2 転生
高山結衣は、目を開けた。彼女にはそれが何故だか分からなかった。結衣は天国や地獄といった類いのものを信じていない、では自分は死んでいなかったのか? なら、灯華は?
「はじめまして、高山結衣」
誰かの声を聞いて、結衣は初めて他人の存在を認識した。声のした方を向くと、そこには人が居た。……いや、確かに人の姿をして居たが、人ではなかった。彼か彼女か、老人か若者か、そのどれとも言えないそれは、結衣に笑いかけているようにも見えた。
「まずは状況を確認します。貴女は、自分が死んだことを理解していますね?」
「……あ、やっぱり死んだんですか。じゃあ、あなたは神様?」
「そう思ってくれて結構です、厳密には違いますが。次に、自分の死因は分かりますか?」
「……近くの建物が爆発して、友達を庇って……っ! そうだ、灯華は! 灯華は無事なんですか!?」
「彼女は生きています。貴女のおかげで軽傷で済みました」
「…そっか、よかった……」
「自分の事は理解できている様ですね、何よりです。では自己紹介をさせてください。私は、この世界の管理者です。先程も言いましたが神と思ってくれても構いません。私は、事故によって死んだ人間を異世界へと転生させています。言ってしまえば、天国への案内人でしょうか」
「天国……?」
「はい。実際は異世界で便利な超能力…チートスキルを与えますので、それを駆使して幸せな生活を送っていただきたいと思っています。……それで、本来は貴女の願望に合わせて転生する世界を決めるのですが、不思議なことに、貴女の願望が見えなかった」
「願望? どういう事ですか?」
「人は誰でも、夢や、憧れ、そして理想を持っているはずでした。しかし、貴女のそれが見えなかった。そうなると、私も貴女をどの世界に転生させれば良いか分かりません。なのでこうして、面談しています」
「……では、普通の人はあなたに出会うことはない?」
「そうですね。では、単刀直入にお訊きします。貴女の望みはなんですか?」
「……私の望みは…、灯華と一緒に居ることです」
「残念ですが、それは出来ません。同じ世界に転生するためには、貴女が死んだ時代より100年以上の未来かつ、記憶を全て失わなければなりません。完全に抹消しなければならないため、もし貴女の友人が同じ世界、同じ時代に転生したとしても、そこに繋がりは産まれないでしょう」
「……それなら、望みなんて一つもありません。私はただ、与えられていた課題をこなしていただけです」
「それは困りました。私は、できる限り貴女の望む世界に連れていって差し上げたい。一度転生をすれば、途中で変更は不可能ですから」
「そんなことを言われても…」
「……仕方がありません。ではこうしましょう、貴女は演劇部でしたね? これまで演じた台本の中で一番好きなものを教えてください。そこからヒントを得ます」
「一番好きな台本ですか? えっと……剣と魔法の世界で戦うRPGのストーリーを演劇用に変換したものですね。世界観が好きでした」
「…なるほど、それで十分です。そのゲームの名前はなんですか?」
結衣がそのゲームの題名を伝えると、彼は頷いて「少々お待ちください」とだけ言い、姿を消した。すぐに戻ってきた彼の手には、一冊の本が握られていた。
「お待たせしました。では説明させていただきます」
彼が言葉と共に本を開くと、そこから大きな地図が浮かび上がった。無数の大陸と、広い海。それは地球の何倍も広大だった。
「あなたが転生する世界は、人と獣の蔓延る世界、『ティラマリエ』。丁度あなたの世界のゲームを参考にして創った世界でした。この世界では常に人と獣の縄張り争いが繰り広げられています。"獣"と一口に言っても、厳密にいえば植物であり"運動植物"とも表現できます。…ですが、この世界に生ける人々にとっては、彼等こそが獣なのです、これは覚えておいてください。獣は爆発的にその根を伸ばし勢力を拡大させんとしてきました。それに対抗する形で人はいくつかの城壁を築き、国を作り、そしてその身に宿す膂力を別の形で行使する法、"術"を使い、それぞれの領域を守っています。"術"とは、つまりは魔法の事です。「魔法」と呼称しないのは、彼等にとってそれは技術だからでしょうね」
「……「だからでしょう」? あなたはこの…ティラマリエの神様ではないんですか?」
「ええ、この世界の管理者は居ません。確かに私はこの世界を創りましたが、私が創ったのは海と陸、そして生き物や物質の定義のみです。今やティラマリエは私の世界ではなく、この世界に生きる人々のものでしょう。……では次に、貴女に授けるチートスキルのお話です」
「チート…スキル……」
「ええ、この世界は貴女にとっての天国です。全て思いのままに、この世界を楽しんでください。世界の均衡を崩しても構いませんよ、貴女のために世界を複製しますから。ではまずは、"能力閲覧"のスキルです。"ステータス"とも言いますね。自分の能力値や、スキル。または、他人のそれを数値化して分かりやすく確認できる特別な能力です。敵を知り己を知れば百戦危うからずという言葉があるように、恐らく意識しなくとも最も役に立つでしょう。次に"学習"というパッシブスキルです、つまり常時発動している才能ですね。"ラーニング"とも言います。技術の習得には、すべからく努力が必要ですが、このスキルがあれば情報を少し聞いただけでもスキルを会得できます。加えて、一つの技術から派生して上位のスキルを覚えることも簡単にできます。例えばの話ですが、火球というスキルから、炎の嵐というスキルをすぐに習得できるでしょう。発想から直接習得もできるので、空を飛びたいと思えばすぐに飛べるでしょう。そうして習得したスキルを一気に達人級まで育てられるのが"急速成長"というパッシブスキルです。"ラピッドグロース"とも言います。このスキルは技術や身体の成長速度を他人の何十倍にも跳ね上げます。意識しなくともすぐにマスターできますよ。次に"蘇生"というスキルです。このスキルは"リバイバル"とも言い──」
「あの! もういいです!!」
「……どうしました?」
「私、そんなもの必要ありません」
「……理由をお聞かせいただいても?」
「そんな特別な力があったら、その人は英雄です。私は、英雄になんてなりたくありません。私にそんな器なんて無いんです」
「では、何の力も持たず、再び課題をこなすだけの人間として過ごすと?」
「はい。私にはそれしか出来ません。むしろ今なら言えます、それが私の幸せです」
「……そうですか。…分かりました、それでは世界を複製する必要もありませんね。貴女をこれから、複製されたものでない、真のティラマリエへと転生させましょう。……異世界からの転生者が歴史の一部となるかもしれないとは、私も初めての経験です。貴女の動向には、興味を持たせていただきますね」
「…光栄です。いつ始めるんですか?」
「貴女の準備が良ければ、すぐにでも」
「じゃあ、お願いします」
「分かりました。それでは……ああ、一つだけ。貴女の名前"高山結衣"は、ティラマリエでは浮いてしまうでしょう。もし気にするのであれば、"ユリアンナ"とでも名乗っておくと良いでしょう」
「ユリアンナ……、分かりました、それが私の名前なんですね」
「ええ。それではユリアンナ。貴女の進む道が、幸せに満ちていると信じていますよ」
彼の言葉が終わったと同時に、結衣の視界が一瞬にして閉ざされた。
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「おい、無事か!?」
「……息はあります、生きてるみたいですねぇ」
「何でこんなところに人が…? 獣が近くにいるのかしら」
「襲われたにしては怪我一つないが…、念のため警備を増やしてもらうか」
誰かの声が、ユリアンナの耳に届いた。もう異世界に着いたのだろうか。何もかもが一瞬の出来事だった。まるで先程の会話が夢であったと思う程に。
ユリアンナは、身体に異変もないので、目を開けることにした。
眼前の景色には、ユリアンナの顔を覗き込む三人の兵士が居た。一人目は逞しい男性で、剣を携えている。三人の中で最も位が高いようだ。二人目は飄々とした雰囲気の男性で、得物は槍。三人目は勝気な女性で、弩を使用するようだ。そして共通点は、兜で隠れた顔と、剣をモチーフとした紋章、そして、大きさは違えど、盾を持っているという点だ。
ユリアンナの目覚めに、三人の兵士は驚き、そして心配そうに声をかける。
「…! 目が覚めたか! 見張りの兵が、倒れていた君の事を見つけたんだ。体におかしな所は無いか?」
一番に声をかけたのは、一人目の逞しい兵士だ。
「…体は大丈夫です。服は違うみたいだけど、気の利いたサービスって事なのかな…」
「なぁ、アンタ。どうしてこんなとこで倒れたんです? 獣にでも襲われました?」
そして二人目の飄々とした兵士が疑問を投げる。
「それは……説明し辛いというか…」
「まぁまぁ、二人共。話は後で聞きましょうよ。まずは保護でしょ?」
最後に、三人目の勝気な兵士がユリアンナの手を取った。ユリアンナはそれに応じて、立ち上がる。
「ありがとうございます。でも、歩きながらで大丈夫ですよ。体は問題ありませんから」
「そう? なら良いんだけど…、じゃあ、貴女の名前は?」
「ユリアンナです」
「ユリアンナね、良い名前じゃない。それじゃあ行きましょう?」
ユリアンナは三人の兵士に連れられて、歩き出す。
不思議な管理人に導かれたユリアンナは大きな悲しみと別れを越え、新たな出会いと共に、新たな道を歩むことになる。それは特別なものではないのかもしれない。しかし、紛れもなくユリアンナの望んだものだ。
…彼女は、英雄の重圧から逃れるためか、いいえ、英雄は自分ではない誰かだと信じて力を拒んだ…? ……、彼女について分かることが少なすぎます。私は管理者、沢山の人間を学ぶ必要があります。比較的長く管理者を続けてきたつもりですが、貴女のような事例は初めてです。じっくり見させて頂きますね、ユリアンナ。