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第44話

  神奈川県立塗李高等学校三年 野球部主将 桜田翔平


  「俺たちは、宿敵だったんだ」

 野球の投手というものは、その投球に様々な工夫をする。対する打者はその投手を攻略するために、まずはその投球にどのような工夫が凝らされているのかを疑うことから始める。それがこのスポーツにおける、通常の駆け引きというものだろう。実際、これまでの塗李ナインは対戦する投手の挙動を注視し、想像力を駆使しては相手の見せた僅かなほころびを見逃さずに突いてきた。宮内志郎戦然り、伊達昌幸戦然りだ。しかしそれでは、播磨灘の投手を攻略することはできない。播磨灘の投手は、誰もが、そのような工夫をしていなかったからだ。

 そのことに堀が気づけたのは、彼が普段から、物事をあらゆる角度からニュートラルな視点で観察し、そしてそれを楽しむことのできる豊かな性格の持ち主であったからかもしれない。彼は猿渡らと同様、植村という二年生投手に平凡な印象をもちはしたが、この投手のどこに秘密が隠されているのか、というありきたりな着眼をひとまず脇に置いて、播磨灘ナイン全体を、塗李も含めた出場選手全体を、いいやもっと、自分たちの立つ甲子園球場全体を、俯瞰するような恰好でぼんやりと考えてみることにした。すると一つの、驚愕の可能性が、彼の想像力によって導き出されたのだった。

(なぜこの大一番で経験の少ない投手を起用した? まるで誰でもよかったみたいじゃあないか。誰でもいい? だ、誰でもよかっただと……?)

 彼はバッターボックスで足下を見つめると、その可能性の検証に入った。するとどうだろう。その可能性は彼の想像通り、播磨灘高校によって実践されているではないか。彼は三振に倒れると、ベンチへの帰り際に次打者の翔平に言った。

「ボールの上を叩くんだ」

 打撃に関しては堀に絶対の信頼を置いている翔平は、こくりと顎を引いた。そして堀は、ベンチに戻ると、ナインを集めて自分が発見したことを話しだした。

「驚くなよ、播磨灘は……播磨灘は甲子園球場を改造している!」

「か、改造、だと……?」

 北田が唾を飲み込む音が、遠く彼方まで澄み渡るようだった。「ど、どういうことだ堀、早く説明しろ」

「まあそう焦るな。この解答の答え合わせを、今、桜田に頼んだところだ」

 皆がその打席に注目した。翔平のスイングが、一度目の空を切った。

「俺が見つけたのは、バッターボックスの仕掛けだ。よおく見てみろ。桜田がスイングを開始した直後、バッターボックスの部分だけが一時的に地盤沈下している。あくまで、瞬間的にだ」

 ナインは目を凝らして翔平の足下を見つめた。するとどうだろう、一瞬の土煙が彼の足下を覆い、風に吹かれては消えていったのだ。

「まさか……!」猿渡が唸った。

「そのまさかだ。打者は瞬間的に下に沈まされ、そしてまた元に戻されていたんだ」

「だからホップしたように見えていたのか……」

「道理で答えが見つからなかったわけだ。俺なんかは、どんな投げ方でボールを浮き上がらせているのかと考えたわけだが、ボールが浮いていたんじゃなくて、俺たちが沈まされていたとはな……」北田が腕を組んで、ため息のような感嘆の声を上げた。

「それにしてもとんでもないことをしやがるぜ。スタジアムごと味方にしちまうってんだからな……」この喜与川の心配を煽るように、堀が付け足した。

「おそらくあれだけじゃないだろう。他にも様々な工夫を施しているはずだ」

 すると翔平が、植村の投球をジャストミートした。その打球はセンター方向に飛んでいき、センターを守る下田(しもだ)という野手のグラブに収まった。堀が、満足したように、呟く。

「いい当たりだ。さあ攻略してやったぞ。次の問題を提示してみろ」

 六番の島袋が打席に入った。播磨灘のバッテリーは、塗李の攻略の早さに舌を巻き、次なる球種に移行すべきかどうかを迫られた。


 播磨灘の投手たちが投げる球の内容は、伊達昌幸の魔球のそれと似ているところがあった。しかし、その手段となると両者の選択は大きく異なる。伊達は自らの工夫と創意でその投球を魔球と化したが、播磨灘の投手らはスタジアムの加担によって、その投球をまるで魔球のように、それは鮮やかに力尽くで彩ったのだ。しかし塗李にその尾を掴まれ、その一部は二回にして封印を余儀なくされた。捕手の田之上(たのうえ)は塗李の攻撃力を警戒し、早くも亜空間投法を使いたくなったが、まだ一巡もしていない今、それを使うのは時期尚早と判断し、この回だけは地盤沈下投法でなんとか凌ごうと考えた。島袋は、掘の助言通りボールの上を叩くことを心懸けたが、これまた翔平同様、ライナー性の打球となり、セカンドの本山にジャンピングキャッチされて、塗李の二回の攻撃はそれで終了となってしまった。

 そして二回の裏、播磨灘高校の攻撃。この回の先頭打者が誰なのかということは、一回の裏の播磨灘の攻撃が三者凡退で終わった時から、誰もが理解し、待ち侘びていたことだった。人類の叡智の集合体、地上最強の霊長類、ホモ・サピエンスの代表と形容される男、一千万両役者、兵頭鷹虎の登場である。

 兵頭は、バットケースに差し込まれた一本のバットに手をかけると、ぎらり、と抜刀のような音を立ててそれを抜き取った。そして、白金に輝くそのバットを眼前に掲げると、惚れ惚れとその完成度に酔い痴れるのだった。

 そのバットは、彼が企画した物だった。それを受けた当時の科学研究クラブは、その基本設計を図案化すると、一週間と経たぬ間に数万本を製造し、すぐさま最初の選別を行った。定められた規準をクリアしたそのうちの数百本は、一つにつき六千万回にも及ぶレベル2の反復精度テストに移行すると、平均値の高かった物だけが選び残され、瞬く間に僅か数本となった。それが、彼が準々決勝まで使用していた、『プロトタイプ・タイガーホーク』である。そして更にその中から、最も精度の高かった物が一つだけ選ばれると、高級車一台分の予算がその最終調整に投じられ、『パーフェクト・タイガーホーク』と名付けられた。積み上げられた失敗作の上に燦然と輝く、研究クラブ会心の、至極の一品の正体である。人類の歴史の中での三つの大きな発明は、火薬・羅針盤・活版印刷術だと世間では言われているが、ここにもう一つ加えることが許されるとしたならば、兵頭鷹虎はこの、『パーフェクト・タイガーホーク』を推薦したいと考える。それは、二一世紀に相応しい、サイエンスバッティングを可能とした、鷹虎の、鷹虎による、鷹虎のためのバットだった。

 タイガーホークは、思い通りの座標(射程圏内であれば)にボールを打ち込むことのできる、奇跡の科学バットだった。その本領の発揮は、使用者が『人工衛星ソルジャーヘッド』(二〇五一年に鹿児島より打ち上げられた兵頭コーポレーションの所有する多目的人工天体)にアクセスすることから始まる。スタンバイを促されたソルジャーヘッドは、投手がボールを投じると、その速度、回転エネルギー、ストライクゾーンへの侵入角度などを即座に分析(0.05秒)し、打撃地点から目的地点へボールを跳ね返す際に必要なベクトル量を割り出した(0.07秒)。その計算結果は直ちに送信(0.02秒)され、それを受信(0.01秒)したタイガーホークは、芯の部分に搭載された『コントロールニードル』と呼ばれる特殊針に準備を命じ(0.04秒)、自動でスイングを開始(ここまで合計0.19秒)した。そして、芯の近くに球体を確認したタイガーホークは、ボールに接触する刹那、一秒間に五百八十六コマの超映像でも捕えることのできぬ限りなく光の早さに近い超速度で、コントロールニードルを噴出させてそのボールを統治下に置いた。コントロールニードルは、文字通り針の細さであったが、ボールに刺さった瞬間にジェット噴射を開始し、ソルジャーヘッドの計算結果を実現するべく、ボールを目的地へと最短距離で運んでいった。着弾後、ボールが人の手に渡る頃には、コントロールニードルは疎かボール自体も元の姿を失っており、使用者のパワーを証明することはあっても、不正打撃を疑われることは決してない。これが、タイガーホークの、実力の真相だった。

 この至極のバットを、スポーツ科学の結晶として西東工の宮内の左腕と同列に考える向きがあるかもしれない。しかしそれは、開発に携わった研究者たちに失礼というものであろうから、ここに一つ、注釈を加えておきたい。野球は、アクションを起こす者とそれに対してリアクションをする者とが明確に分かれる場面が多いスポーツで、この場合の宮内はアクションを起こす者の方であるから、従って彼の左腕は、相手の行動を考慮する必要がない。しかしタイガーホークは、相手投手の投げた球を僅かな時間で分析し、対応し、定められた目的地までボールを運ばなければならないのであるから、その製作難易度は段違いであるはずなのだ。事実、それは両陣営それぞれの製作者たちの頭髪が証明している。藤岡や佐々木がフサフサなのに対し、タイガーホークの製作に関わった研究クラブの科学者たちは、精緻極まりない設計とその組み立て作業に疲れ、ほぼ全員が多くの頭髪を失ってしまっている(その禿げ方は円形脱毛症からM字ハゲ、頭頂ハゲや完全ハゲと様々だが、しかしそれは余談であるから、ここでは詳しく触れない)。タイガーホークは、殺人的なストレスと戦い続けた、天才科学者たちの努力の賜物でもあったのだ。

 しかしこのバットは、誰にでも扱える代物ではなかった。長岡河継の牧野の投球を左右のポールに狙い打ったのは、たしかに鷹虎の実力ではなく、タイガーホークの実力ではあったが、その使用難易度は、映像から割り出された理論上の計算ではあるが、ベーブ・ルースでも扱えるかどうか、と疑われるほどのものなのだ。その自動スイングをスムーズにサポートするには、類い稀な腕力を必要としたし、ミート時に生じるその破滅的な衝突エネルギーは、人並み外れた頑強な手首と、強靭な足腰がなければ耐えられるものではなかった。事実、被験者(謝礼四十万円)として立候補した播磨灘野球部員の一人は、たった一度の使用で、全身打撲複雑骨折靭帯損傷両アキレス腱断裂全治七ヶ月の重傷(入院費百四十万円)を負い、その選手生命を絶たれている。まさに、タイガーホークを完全に扱うには、『タイガーホークを使わずともタイガーホーク使用時と同等の成績が残せるほどの圧倒的な打撃センス』が必要であったのだ。

 プログラム通りのバッティングを実行するタイガーホークではあったが、目的地点への着弾成功率は、当初(プロトタイプ・タイガーホーク使用時)は七五%(当社比)がせいぜいだった。それでも、高校野球で結果を残すには充分の性能であり、実際に鷹虎は準々決勝まで十割の打率を残しているのだから、その威力は既に超高校級と言えたであろう。しかし今、彼が手にしているのは、一〇〇%の着弾成功率を誇る、パーフェクト・タイガーホークなのである。木村が鷹虎をして「完璧主義者である」と評したのは、このことからきていたのだ。しかし鷹虎にすれば、それはやはり、一〇〇%でなければならなかった。彼はこの奇跡のバットで、宿命の対決を終決させるつもりだった。それはマウンドに立ちはだかる当面のライバルと、自分とを繋ぐはずの純白なる直線の、延長線上に鎮座している彼の実父に向けられた、彼の心をどこまでも締めつける、静かなる執念の挑戦だったのである。午後一時四十九分。彼は遂に、運命への第一歩を踏み出した。最強の矛と最強の盾、ぶつかればどうなるものか、やってみなくてはわからないなら、やってみなくてはならないだろう。

 兵頭鷹虎がバッターボックスに向かいだしたのを確認すると、十一万人を越える観衆が爆撃のような歓声を発した。球場の外を囲った入場に溢れた四十万人が、その異常な大歓声に敏感に呼応すると、そこから四十キロ以上も遠く離れた淡路島の一つの民家で、昼寝をしていた赤ん坊がびっくりして屁をこいた。この狂乱の坩堝の、ど真ん中に身を置いて、それなりの満足感に浸っていたのは虎太郎だった。人類の歴史の中での三つの大きな発明は、兵頭虎太郎と小日向鷹子、そして繁殖機能だと彼は考える。となれば、その三つの集合の結果である彼の子息、兵頭鷹虎は、彼に言わせれば人類の生み出した最高傑作ということになり、その鷹虎が平民に愛されているまさにその現場を目撃したこの時、兵頭虎太郎は不覚にも、確認という意味においての、ある一定以上の満足を得ることとなったのだ。

 羽衣のようなユニフォームに身を包んだ兵頭が、貴公子にしか許されないような慇懃典雅な物腰で、しゃなりしゃなりと打席に向かってゆっくり歩くその姿は、覇道をゆく男独特の、寂し気な力強さと、純潔の競技者らしい礼儀正しさを感じさせ、それだけで翔平は、同年とはとても思えぬ魅力的なその男に、尊敬の念をさえ思い抱くのだった。

 それでも彼はその男と、闘わなければならなかった。彼の後ろには、同じ目標を胸に掲げて共に歩み続けてきた、何物にも代えることのできない掛替えのない仲間がおり、そして更にその後ろには、彼らに敗れて涙を流した幾千もの兵共が、勝者の怠慢を許しはしないとじっと塗李を見張っていた。人類の歴史の中での三つの大きな発明は、友情と、ライバルと、ローションであると彼は考える。その三つが交差した、今この時この瞬間、奇跡の波動が彼を照らして青春の激情を燃え立たせた。そのことの特別さに、はっと気づいた少年は、剛毅迸る野球皇帝、兵頭鷹虎を前にして、挑戦権を与えられた自身の幸運に感謝するのだ。

(不遜でも自惚れでもない。俺こそが、俺たちこそが、君という人間に相応しい好敵手だったんだ。たとえ君が違うと言っても、俺はきっとこの試合で、そのことを君に認めさせてみせよう! 俺たちは、宿敵だったんだと……!)

 兵頭が打席に、足を踏み入れた。地鳴りのような喝采が、球場を包み込んだ。

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