、スコーピアさん…。…あの、ごめんなさ…い。私…また……」

「大丈夫だ、君の気持ちは伝わっている。…今はとにかく、無事でよかった。さぁメディーナ、話してくれ。彼女の身に何があったんだ?」

「恐らく、"超遠隔膂力譲渡"をしたのでしょう」

「超遠隔…、なんです?」

「"超遠隔膂力譲渡"。遠方の他人に力を分け与える()()()()()()()()譲渡法です」

「そんなものをなぜ彼女が?」

「一人救護室に居る自分を情けなく思って起こした…、いえ、起きてしまった事故でしょうか。きっと彼女は、ただ"祈った"つもりだったのではないかと。ユリアンナさん、合っていれば瞬きを」


ユリアンナは、ゆっくり瞬きする。


「今回は少し体が軽いと思ったが、そういう事だったのか…」

「…サイウス班長、一つ質問があります」

「何だ?」

「彼女…、ユリアンナさんは本当にただの旅人ですか? 物を知らないにしても限度があります。隠していることがあれば話しなさい」

「そうだな…分かっ――」


―静かに、しかし勢いよく扉を開ける音―


「サイウス…ッ! どういう事だ、彼女がまた倒れたと…!」


第17小隊 1班所属、監視兵リーネバイドが息を切らしながら救護室に入ってきた


「リーネバイド? …丁度いい、お前も聞いていってくれ」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


サイウスは、ユリアンナが異世界からの来訪者であることをメディーナ達に話した。


「なるほど…物を知らない訳ですね」

「……彼女が倒れているのを見つけるまで私が気が付かなかった理由が分かったよ。ユリアンナはあそこに"現れて"いたんだな?」

「隠していてすまない」

「いえ、賢明な判断かと。…では我々がまずすべきは、彼女に物事を教える事ですね。それこそ、"常識"の範囲内を」

「…そうだな、分かった。しばらくは俺も鍛錬を休むか」

「教えがいがありそうですね」

「ふふっ、腕が鳴るわ」

「サイウス、私も協力させてくれ。非番の時にしか顔を出せないが」

「ではこの一週間、救護隊も協力させていただきましょう」

「……!? 一週…か…!」

「ええ、当然期間は延びますよユリアンナさん。しばらくは我慢してくださいね、貴女は普通の人間なのですから」

「分かり…ました……」

「では、今日はもうお休みなさい」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ー1日目ー

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「──この世界の人間は"膂力"に満たされています、単純に"力"と言う方が多いですが。これは活動によって失われていき、その分身体は疲弊します。大きく消耗すれば先日の貴女のように体が動かなくなり、意識を失い…、最後には死んでしまいます。勿論、普通は体が動かなくなるだけで止まる筈ですが」

「怪我をしたらどうなるんですか?」

「血が流れます。ただ、貴女の世界の様に液体ではありませんね。説明が難しいのですが…──」


「あっ、ねえ救護隊長! あたしに良い考えがあるよ!」


講義の内容を聞いてか、救護室の寝台に寝かされていた兵士の一人が反応した。


「クレイラさん? 一体何を──」

「初めまして、ユリアンナ! あたしは第3小隊 2班所属、クレイラ! ま、自己紹介は良いや。ちょっと見ててよ!」


クレイラと名乗った兵士はおもむろに剣を抜き、自分の腕に刀身を当てた。


「なっ、クレイラさん、止めなさい!!」

「よいしょー!」


メディーナの制止も空しく、彼女は自らの剣で自らの腕を傷つけた。


「何てことを…!」

「いったた…。ほら、見てよユリアンナ。これが血だよー!」


彼女は、ユリアンナに傷付いた腕を見せつけた。傷口からは、淡く光る煙の様なものが滲んでいた。…が、誰もそれを観察するような余裕はなく、ユリアンナ達は絶句している。


メディーナもしばらく唖然としていたが、すぐに傷の治療にかかった。


「病人になんてものを見せるんですか! それに貴女だって怪我人で…! ああもう言葉が見つかりません…」


その様子を見て、ハールダンは苦笑しながら補足する。


「ま、まぁ今見たように、ユリアンナの居た世界とこの世界の人間は体の作りが違うみたいですね」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

─2日目─

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


《おーい、聞いたよユリアンナ。静養期間延びたんだって?》

「ファサードさんあんた達また窓から来て…、お見舞いなら表から来てくれないすか?」

《悪いねジュリアム、表からじゃヴェントリッサが入れないでしょ? それに今日はテオドールも居るんだ。…ほら、ユリアンナ。彼も心配してたよ?》

「ありがとうございます、ファサードさん。…ごめんねテオドール、また心配かけて……」


ユリアンナの様子を見て、ハールダンは何かを思いついたように指を鳴らした。


「うん…、今日は獣についての講義にしませんか?」


《獣の話か!?》


ファサードの言葉の直後、どこからともなく興奮した声が聞こえ、救護室の扉が勢いよく開け放たれた。


「ラコルド博士!? あんたそんなに神出鬼没なんすか!?」

「そんなことはない、偶然だ。やぁ、初めましてだユリアンナ君。僕は獣学者のラコルドという。一応、救護隊員という事になっているがね」

「は、はい。第1小隊 3班所属、ユリアンナです。よろしくお願いします!」

「うむ、良い挨拶だ。だがそんな事より、獣の話をしようじゃないかユリアンナ君。聞けば色々と学びたいのだとか、そういう人間は何者でも大歓迎だよ。…メディーナ! 黒板は何処だっけ!?」

《黒板? 右奥の棚の扉に幾つかある筈よ》

「そうかありがとう! さーてどこから話そうかな…」

「ラコルド博士、程々にお願いしますよ。日が暮れちゃ敵いませんから」

「ああ勿論だよジュリアム、万人に分かりやすく伝えるのが研究者の務めだからな」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「──さぁ、此処までを振り返ろう。獣は太陽の光さえあれば最大限生き、"花"を付け、種子を生み繁殖する。ここから導き出されるものは?」

「…え、えっと……"獣は、植物である"?」

「その通りだユリアンナ君。…ふむ、想像通りの人材だな、素晴らしい。では大前提を確認できたところで──」

「…なっがーいッ!!」

「うん? どうしたんだジュリアム君、大声出して」

「何が「万人に分かりやすく」っすか、事前知識が多すぎっすよ! 絶対必要のない情報が幾つかあったでしょ!」

「全く…何も知らない者はすぐに"絶対"などと言うものだな……。必要のない知識などあるものか、より深い理解の為には必要な経路だよ」

「その経路が曲がりくねりすぎなんすよ…。もっとこう、直線的に講義するんじゃ駄目なんすか?」

「何を言う、これが最短だ」

「本気っすか…。じゃあ、今日はそろそろ切り上げてください。ユリアンナさんも疲れてるようだし、…それに周りを見てくださいよ、リーネバイドさん以外皆寝てます。…ファサードさん? ファサードさん、其所で寝ないで下さい!」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

─3日目─

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「…うんうん、少しずつ文字も覚えてきたわね」

「ユリアンナは物を覚えるのが早いな」

「救護隊的には、勉強ばかりで疲れないか不安だったんすけど…、まぁ大丈夫みたいっすね」

「しかしこの本…何でしたっけ、『枯れ井戸の底には礼を知らぬわっぱが潜む』…? これを書いたの、あのラコルド博士なんですよね?」

「ああ、その筈だ。研究の傍らこんな本を書き上げるとは、大したものだな」

「逸材は逸材って訳ね、話が長いけど。話が長い変人だけど!」

「言い直した…」

「言い直しましたね」

「言い直したな」

「…そういえば、昨日スコーピアはだいぶ早い段階で寝てしまっていたような」

「一言多いわね、リーネバイド!」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

―4日目―

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「――で、この世界では自分の状況を伝える代表的な方法に"花火"がある。…ここなら多少実演できるか? メディーナ、良いだろうか」

「ええ、リーネバイドさん。許可します」

「ありがとう、ではいくぞ」


リーネバイドは一言言って、手のひらほどの大きさの球体を真上に投げるように腕を振り上げた。するとリーネバイドの掌から、ささやかな音と共に緑色の小さな花火が上がった。


「わ…綺麗……」

「綺麗…か。今回は緑色の花火を上げたが、花火の色には意味がある。"緑色"は「達成」、「喜び」、「武運を祈る」等の前向きな意味。対して"赤色"は「緊急事態」、「救助を求める」等の…あまり見たくはない色だな。そして"青色"は、単純に「人手が必要」を意味する。黄色は「開始」、「出発」等だな。…まぁ一気に覚えなくてもいい、一カ月もすれば雰囲気で覚えるさ」

「良い事があったときは取り敢えず緑色の花火を上げてみると、遠くの人から祝福されたりするかもしれないわよ?」

「まるで観光案内みたいな物言いですねスコーピア」

「こういうのも大事よ、ハールダン。じゃあ折角だし、皆で花火上げない? ユリアンナの知識が増えたお祝いに!」

「お祝い…? 貴女も好きですね」

「だが悪くない」

「それじゃあせーの!」


救護室は、浮かれた緑色の花火に包まれた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

―5日目―

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「…お? おお、おお、ユリアンナじゃないか!」

「お久しぶりです、サイカット料理長」

「もう具合は良いのかい?」

「はい、完全にとはいきませんが、今日から食堂での食事を許可されました」

「勿論、救護隊の付き添いが必要っすけどね」

「おお? ジュリアムも居たのか。小さくて気が付かなかったな?」

「あんたが大きすぎるんすよ料理長。俺の身長は平均の範囲内だって言ってるじゃないすか」

「"範囲内"ねぇ?」

「…なんすか」

「いや、なんでも。それより飯だろ? 今はそこまで忙しくないし、口頭でも構わないぞ」

「それじゃあ…──」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「──普通に口頭で注文出来ましたね、ユリアンナさん」

「皆さんのおかげです。文章はまだ辛いから、習得できたとは言えませんけど…」

「向上心の塊みたいな人っすね…」

「必要な事ですから。この世界で生きていくなら特に」

「…それでいて、真面目な人っす」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

6日目

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


《メディーナ! 怪我人!》

《クレイラさん? 何がありました?》

《っ、警備中ちょーっと失敗しちまってな…! っいてて》

《分かりました、肩を貸します、どうぞ》

《悪いな…!》

《じゃお願いね、メディーナ》


救護室の外からやり取りが聞こえた後、扉が開き、メディーナが怪我をした兵士に肩を貸して入ってきた。


「お、怪我人すか?」

「ええ。ジュリアム、クラシュミンをお願い」

「承知しました。…クラシュミンって緑色の瓶っすよね?」

「そうよ、曖昧な部分はすぐに潰しておきなさい」

「すみません…、それじゃすぐに」


ジュリアムは薬を取りに救護室から出ていき、メディーナは怪我をした兵士を空いていた寝台に座らせる。


「…お!? お前あの時の新兵か!?」


怪我をした兵士は、ユリアンナを見た瞬間大声で叫んだ。いや、彼にとってはこれが普通の声なのだろう。


「えっ? …ええと……」

「ははっ! 前に食堂で会ったんだが…ま、覚えてねえよな!! 第3小隊 1班所属、マグナスだ!! よろしくな!!」

「食堂で…、あっ、あの声が大きい?」

「そうそう! 声が大きい!! 人の特徴をよく覚えてるもんだなぁ!!」

「マグナスさん、世間話なら治療の後でお願いします、傷が開きますよ。軽傷でも油断なさらぬよう」

「ああん? …ま、それもそうか! 悪いな!!」

「…大きな声もお勧めしませんね」


「隊長、お待たせしました。クラシュミンです」


ジュリアムが薬を手に戻ってきた。


「ありがとうジュリアム、ではマグナスさん、動かないでくださいね」

「おう! 頼むわ!!」


メディーナは兵士の患部に薬を浸透させた後、そこへ手をかざした。するとメディーナの掌が淡く光を帯び、みるみるうちに傷口が塞がっていく。


「……これで良いでしょう。もう動いて構いませんよ」

「ありがとな!! そんじゃ鍛錬行ってくっかぁ!!」


兵士は治療が終わるや否や、救護室を飛び出していった。


「…警備任務の直後でしょうに、あの方も元気が良いですね……」

「あの、メディーナさん、今のは…?」

「今の? …ああ、もしかして"治癒術"の事ですか?」

「治癒術…?」

「ええ、傷を塞ぐ術です。あくまで傷を塞ぐだけですが、便利ですよ。興味がありますか?」

「はい、なんだか…魔法みたいで」

「魔法…ですか、興味深い感想ですね。そういえば、ユリアンナさんの世界では"術"が無いのでしたね」

「はい、訓練の時にも攻撃用の術を少し使いましたけど、…凄いですよね。体一つで何だって出来そうに見えます」

「実際何でも出来るらしいですよ。"理論上"ですけど」

「えっ、じゃあ空を飛ぶとか?」

「ええ、空を飛ぶことは実際にやった方が居ます。ただ…、滞空時間の最高記録は3分28秒だそうです。しかもあくまで"滞空時間"であり、馬車と同じ速度で飛行しようとすると10秒と持たないのだとか。力の消耗もありますし、効率的とは言えませんね」

「自由自在とは…いかないんですね」

「はい、残念ながら。ですがまあ、何か思い付いたらとにかく試してみると良いでしょう。何でも出来ることには変わりありませんので。…折角ですし、何か試してみては?」

「良いんですか?」

「ええ、今ならある程度は構いませんよ。何かあれば止めます」

「ええと、じゃあ……」


ユリアンナは掌を上に向け、軽く力を込めた。そして淡い光と共に一輪の花"の様なもの"が現れる。


「…あれ、なんだか大分歪んでいるような……」

「"造形術"ですか。まぁ最初はそんなものですよ。鍛練を重ねて術の扱いが上達すれば、より綺麗な花を咲かせることが出来るでしょうね」

「…頑張ります」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

─7日目─

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「…あと一日ですね」

「そうですねユリアンナ、お疲れ様です」

「この一週間、結構予定が詰まってた印象あるけど、大丈夫だった?」

「なんとか大丈夫です、スコーピアさん。皆さんも付いてくれましたし…、何より、もう懲りましたから」

「ははっ、良い心がけだなユリアンナ。…リーネバイドも協力ありがとう、助かったよ」

「何を言っているサイウス、まだ1日残っている。そうだろう? 救護隊長殿」

「ええ、リーネバイドさん。貴方の考えを支持します。我々も気を抜かず、いつも通りに過ごしましょう」

「それじゃあ今日は──」


―空を切り裂き響く大鐘の音色―


「なっ、襲撃!? 馬鹿な、早すぎる!」

「…いいやサイウス! 確か事例は過去に何度かあった! 私も初めてだが…、そもそも襲撃に規則性など無い!」

「とにかく行くわよ!」


その場に居た兵士たちは次々と立ち上がり救護室を出ていこうとする。その時。


「あの、わ、私は…?」

「貴女は待っていなさいユリアンナさん、まだ――」


「いや待ってくれ。折角だ、連れていっても良いんじゃないかい?」


メディーナが諫めようとしたところに、獣学者ラコルドがそれを止めた。兵士達も思わず脚を止めてしまう。


「ラコルド博士? 何時からそこに…!」

「さっきだ、講義の続きをと思っていたんだがね。…あー、兵士君たちはもう行くと良い、遅れるとまずいだろう?」

「あ、ああそうだな! 博士、危険な目には遭わせるなよ!!」

「ああそれと! リーネバイド君は残ってくれ」

「何ですって? しかし…!」

「責任なら僕がとってやる、君に頼みがある。せめて話を聞いてくれ」

「…分かりました、博士」


第1小隊 3班はユリアンナに一瞥をくれた後、全速力で門へ向かい。リーネバイドは救護室に残った。


「どういうことですかラコルド博士、素人同然の彼女を戦場に出すと?」

「そんなつもりはないさ、メディーナ。ただの課外授業だよ。実物を見れば、獣について更に知る事が出来るだろう。そして知るということは早ければ早いほど良い物だよ、僕はそう思う」

「戦場はそんな呑気なものではない! 彼女を危険に晒すつもりか!?」

「危険を経験するのも、ある種の知識だとは思わないかね? そもそも彼女だってそれを承知で兵士になりたいと望んだ筈だ。違うかユリアンナ君?」

「……い、いいえ、私は強くなるために兵士になりました! 危険なら承知の上です…!」

「ユリアンナ、君は無理をしている…! 脚だって震えているじゃないか!」

「リーネバイドさん、私でも分かります…! 獣を知らない、戦いを知らない私にとって、これは向き合わなきゃいけない恐怖な筈だって! それなら…っ、早い内に経験をしておいた方が良いって私だって思います…!」

「…ほう、立派なものじゃないか。リーネバイド君、君には彼女の護衛を任せたいんだ。それとも君は、彼女を守れる自信が無いのかな?」

「博士……、貴方は卑怯な文言を使いますね? ……私に才能は無いが、それでも兵士であることには変わりない。…引き受けた。守ってみせますよ、私と違って彼女には才能がある」

「よく言ってくれた。じゃあ良いね、メディーナ? どうせ今日が最終日だろう」

「……分かりました、許可します。怪我をしたら分かっていますね、ユリアンナさん」

「はい…! 分かってます!」

「よおし、それじゃあ出発しようじゃないか! 第1監視塔辺りが特等席かな?」

「言っておきますが博士、私には人を二人も守る余裕はありませんよ」

「別に大事無いだろう、自分の身くらい自分で守れるさ」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ユリアンナは鎧に着替え、リーネバイド達と共に第一監視塔へと登った。


「…なんだか、前に来た時と城壁が変わってませんか?」

「ああ、今は衝立を上げているんだ。壁上と壁内を仕切る第二の壁だ。獣の攻撃が民家に届いては敵わないからな」


「おいリーネバイド! 遅かったじゃないか!」


壁上に居た指揮官らしき兵士がリーネバイドに声をかける。


「ああ、すまない班長。今日は下で戦えそうにないんだ。彼女達が居る」

「なんだと? …こないだの新兵と……ラコルド博士!? なんでまた――まさか、博士の思い付きか何か?」

「そんなところだ」

「ちょっと博士、困るよ。部下を勝手に巻き込んでくれちゃ」

「悪いねリフォータ君、しかし新人教育は大事なものだろう。こちらとしても、獣に関して間違った知識をつけられては困る」

「ああ…そういうこと。ま、リーネバイドはその娘のこと気にかけてるみたいだし、良いよ。リーネバイド、しっかり守りな」

「分かっている。それで班長、状況は?」

「もうすぐ射程内。とっとと配置に就きな」

「承知した」


リーネバイドは弓を取り、矢をつがえて城壁の外を見据えた。


「さぁユリアンナ君、見てごらん。サイウス君達に助けられたときに一度接触したようだけど、よく観察はしていないだろう?」


ユリアンナはラコルドに促され、少し身を乗り出して城壁の外を見た。


「彼等こそ、この世界に生ける我らの友であり、…ヒトの敵だ」


獣の軍勢は、統率の取れていない、ただ本能にしたがった姿で進行して来ている。その目には慈悲も憎しみもなく、思うことがあるすれば"力を以て排除し、侵略する。"ただそれだけなのだろう。


その軍勢は様々な種の獣が混在している様で、狼や蜥蜴など、見たことがある様な姿もあれば、腕が大きく発達した二足歩行の猪や、六本足の虎のようなものも確認できる。まさに軍勢だ。


ユリアンナは手を震わせながらも彼らを見下ろした。これから相対するであろう敵の姿を、しっかりと目に焼き付けておきたかった。そして、獣の一頭と目があってしまう。


「…っ!!」


ユリアンナは、思わず後ろに退いてしまった。…確かに目があった。確かにあの獣はユリアンナを見ていたのだ。色濃く敵意を向けて。それはユリアンナにとって二度目の、命の危険を感じさせる恐怖だった。「殺される」、そうも思った。


「…あ……ご、ごめんなさい…!」

「いや、それで良いよユリアンナ君。存分に恐怖するんだ、そしてそれを忘れないことが、彼等を理解する助けになるだろうさ」

「そう、なんですね。…頑張ります」


ユリアンナは呼吸を整えて、再び身を乗り出して獣を見た。


その刹那。


「放てえぇーっ!!」


兵士長の声が音高く轟いた、開戦の合図だ。


それと同時に、いくつかの雄叫びと共に槍が放たれた。数多の槍は空を貫き、獣の軍勢に襲いかかる。


獣は苦痛に叫んで倒れていき、中には器用に槍の雨を掻い潜っていく者も居た。そして全ての獣に共通することは、人間の攻撃に反応し、進行の勢いを上げたことだ。


仲間が隣で倒れてもなお勢いの止まらない獣を見て、ユリアンナは再び恐怖した。彼等は恐れを知らない。自らが傷を負ったとしても、その命あるかぎり人間に敵意を向け続けるのだ。


「…なんで、こんなに勢いが……」

「それこそが、獣一番の謎なんだ。いくら縄張りを広げたいのだとしても、最後の一匹になるまで戦意を失わないというのは、僕達ヒトの視点から見れば異常だね」


「うおぉーっ!!」


その時、雄叫びと共に一部の人間の集団が飛び出した。


「おっ、傭兵の奴等、一足先に飛び出したね? 1班、そろそろ接触だ! 下に降りる準備をしておきな!」

「ラコルド博士、そろそろ地上部隊が獣と接触します。下がってください、ユリアンナが危険だ」

「なんだよリーネバイド君、ここからが見所じゃないか。ユリアンナ君を守るんだろう?」

「見所などとまた呑気なことを言って──」


「接触ーっ!!」


下から兵士長の声と共に黄色い花火が上がった。黄色い花火の意は"開始・出発"、獣との接近戦開始の合図だろう。


「承知! 1班、降りるよ! じゃ、リーネバイド、彼女達頼んだよ!」

「なっ、班長まで──…! くっ、伏せろユリアンナ!!」


リーネバイドは盾を構え、下方より飛んできた礫からユリアンナを守った。


「うわっ!? あ、ありがとうございます…! リーネバイドさん、今のは…?」

「獣が投げた礫だ。これがあるから壁の上も安全ではない…!」

「くくっ、危なかったね」

「ラコルド博士は大丈夫でしたか? 私はユリアンナを守るのに精一杯だったのですが」

「問題ない、術で凌いだ。自分の身は守れると言っただろう? それよりユリアンナ、今のを受けて分かったかい?」

「え? …な、何をでしょう?」

「君なら分かる筈さ、獣をよく観察してみるんだ、さあ」


ラコルドに促された通りに、ユリアンナは下の様子を観察し始めた。


獣の軍勢は兵士と傭兵の軍勢と混ざり、戦況は大乱戦へと変化していた。獣はその本能のまま人々に襲いかかり、人々は武器と策をもって獣に対抗していた。そのまま目を凝らして観察していると、とあることに気が付く。


「伏せろ、礫だ!!」


獣の放った礫が再びユリアンナ達に襲いかかった。ユリアンナはリーネバイドの声に反応して咄嗟に身を伏せる。


「どうだユリアンナ君、分かったか?」

「……え、ええと…、うっすらと感じたものなんですけど、獣には戦略がないように思えました。兵士や傭兵の方々がやっているように、撹乱したり騙したりをしていなくて、ただ"攻撃する"、"避ける"を場当たり的に──……あれ、でも礫を投げるっていうことは知性が全く無い訳ではない…? じゃあ…ええと、すみません、一度考え直して──」

「いいや、大丈夫だ。合っているよ。…そう、獣には戦略がない。彼等は統率の取れた軍隊ではなく、一匹一匹が独立した集団なのだ。しかし、しかしね、彼等にはある程度の知性も備わっている。さっきから体験しているように、礫が飛んできていることがその証拠の一つだ。彼等は、"目に見えた対象を現在位置からどう攻撃すれば良いのか"を考え、それを実行する力だけは持っているんだよ! くくっ、全く素晴らしい! まるでヒトを滅ぼす為に生まれてきた生命体じゃないか!」

「笑い事ではないでしょう! よくこの状況で士気を下げるようなことを言えますね!?」

「その程度で士気が下がるのかい? 全く、兵士とあろうものが情けないな…」

「貴方と一緒にしないで貰いたい、私は獣に対して好意的に興奮する人間などでは──…? あれは…、まさかっ!!」


言葉の途中、リーネバイドは身を乗り出して彼方の上空に目を凝らした。


「"鳥"だ!! 鳥が来たぞ!!」


リーネバイドは声の限りに新たな獣の襲来を告げながら、赤色の花火を上げた。赤色の花火の意は"緊急事態"、彼等兵士が予想していなかったことが、今起きたのだ。


「なんだと!? くっ、第6中隊に告ぐ!! 壁上にて鳥を迎撃せよ!! 繰り返す! 第6中隊は壁上に登り鳥を迎撃せよ!!」


戦場から焦りの混ざった号令が数々聞こえる。


「鳥だと!? なんと素晴らしい!! 襲撃で鳥が現れるなど何ヶ月ぶりだろう!!」

「ラコルド博士、ここは更に危険になる! ユリアンナと共に中へ避難してください!」

「馬鹿なことを言うな、鳥の事も学べる絶好の機会じゃないか! 君はユリアンナから学びの機会を奪うつもりなのかい?」

「それは、そうかもしれないが…! 私には、鳥の襲撃から彼女を守りきることなど…!」

「…ならば、ユリアンナ君に答えを委ねよう。君はどうしたい? 退くか学ぶか、どちらを選んでも君の答えを尊重しよう」

「…っ、私は此処で退きたくありません!」


「1班、壁上へ到着!! 総員、構え次第矢を放て!! 少しでも数を減らすんだ!! …リーネバイド! 何をしている、急げ!」


第17小隊 1班班長、リフォータの言葉を受け、リーネバイドは配置について射撃を開始する。


「……こうなれば仕方ないか。聞いてくれ、ユリアンナ! 最初の訓練でサイウスから盾の使い方は学んだな?」

「は、はいっ!」

「それだけで良いからよく思い出すんだ。申し訳ないが、鳥相手では私も余裕が無い」

「はい…! えと、…断片的にですが、やってみます!」

「頼むぞ。ラコルド博士も、気を付けてください。貴方も、この国にとって重要な人物だ」

「分かっているさ、なんなら手伝ってあげよう」

「その言葉覚えましたよ!」


「来るぞっ! 接触ーっ!!」


「伏せろユリアンナ!!」


リーネバイドの声に反応し、ユリアンナは咄嗟に身を伏せる。そして、間髪入れずに頭上を大きな影が通過し、壁上と壁内を仕切る衝立に激突した。


鳥は、鳥と言うには大きいものだった。身の丈は人の子供に匹敵し、鋭い爪と牙の生えた嘴を有していた。凶悪な見た目だ。


彼等は、衝立に突き刺さった爪を引き抜き、壁上に降り立つ。そして、血走った眼を見開いてユリアンナ達に襲いかかった。


「こちらに来たのは二匹か、一先ず安心だな…! ラコルド博士、倒せとは言いません、一匹の動きを押さえてください!」

「ああ、了解したよ!」


リーネバイドは鳥の一体を術の矢で怯ませてから、盾で押さえ付ける。ラコルドは術で壁を作って鳥の勢いを止めてから、そのまま檻のように壁で鳥を囲んでしまった。


「っ、リーネバイド君! 長くは持たない! 早くそっちを終わらせてこちらも頼むよ!」

「くっ…、分かっている…!! ──なっ、伏せろユリアンナ!!」


リーネバイドが鳥を押さえつけながら声を上げた。ユリアンナは咄嗟に身を低くして、三体目の鳥の攻撃を避けた。三体目の鳥は、そのまま衝立に激突する。


「後続が遅れて来たのか…! 博士、動けるか!?」

「いいや無理だ! 今動けば檻がもたない!!」

「駄目か…! ユリアンナ、盾を構えろ! 絶対に敵から目を離すな!!」


ユリアンナは言葉の通りに盾を構える。そして、衝立から爪を引き抜いたばかりの鳥を見据えた。


彼は壁上に降り立つと、ユリアンナの方を向いてその鋭い目を見開いた。それは"敵意"ただ一つを宿した目だ。


耳をつんざく咆哮の後、鳥は羽ばたきながらユリアンナに襲いかかった。鋭い爪がユリアンナに向けられる。ユリアンナは訓練通りの姿勢でその爪を盾で防いだ。しかし、ユリアンナには足りなかったのだ、技術、身体力、知識、経験、その全てが。攻撃を防ぎはしたが、その勢いによりユリアンナは押し倒されてしまった。


「…うっ……!!」


倒された衝撃と、鳥の重さで声が漏れる。ユリアンナは盾越しに踏みつけられ、身動きが取れなくなってしまった。そして獣は、ユリアンナに更なる攻撃を加えるべく、片足を大きく振り上げた。


殺される。


「うおぉっ!!」


その時、雄叫びと共に、リーネバイドが術の矢を放ってその攻撃を阻止した。続けて体当たりでユリアンナを襲っていた鳥を突き飛ばす。そしてそのまま押さえつけ、逆手に持った剣を突き立てた。


「はぁ…はぁ…、ユリアンナ、無事か!!」

「…っ、は、はい! ありがとう、ございます…!」

「良かった……、本当に…」

「おいリーネバイド君! こっちもそろそろ限界だ! 処理を頼むよ!」

「ああ、分かりました博士!」


リーネバイドはラコルドに促され、敵の元へと走る。ユリアンナは、先程の出来事の混乱で、立ち尽くすことしか出来なかった。


気付けば争いの音も大人しくなり、人間の優勢が見え始めた。壁上の争いも終息を迎えたようで、リーネバイドは立ち尽くしたままのユリアンナに歩み寄る。


「大丈夫か、ユリアンナ」

「…はい、……あの、本当にありがとうございました! リーネバイドさんに命を助けられたのは二度目…ですよね? なんとお礼を言えば良いのか…、リーネバイドさんが居なかったら私、今ごろ……」


恐怖と緊張から解放されたのか、ユリアンナの目から涙があふれでてきた。


「…あ、涙が、す、すみません…!」


ユリアンナは咄嗟に涙を拭おうとするが、兜に阻まれ、こつんという音を鳴らす。


「あ…そうだ、兜が……」

「…礼を言われることでもないさ、守ると言ったからな。まぁ私も、これで安心している様ではまだまだだが…。怪我が無くて良かったよ、ユリアンナ。……む、見てくれユリアンナ。戦いが終わった」


リーネバイドに指されて戦場の方を見ると、そこは、美しく煌めく緑色の花火で覆われていた。緑色の花火の意は"達成・喜び"。紛れもなく、戦いが終わったことを知らせる花火だ。勝利を称える歓声と共に煌めくその光は、ユリアンナの心を掴んで離さなかった。


「綺麗…ですね……」

「ああ、そうだな。上から見るのは久しぶりだが、美しい景色だな」

「……あの、リーネバイドさん」

「何だ?」

「リーネバイドさんはさっき、自分には「才能が無い」って言いましたけど……、才能がないのは、私も一緒です」

「……ふ、はははっ! そうか…。……ユリアンナ、私は君を、ただの少女だと侮ってしまっていたのかもしれないな…。私は、この一週間で君から様々なことを学ばせてもらったよ。何より、努力の不足を感じたさ」


「おーい二人とも、丁度鳥の死体があるんだ! じっくりと観察でもしようじゃないか!」


「…おっと、博士が呼んでいるな。行こうユリアンナ」

「鳥の死体…ですか」

「どうした、何か不安か?」

「大丈夫です! …多分、蛙の解剖と思えば、きっと……」

「まさか…死体が苦手か? すまん、気が付かなかった。兵士をやっているとどうにも慣れてしまってな……」

「いえ、私が見慣れていないだけですよ。何度も見れば、きっと大丈夫です」

「…そうか? なら良いんだが。……ところでユリアンナ、一つ頼みがあるんだ、聞いてくれるか?」

「何ですか?」

「言葉遣いを変えて欲しいんだ。つまり…敬語を止めてもらいたい」

「えっ、でも…」

「私は、君に胸を張って先輩面が出来る程立派な人間じゃあない。…むしろ、私が貴女に敬語を使いたいくらいですよ、ユリアンナさん」

「そっ、それはやめてください!」

「そうだろう? 私もユリアンナの立場だったら絶対に嫌だよ。だから、ユリアンナの方に言葉を崩してもらいたいんだが…。まぁ、所詮は私の我が儘だ。自由にしてくれて構わないよ」

「それなら…、私はリーネバイドさんの提案に従いたいです。…ええと、だから……、あ、改めてよろしく、リーネバイド」

「…! ありがとう、ユリアンナ。此方こそよろしく頼むよ」


「おい、いつまで待たせるつもりなんだ? 獣を新鮮な状態で解剖することと親睦を深めること、どちらが大事かなど考えなくても分かるだろう」


「そうですね、「親睦を深めること」だと答えておきます。 というかラコルド博士、今ここで解剖するつもりですか。壁上の掃除をするのは我々だ。手間を増やさないでいただきたい」

「ううむ…、仕方がない。では研究室まで運ぶのを手伝ってくれ、そこで行おう」

「承知しました。…この大きさを運ぶのは、骨が折れそうだな」

「リーネバイドさ──…リーネバイド、私にも手伝わせてくれない?」

「良いのか?」

「うん、ちょっと怖いけど…でも、すぐに慣れたいから」

「そうか、じゃあ二人で行こう」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ユリアンナ達はラコルドの研究室で存分に講義を受けた後、救護室に戻ってきた。


「……博士、随分遅かったですね。講義が長引きましたか?」

「まさか、メディーナ。正しく始め、正しく終わらせたさ。眼の解剖から始めて、頭部、首、胸部、翼と…解説を交えながらだとこんなものだろう」

「え、ユリアンナさん達、まさかあの講義を受けて無事なんすか」

「無事とはなんだジュリアム、中々有意義なものだったぞ?」

「うん、リーネバイド。最初は怖かったけど、面白かったよね、博士の講義」

「面白かった……? …うーん、やっぱりそういう人も居るんすね。…あれ、そういえば二人共、いつのまにそんなに仲良くなったんすか?」

「あー…、私が提案したんだ。私は彼女に敬われる様な人間でもないからな」

「ふーん…、まぁ良いんじゃないすか? なんだかお二人、良い友人になりそうですし」

「友人、か…その考えは無かったな……。…いや、サイウス達に悪い、私が友人はないだろう」

「いやいや、友人って自然になるものだと思うんすけど」

「私は、リーネバイドと友達になりたいですけど、でもどうしたら良いか…。リーネバイドは女子高生とは違いますし……」

「あんたら、結構似た者同士なんすね? 人付き合いなんて、そんなに考えを巡らすものじゃないと思うけどなぁ…」

「ところでラコルド博士、ユリアンナさんを危険な目に遭わせなかったでしょうね?」

「あー…そういえば言っていなかったな。一度だけ、ユリアンナが獣に殺されかけた」

「はっ!? ユリアンナさん、診せてください! あと博士、その時の状況を詳しく教えなさい!」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「……軽い打ち身ですね。一日安静にしていれば、完治するでしょう。静養期間の延長も無しです。大事無くて一先ず安心──ではないです! ラコルド博士、なぜ鳥が来たときに避難しなかったのですか! 貴方方の身に何かあれば、この国の発展に関わるのですよ!?」

「ふん、あの場面で安全に走って進歩があるものか。そも、それで死ぬような人間など、所詮その程度だと思うがね」

「だからと戦いの基礎も知らないユリアンナさんまで危険にさらすことはなかったでしょう…」

「メディーナ。ユリアンナ君は拒まなかったよ。僕は、彼女が危険を恐れ「身を隠したい」と言えば、もちろんそうするつもりだった。しかし、彼女はそう言わなかった。ユリアンナ君、それは何故かな?」

「…出来る限り知ることを焦らないと、他の兵士の皆さんに追い付けないと思ったんです。…元々私は、この国に住んでいた人間ではありませんし」

「……全く貴女は…、幾度となく死にかけた人間の言葉とは思えませんね」

「まぁ、一度本当に死んだので、…少し慣れてしまったのかもしれません」

「経験に勝るものは無いと…? 興味深いですが…笑えない話ですね」

「死を経験した人間か…。戦場で生きていくなら、それ以上に役に立つ事も無いんじゃないかな? 学者の僕としては、どうしても真偽を疑ってしまうが……、まぁ、僕は獣専門だし、そういうのは神秘学者にでも任せようかな。…彼等からすれば、もしかしたらユリアンナ君は革命的な存在なのか? ついに"神"の存在を立証できるかもしれない……」

「博士、あまり小難しい話をすると、ユリアンナさんそっちの道に走っちゃうっすよ」

「それはそれで歓迎したいのだが…。いや、学者になるには少しばかり主体性が足りないかな。僕の勝手な印象だが」

「博士あんた、真っ直ぐ失礼なこと言うっすね…」


「メディーナさん、出直してきたわよー。おっ、居るわねユリアンナ、ラコルド博士の長っったらしい講義は終わった?」


他愛ない会話の中で、救護室の扉が開けられた。スコーピアだ。


「ええ、勉強になりました。スコーピアさんも、お疲れ様です」

「あら、早速気遣い? ありがとうユリアンナ。…そういえばラコルド博士、ユリアンナを危険な目に遭わせてないでしょうね?」

「…遭わせたと言ったら、スコーピア君は僕をどうする?」

「そうね…、とりあえず後頭部辺りをひっぱたくかしら」

「それは嫌だなぁ、首から上が飛んでいきそうだ。じゃあ遭わせていない、断じて」

「ふぅん、嘘が上手なのね。…ま、ユリアンナに怪我もないようだし、見逃そうかしらね」

「それはどうもありがとう、スコーピア君」

「ああそうですスコーピアさん、今日でユリアンナさんの静養期間も終わることですし、勉強道具を幾つか撤収しては如何ですか? …この量ですし、当日まとめて持っていくのは面倒でしょう」

「え、でもメディーナさん、今日の講義は? …あー、ラコルド博士から受けたんだっけ。でも、まだ時間もあるし…」

「ええ。ですが、今日はもう駄目です。ユリアンナさんは今日、一度獣に殺されかけたそうで。これ以上の負担はかけられないんですよ」

「あっ、おいメディーナ君!」

「……ふーん、獣に殺されかけたね…? ま、「見逃す」って言った手前何もしないから安心して頂戴、ラコルド博士。じゃ、片付けちゃうけどユリアンナもそれで良いわね?」

「はい、大丈夫です」

「了解。それじゃメディーナさん、頼むわね」


スコーピアは、勉強道具を抱えて救護室を後にした。


「…ふむ、スコーピア君はユリアンナ君を気に入っている様だね? 理由は…察するに難くないな。さぁ、僕も研究に戻ろうかね。それじゃあユリアンナ君、危険な目に遭わせて済まなかったね。今日一日、しっかり休むと良い。それじゃあ、また」


ラコルドは、ユリアンナに手を振って、鼻歌を歌いながら救護室を出ていった。


「…ふぅ。……ユリアンナさん、この一週間お疲れ様でした。想定外の事は多々ありましたが、貴方はとても良い患者でした。最初は無謀な印象で不安だったのですが、迎えてみればとても扱いやすい患者で助かりましたよ。…全く貴方と比べたら、第3小隊辺りは言う事を聞かなくて困りますよ。安静にしていろと言うのに「もう元気だ」、「退屈だ」などと言って……。貴女の事を少しは見習ってほしいものです」

「隊長、また愚痴が出てるっすよ」

「…あぁ、すみませんユリアンナさん。つい癖で…」

「いえ、お気になさらず。…ええと、大変なんですね」

「そうなんですよ! 聞いてください全くあの方々は…! 何度救護室を脱走して、何度私たちが連れ戻したかはもう数えきれないし、救護室の中でさえ怪我をした身体で動き回って悪化させるし…! かと思えば治っている筈も無いのに突然健康体になったり!! もう本当に…! 協力してくれるのはファサードさんくらいなものですし、ファサードさんの協力があっても止められないし…! 不可解! 本当に不可解ですよ!」

「あー…、始まっちゃった。ユリアンナさん、長くなるっすよ」

「お、おいジュリアム。何とか止められないのか?」

「嫌っすよリーネバイドさん、隊長も日頃の鬱憤が溜まってるんです。一度吐ききって貰わないとこっちに飛び火するんですよ?」

「それは君の都合だろう!」

「…でもリーネバイドさん、ユリアンナさんの表情見てください。あれ全部聞く気っすよ」

「…なんだって?」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「――つまりは、血の流れを制御するのが治癒術なのです。打撲で乱れた血の流れを正したり、傷を塞いでそれ以上の流血を防いだり…」

「なるほど…、治癒術一つで命が助かるわけではないんですね」

「……あれから話が二転三転し、治癒術の講義が始まるとはな…」

「この一週間、一番の予想外っすよ…」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「……昼は失礼しました、ユリアンナさん。私、貴女に気を遣わせてしまいましたよね?」

「気にしていませんよ、メディーナさん。「聞いてください」と言われたから最後まで聞いただけです。むしろ、私が感謝したいくらいですよ。良いお話が聞けました」

「…貴女は本当に、兵士に向いていると言うか、傭兵に向かないと言うべきか…。つまらない事故に遭わぬことを祈るばかりです。……さぁ、そろそろ消灯しましょうか。日記は書けましたか?」

「あっごめんなさい、あと一文だけ…」

「ええ、どうぞ」

「……これでよし、待たせてすみません」

「いえいえ、それではお休みなさい、ユリアンナさん。明日から復帰ですが、くれぐれも無理をなさらぬよう」


メディーナは優しく微笑んでから明かりを消し、救護室を去った。


ユリアンナは仰向けに寝転がり、ゆっくりと目を閉じる。


この一週間、ユリアンナは多くの事を学んだ。この世界の人間のこと、獣というもの、この世界の文字、そして恐怖。世界が違えば常識も違う、その事実はユリアンナを大いに混乱させたが、彼女は辛くも思わなかったし、後悔もしていなかった。そして、それが何故かも知っていた。


――今日で静養生活は終わり。明日からは勉強も鍛錬も、幾らだって出来る。鍛えて、兵士として最大限に努力しないとならない。昔、灯華と「もし異世界に行ったら何をするか」の空論で盛り上がった時、私は迷わず"一般兵"と即答した。きっとそれが、一番私に合っていると思ったから。その気持ちは、今も変わらない。私はただの兵士で、英雄でもない。私は、特別な存在じゃない。だからこそ、私はこの世界について多くを知って、学ばないとならない。もう私の生きている世界は現実じゃない。私はこれから、この世界で生きていくんだ。


高山 結衣はもう死んだ。わたしはユリアンナだ。


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