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第29話

  兵頭コーポレーション 御曹司 兵頭鷹虎


  「こんなくだらんパーティー、抜け出さないか?」

 結城はほとんど、パニックに陥っていた。あんなにかわいらしい昌美ちゃんが、真田高校の伊達昌幸だって? 昌美ちゃんが、ホモ? そんな馬鹿な、そんな馬鹿なことがあるもんか。そうだ、きっとオカマなんだ! 彼女は先天的なオカマで……待て、そもそもオカマとホモの区別がつかない……ただの女装癖というのもあるがどうだろう。というか、彼女が男なのは確定なのか? そうだ、彼女はきっと、オナベなんだ! 彼女は本当は女の子だけど、性同一性障害だから男を名乗って野球部に入ってるんだ! やっぱり彼女は女の子、ああよかった、よかった? だけどそれじゃあ、俺は彼女の恋愛対象に入ってないじゃないか! ということは、今は彼女がホモであることを願うべき、なのか……それなら二人の関係は今まで通り続けられるし……。

(なんか違う!)

 彼は宿舎を飛び出した。どこにいくんだ、という誰かの声が聞こえたが、彼は振り返らなかった。無我夢中に走った。彼は、奇術団のテントに向かっていた。


 準決勝の相手が塗李となったことに、最も困惑していたのは昌美だった。播磨灘ならば問題はなかった。自分の目的は播磨灘を倒すこと、兵頭鷹虎の野望を阻止することなのだから。播磨灘と塗李のカードでも問題はなかった。決勝に進むのは当然、播磨灘になるだろうから。でもよりによって、それら以外の組み合わせとなってしまった。準決勝の組み合わせは塗李と西東工の試合のあとに決まったから、勝てば次の相手が塗李になると知りながら、彼女は流れ星高校と戦っていた。兵頭を止めるためには私はこの試合に勝たなければならないし、だけどそうなると結城さんの塗李とやることになってしまう。そのようなジレンマと戦いながら、彼女は流れ星高校をシャットアウトしたのだ。

 勝利を決めたあとも、自分が伊達昌幸であることはできれば最後まで知られたくない、と思った。結城との接触を避けたのは、それが理由だった。しかし、それが無駄ということもわかっていた。今頃彼は、そのことを問い詰めるために必死に私を探しているだろう。そして私をスパイと疑い、糾弾しようとしているかもしれない。


 真田高校の野球と、彼女の個人的な目的を語るには、この日から三年は遡らなければならないだろう。おてんば少女の、最初の恋の物語である。

 中学生になっても、彼女はどろんこになって外で遊んでいた。生家は奇術師一家で、彼女はろくに学校に通ったこともなく、旅先で舞台に出演しては暇な時間を知らない土地の知らない人間と過ごしていた。そんな彼女がある少年と出会ったのは、十三歳の夏の初めのことだった。涼やかな顔立ちのその少年は、彼女に初めて、恋心というものを教えた。

「お前、女だろ? そんな所で何してるんだ」

 自転車を止めたユニフォーム姿の少年が、田圃に素足を突っ込む彼女にそう言った。

「何してたっていいじゃない」

 いい年頃であるのにこんな所ではしゃいでいる自分が急に恥ずかしくなって、彼女はそう言いつつも顔を赤らめた。すると少年が、「土地のもんじゃないな? 標準語だ」と言ったので、彼女はそれに反駁するように、「あんただってそうじゃない」とやり返した。「俺には色々事情があるんだ」と少年。「あたしだって事情があるの」と負けずに彼女。すると少年はそこで初めて、目の前の少女をまじまじと見つめてから、「そりゃそうだ」と一つ笑って、自転車のペダルに足をかけたのだった。

 その瞬間、もう二度と逢えなくなる予感がして、それがなんとなく不安に感じられて、その気持ちを自分でも不思議に思いながら、彼女は、今度は自分から話しかけていた。

「その恰好、何?」

「野球だよ」

「高校生?」

「いいや、中三」

「名前は?」

「色々訊く奴だな」少年は可笑しそうに笑って、「鷹虎だ。兵頭、鷹虎」と、言った。

 ひょうどう、たかとら。彼女はその名を心に刻み込んだ。また逢える気がする、そんなことを思った。そのあと兵頭が、何もなかったように自転車でいってしまうのが、彼女にはなぜか、憎たらしくも思えた。

 真繁(さなしげ)奇術団はスポンサーがつく度に遠征に出る。その度に、スポンサーの開くパーティーにドレスを着て参加しなければならないのが、昌美は嫌で仕方がなかった。しかし、スポンサーのご機嫌伺いは、彼女の両親にしてみれば仕事の一部であるらしく、看板奇術師になりつつあった昌美の出席は必須であった。彼女はいつものように、渋々ながらもそのパーティーに参加した。そしてその時になって初めて、そのパーティーの主催者、即ち今回の遠征のスポンサーが、兵頭コーポレーションであることを彼女は知った。

(ひょうどう……)

 兵頭コーポレーションは、兵庫県一帯に科学技術系、情報技術系、工業系、農業系などの会社を展開する、国内でも指折りのコングロマリットだった。その経営は医療から宇宙開発、学校教育にまで広がっていて、財界にも大きな影響力をもつその巨竜は、関西地方から日本全国、或いは世界に向けて号令を発していた。それも三十年以上も前から続いていることで、その名は子供でも、まさに昌美でも知っているような身近なものでもあった。

 昌美が、自分が昼間遊んでいた田圃がその兵頭コーポレーションの管理する田園の一部であったことを知ったのは、パーティーが始まってすぐのことだった。パーティーに、兵頭鷹虎がいた。司会者が彼を、兵頭コーポレーションの御曹司だと紹介した。

「また逢ったね」

 タキシードを着た兵頭は、別人のようだった。尤も、ドレスを着た昌美の方も別人のようではあったが。まさかうちの田圃で遊んでいたおてんばガールが奇術団の看板娘だったとはね。兵頭のそんな言葉に、彼女は赤面せざるを得ない。すると、言葉もなくもじもじしている彼女に、兵頭が、言った。

「こんなくだらんパーティー、抜け出さないか?」

 兵頭の行動は早かった。彼女は頷く暇もなく、手をとって会場から連れ出された。

 会場の裏手に、細々と流れる用水路があった。そこにかかった小さな橋の欄干に、兵頭鷹虎はタキシードのまま腰掛けた。橋の両側に取り付けられたクラシカルなデザインの照明が、少年の顔をオレンジ色に染めている。兵頭の顔は瑞々しく、若かった。しかし、自分よりも一つしか違わないとは、昌美にはどうしても思えなかった。それくらい、彼の表情は、目つきは、大人のそれであったのだ。

「君はジプシーみたいにいろんな土地にいったりして、自由に暮らせていいね」

 兵頭の言葉に、戸惑った。自分の暮しをそんなふうに思ったことなどなかった。

「あなたは、自由に暮らせないの?」

 すると兵頭は、その美しい瞳を、少しだけ悲しげに曇らせた。

「俺は生まれた時から、いや、生まれる前から、全てを他人にコントロールされているんだよ。だから自由なんてのは、言葉でしか知らない」

 この時はその意味が、まるでわからなかった。しかし時を経て、彼女は兵頭鷹虎の凄まじい悲しみを知ることになる。彼は、兵頭財閥の始祖、兵頭虎太郎(ひょうどうこたろう)の悪魔的な執念が生み出した、『人間を超越した人間』であったのだ。


 昌美はそれから、兵頭と連絡をとるようになった。彼女には、それが恋なのかどうか、よくわからなくなっていた。しかし、兵頭がなぜか、自分に心を許しているらしいことはわかっていた。それが、嬉しかった。彼女は次第に、一つ歳上の兵頭に対し、母性のようなものを感じるようになった。

 兵頭が昌美に秘密を打ち明けたのは、彼女がちょうど中学三年になる頃のことだった。

「俺は兵頭グループの経営する播磨灘高校という所で、野球をすることになったよ」

 彼はそう言った。しかし、その口調に何か暗いものを感じたので、彼女は、嬉しくないの? と訊いてみた。

「野球、好きなんでしょ?」

 すると兵頭は、こんなことを言った。

「野球は好きだよ。でもやれるのは高校までだ。俺は兵頭財閥を継ぐために、高校を卒業したあとはハーバード・ビジネス・スクールにいって、MBAを取得するために勉強しなくちゃならないんだ」

「それって、凄くない? 野球しながら、そんなとこに入れるの?」

「問題ないさ。俺は何もかもが優秀だからね」

 その言い草は、不思議と嫌味がなかった。そういうところが、彼の育ちの良さなのかもしれなかった。彼は続けた。

「だけどさ、なんで三年で、俺は好きな野球をやめなくちゃいけないんだ? この豊かな時代、みんな好きなように生きているじゃないか。なんで俺は、好きなように生きることができないんだ?」

「そんなこと言われても……」

 彼女は戸惑った。彼のような容姿端麗で頭脳優秀、運動能力も抜群の限りなく完璧に近い人間でも、わからなかったり、疑問に思ったり、不満を覚えることがあるのかと、むしろそんなことを考えてしまった。兵頭は尚も続ける。

「俺は、俺を束縛しているものを殺したいんだ。何もかも破壊してやりたいんだよ。大好きな野球を侮辱するようなことになるかもしれないが、俺は甲子園という大舞台で、最も注目の集まった瞬間に、何もかもをぶち壊してやろうかと思っている。そして、自由になるんだ」

 彼女はまるで意味がわからず、今だって自由じゃないか、むしろお金をたくさんもっている家に生まれているし、他の人たちよりも幸せなんじゃないか、と些か憤慨の色を見せて指摘した。あなたは我儘を言っている、世の中にはもっと不幸な人たちがたくさんいるんだから。すると彼は、しばらく沈黙したあと、おもむろに話しだした。

「俺には、誰にも知られたくない秘密がある。でも今、昌美に話したくなった。誰にも言わないでくれよ? そして黙って、最後まで聴いて欲しいんだ」

 昌美は、嘘かホントかわからない、兵頭鷹虎の生い立ちを知った。


 兵頭が、注目が最大限に集まった甲子園の大舞台(それはおそらく三年夏の決勝だ)で具体的に何をやるつもりなのかは知らないが、彼をその舞台に連れていってはいけない、ということだけはわかっていた。そのためには、別の高校に入学し、播磨灘を倒さなければならない。両親には、マジック投球で優勝し最後に全ては奇術だったそして私は出場不可の女性(高野連はこの時代も女生徒の試合出場を禁止するという頭の固さを維持している)でしたとテレビ放送で告白すれば真繁奇術団は有名になる、と言って、高校に進学することを説得した。真田高校を選んだのは、野球部もそこそこ強かったし、普通科、商業科の他に、奇術科(理事長の趣味により設置)があったからだ。彼女は野球部のセレクションを受けた時、野球に応用できるいくつかの奇術を披露した。それは、いまいち強豪になりきれない野球部に苛々を感じていた監督に、勃然と全国制覇の野望を抱かせるほどの魔術的なインパクトをもっていた。監督は昌美を選手として入学させられるよう、理事長と結託して校長を説得し、荒木昌美(あらきまさみ)という本名の彼女に、伊達昌幸という仮名と、偽の性別を与えた。そして荒木昌美は、女性の自我に目覚めかけている自分を封印してまで、男子生徒として真田高校に入学したのだ(彼女の正体を知る者は校長と理事長と監督しかいない、と彼女は未だそう信じているが、実際は入学直後から、肝心の兵頭鷹虎に知られている)。入学後すぐに野球部に入部した彼女は、他の部員に奇術の指導を繰り返した。昌美の提唱するマジックベースボールは、彼女一人では決して成立させることのできない、全員野球を必須とした作戦であったからだ。それは奇しくも、塗李のローションベースボール完成への道のりと酷似していた。そして真田野球部は一年の特訓のあと、その奇術野球を遂に完成させる。第一四二回全国高等学校野球選手権大会出場決定。播磨灘を、兵頭鷹虎を止めることができるのは、私たちのマジックベースボールしかない!


(結城さん。すっぴんのあたしを見て女だって気づいてくれたのは、兵頭に続いてあなたが二人目。そしてあたしは、あなたのことが好き! だけどあたしは、あなたの夢を砕いてでも、決勝にいかなくてはいけないの。彼を、兵頭鷹虎を、これ以上不幸になんてできない!)

 女性ということで、『伊達昌幸』は特別に一人部屋を宛てがわれていた。彼女はその部屋で独り、その瞳に宿命の炎を滾らせた。

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