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第24話

  愛媛県立松山西東工業高校二年 帰宅部 宮内志郎


  「地獄の甲子園で、今度こそ思う存分野球をしよう」

 宮内は現在の実力を、もちろん、一朝一夕で手に入れたわけではない。たしかに、彼は存在自体が反則であったが、その身体をただの反則から実用レベルにまで引き上げるためには、並々ならぬ努力が必要であった。想像を絶する訓練と忍耐の日々。その背景を語るには、北田広太を打席に迎えたこの瞬間から、十ヶ月は遡らなければならないだろう。

 彼が最初の手術を受けたのは、冬の始まりの頃だった。藤岡猛鍼灸院には、二階の奥に、外観からは想像もつかない、近代化の施された一室があった。そこは、藤岡と佐々木がお互いの身体を『調整』する時に使うメンテナンスルームであり、他人の身体を改造するために使うような部屋では決してなかった。しかしこの時は、その部屋は宮内のために完全抗菌の臨時オペ室となった。宮内は手術台に横たわり、目を瞑った。その様子は、人間との決別の儀式のようにも見えた。

 藤岡や佐々木にしても、それは緊張の時間だった。彼らは、真っ新な人間の身体を改造した経験がなかった。知識だけはあったが、うまくいくだろうか、という不安をどうしても消し去ることができない。そんな二人の心配を察したか、宮内は笑顔をつくって、二人にこう言った。

「たとえ失敗しても、あんたらを恨むなんてことはないから安心してくれ。もし失敗したら、お先にあちらで待ってるぜ? 地獄の甲子園で、今度こそ思う存分野球をしよう」

 全身麻酔を打たれ、彼は次第に意識を失っていった。そして次に目覚めた時、彼は改造ピッチャーとなっていた。

 術後の数週間は、左肩周辺を襲う接合部の痛みや、機械に対する肉体の拒絶を抑えるのに苦労した。そして何より、乱れる精神を平常に戻すのが困難だった。人間を捨てたのだ。改造人間になったのだ。自分で選んだ道とはいえ、その事実は容易に受け入れられるものではなかった。しかし、強制的に改造を施された藤岡や佐々木の当時の苦しみを思えば今の自分の苦しみなどは大した問題ではないはずだ、と思うと、少しずつ、新しい自分の体を受容する気力が湧き始めた。そして数日のあと、彼はようやく現実を認めた。自らの宿命に陶酔するように、彼は恍惚の表情でその左腕を見つめたのだ。

 彼の左腕は、最先端科学の集合体となっていた。骨にはマーズメタル(ダイヤモンド並みの硬度をもちつつそれでいて加工が容易な、火星でしか採取できないスペースレアメタル)が使われていたし、自前の筋肉を覆うセラミックカーボンの外側は、彼自身の遺伝子からクローン培養された『ほぼ本人の皮膚』で覆われていた。動力源には、コストパフォーマンスに優れる水平対向六気筒の20cc水素エンジン(燃料は水でそこから水素を取り出しまた水に戻すという究極のエコ仕様)が採用され、計算上では、彼の左腕は、五五馬力の出力と低回転時の高トルクを実現していた。冷却装置には騒音を抑えるために油冷方式が選択され、血管と沿うように張り巡らされた人工管に、絶対零度にも耐え得るMオイル(奇跡のオイルと呼ばれることからMはmiracleのMと誤解されることが多いが実際は火星のラテン語MarsのM。アポロ181号が火星から持ち帰った新次元のオイルを参考にNASAとメキシコの企業が共同開発した)が心拍数に合わせて流されている。肩と肘と手首と五本の指それぞれには、128core64THz(76〜88THzまでオーバークロック可能)のCPUが喚装され、ランダムアクセスメモリには世界最高品質と言われるチュニジア製のメモリがトリプルチャンネルスロットに一枚ずつ、記憶媒体には衝撃にも強いスーパーマイクロSSDが実装された。それらを司るのが、佐々木の開発したオペレーティングシステム、『SasakiTark』だ。『SasakiTark』は、オープンソースのLinuxをベースとした軽快な基本ソフトで、ネットもできれば音楽や画像の管理、軽いものならば動画さえも観ることができるというすぐれものだった。暇潰しにフリーセルもできて、なんと、十二桁までの計算ができる電卓機能までもが付いている。

 しかしそのままでは、宮内の左腕はただの高価な義腕である。日常生活で必要とされる動き程度ならば、脳と『SasakiTark』の連動により細かく制御ができたが、いざ投球のような特殊な動きとなると、それは怪力なだけの工業機械に過ぎなかった。それを解決するべく、藤岡によって開発されたのが、『ダブルタイフーン』だ。宮内の左腕に秘められた『技と力』を完全に制御する、藤岡渾身のアプリケーションプログラムである。

 まず藤岡は、『ダブルタイフーン』内に『制球力タイフーン』という機能をつくった。寸分の狂いもないボールを投げられるようにするのが目的だった。それから彼は『球速管理タイフーン』を、続いて、ツーシーム、カーブ、スライダー、シュート、スクリュー、チェンジアップ、スプリットなどの威力を調整する『変化球タイフーン』をつくった。それらは開発段階でも『SasakiTark』にインストールされ、αテスト、βテストと段階を経る度、その完成度を増していった。そしてそれは『SasakiTark』が、三度目のバージョンアップを終えた時だった。彼の左腕は遂に、今までにない安定性を手に入れた。当の宮内もすっかり機械をその肉体に馴染ませていて、改造ピッチャーは限りなく、完全体に近づいたのである。

 残念ながら春の選抜には間に合わなかったが、夏の予選の前には野球部に復帰することができた。半年以上の戦線離脱ではあったが、監督の森石は、まるで全てが予定通りだと言わんばかりに、彼の突然の復帰を受け入れた。彼の休部により甲子園出場の夢が萎んでいた他の部員たちは、元エースの復帰を素直に喜んだ。彼は、喜ぶナインに囲まれて、自分の中に残された『人間の部分』が震えるのを感じた。俺は人間だ。改造ピッチャーであることには間違いないが、やはり俺は、人間なのだ!

 時速一六〇キロのツーシームと、一気に九〇キロまで落ち込むチェンジアップ。この緩急だけでも、彼の投球は高校生レベルを超越していた。加えて、不自然なほどに曲がるスライダーやシンカー、空間で停止した、と対戦する打者に錯覚させるほどにブレーキのかかったカーブ。愛媛大会の奪三振記録を未来永劫誰も破れないだろうというところまで更新し、彼は仲間と共に、甲子園出場を決めた。そして八月。空港の金属探知機を嫌った彼は、部員の中で一人、フェリーに乗って瀬戸内海を渡った。

(機械の精密さとパワー、そして人間の情熱。これらを合わせもったこの俺に死角はない。塗李高校! 準決勝にいくのは俺たちだ!)

 彼は心の中でそう叫ぶと、右手で左腕のシャツの下に潜むタッチパネルに触れ、起ち上げた『ダブルタイフーン』の三つの機能を一瞬で操作した。バッターボックスには、塗李の三番打者が立っている。

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