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第27話

  真繁奇術団 看板奇術師 プリンセス昌美


  「あなたたちはやっぱり、この試合すらも勝ってしまうの……?」

「塗李の勝ちだな」

 と言ったのは、試合を明日の第一試合に控える、兵頭鷹虎だった。そしてその言葉に返事の責任をもっていたのは、彼の隣りに立つ、プリンセス昌美だった。

「どうしてそう思うの」

 そうは言ったものの、その答えは彼女にも半ばわかっていた。宮内が無理をしているのは明白だ。それでも彼を動かしているのは、意地以外の何物でもないだろう。しかし彼女はそう言った。彼女は兵頭に、答えを求めているわけではなかった。

「やるなら、宮内の方がやり易かった。塗李の方は得体が知れないからな。ま、俺たちが塗李とあたる時は頼んだぜ、お嬢さんよ。最近は、塗李のショートストップとお付き合いをしているそうじゃないか」

「な、何を!」

 瞬時に頬を染めて、声を荒げた。「あたしがスパイをしているとでも言うの? 違うわ、私は単に……」

「恋をしてるってか? それならそれで結構。どう転んだとしても、俺たちは俺たちのやるべきことをやるまでだ。まあ本音を言えば、決勝は塗李みたいな面白いチームとやりたいってなもんだがな。その方が注目も集まるし、盛り上がる」

 兵頭はそう言って、昌美から視線を逸らした。「真田高校の投手も、面白そうではあるが」

 そしてくるりと背を向けて、階段を降りていった。

「最後まで、観ないの?」

 昌美が声をかけた。すると兵頭は振り返りもせずに右手を上げた。相変わらずキザな男! 昌美は心でそう毒突いて、フィールドに目を戻した。ワンナウトランナー二塁。打席には三番打者が入っている。

「結城さん……」

 彼女はそう呟いて、塗李のベンチを遠目で見た。「あなたたちはやっぱり、この試合すらも勝ってしまうの……?」

 観衆がどよめいた。北田が第一球をフルスイングし、大きなファウルボールをスタンドに打ち込んだからだった。


(やれる)

 と手応えを掴んだのは北田広太。(何があったかは知らないが、確実に球威が落ちている。そして球種やコースは、相変わらず木戸のサイン通りだ。こういうやり方は不本意で、できれば正面からお前を倒したかったが、俺は元々、こんな大舞台でお前なんかと対戦できる選手ではなかった。みんながいたから、ここまでこれたんだ。この打席でも仲間からのサポートを受けて、一丸となってお前を打ち砕いてみせよう!)

 集中力がいよいよ研ぎ澄まされていく。そんな北田とは対照的に、宮内は無様なほどに自分を見失っていた。しかし、考えていたことはほぼ同じだった。独りではここまでこれなかった。藤岡や佐々木はもちろんのこと、チームメイトが俺を受け入れてくれなかったら、俺は今頃この鋼鉄の左腕を持て余し、エロ動画をダウンロードするだけに使って自分を慰める他は何もせず、毎日を無為に過ごしていたに違いない。それがどうだ。振り返れば今、無理に笑顔をつくって俺を励ます野手共がいる。ベンチには俺の復帰で出番を失ったピッチャーが二人、馬鹿みたいに大声を張り上げてマウンドの俺を叱咤している。ここで膝を折れるか? 男が、改造ピッチャーV3が、ここで弱音を吐くことがどうしてできよう!

 彼はランナーがいることを忘れ、大きく振りかぶった。二塁ランナーの高原は、その迫力に圧倒されて動けない。第二球、一五六キロ。北田のフルスイングがボールを掠め、ボールはバックネットに突き刺さった。ノーボールツーストライク。彼はまたしても振りかぶった。

 宮内の体が、若竹のように逞しく後ろに撓った。集中力という概念は、無の境地に入ることによって意味をなくした。本当の無。機械以上の無だ。それでいて彼の人間の部分が仲間たちの想念と共鳴すると、彼の隙間に、もう一度不確かな雑念が入り込んだ。しかしそれさえをもパワーに変換するどさくさが、この時の宮内にはあった。この沸き起こるリビドー! どうせなら俺らしく、完全に敗北してみろ!

 高校野球の公式ボールが、彼の左手から解き放たれた。それは嵐を呼ぶ龍神のように、唸りを上げて十八メートル先のストライクゾーンに向かっていった。北田広太、一世一代の渾身のフルスイング。両者の全身全霊が、見守る観衆全ての時間を、一瞬、停止させた。そして気がつけば、ボールはライトスタンドに突き刺さっていた。三秒ほどの沈黙。アナウンサーも解説者も、氷売りも警備員も、観客という観客、止り木を探すカラスでさえも、全ての者がその沈黙を礼儀正しく守った。そしてその沈黙は、リハーサルでもしていたかのように、一斉に破られた。大歓声に包まれる真夏の大甲子園。宮内志郎が、甲子園大会五十八イニング目にして、初の失点を喫した瞬間だった。


 その後、後続を抑えたことを宮内は覚えていない。そしてその裏に、味方の打線が例によって三者凡退に終わったことも、ほとんど覚えていなかった。敗北が決定すると、ベンチ裏の廊下で、着替えもせずにただ茫然としていた。

 なんとなく、藤岡と佐々木の声が聞こえた気がした。ふと顔を上げると、彼らが監督の森石と話しているのが見えた。

「お疲れさん」

 宮内のその視線に気づいて、森石がそう言った。宮内は、優勝することで自分の体をぼろぼろにした森石を見返したかった。その目標が断たれた今、彼は悔しさに塗れて、涙が零れそうになった。そんな宮内に、藤岡が、言った。

「お前、禁じ手だと言ったのに、リミッターを解除したな?」

 これに佐々木が続いた。

「あのまま続けていたら、お前はメカの部分だけでなく、人間の部分さえも破壊されていたかもしれないんだぞ」

 敗北が決定したばかりの今、宮内は未だ冷静になれない。

「だけど結局、ブーストアップはすぐに解除されました。おかげで負けちまいましたけどね」

 そんなふうに答えた。試合中以上に、自暴自棄になっていた。

「こっちが遠隔でそれを抑えなかったら、お前は死んでいたかもしれないんだ。それがお前には、わからないのか?」

 藤岡の言葉に、彼ははっとした。遠隔? 遠隔で、操作だと……?

「あ、あんたら、あんたらは俺の夢を、俺の夢を遠隔操作で阻止したというのか!」

 すると佐々木が言った。

「遠隔では細かい指示はできない。リモートコントロールには、お前の暴走を、つまりブーストアップを止めるだけしか、権限を与えていない」

「そ、それで急に元に戻ったというわけか……余計なことをしやがる」

 あのまま続けていたらどうなっていたかという恐ろしさを思いつつ、彼はそう吐き捨てた。すると森石が、言った。

「すまん、宮内。お前の夢は知っていた。そしてその夢は、俺の夢でもあった。しかし、俺は指導者として、最後の最後に本当の決断ができたと思っている。お前を止めるリモコンは、俺が預かっていたんだ……」

 森石の左手に、リモコンらしい何かが見えた。それを見た瞬間だった。彼の涙腺は一息に緊張を失い、涙が突然に溢れ、その数秒後には、それを支えていた瞼も決壊を許してしまった。うあああああ、と人目も憚らずに泣き崩れる宮内。バカヤロウがっ! 俺は本当のバカヤロウだ! 彼はしばらく泣き続けた。滲む網膜の向こうに、穏やかな表情をしている森石が見えた。弱冠十八歳の少年が、自分の愚かさと、周囲の人間の愛を知った瞬間だった。どこか遠い彼方から、戦友たちの歌声が聴こえてくる。ぬるり、ぬるり、おお我らが、塗李高校。愛媛県立松山西東工業高校、準々決勝で、敗退。

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