第22話
私立萩大工学三年 野球部裏エース 杉下晋二
「ぬるり、ぬるり、おお我らが、塗李高校」
八月十四日、第四試合が終了した午後七時三十分頃、三度目の塗李高校校歌斉唱が、阪神甲子園球場にて行われた。
斉唱に参加した者の中には、塗李高校とは関係のないはずの者も含まれていた。宇宙科学高校の宮沢や、萩大工学の杉下兄弟、桃腿学園の大宮可奈子や、青田学院の合田高次などである。
ぬるり ぬるり
おお 我らが 塗李高校
そう歌う彼らの心には、一片の曇りさえなかった。彼らの魂は、塗李ナインと完全にシンクロし、直接的なパワーとなってグラウンドに炸裂していた。そのことを証明するかのように、三試合連続の完全試合を達成した塗李のエース、桜田翔平は、インタビューでこう答えている。
「僕たちは勝つ度に強くなっています。それは勝つ度に、仲間が増えているからです。登録された部員は十人しかいませんが、僕たちはそれ以上の仲間がいるような、顔も見たことのない人たちにも支えられているような、そんな不思議な錯覚を覚えています。これはおそらく錯覚ではなく、本当に起こっていることだと僕は思う。心霊現象のような怪しいことを言っているつもりはありません。これは、本当のことなのです」
合田高次はこのコメントを聞いた時、自分の青春は無駄ではなかった、と思うことができた。遠回りではあったかもしれないが、運命は自分を、神奈川担当に導いてくれた。そしてそこで出会った(出会ってはいない)塗李のナインが、人間の心の意義に、本質に気づかせてくれた。間違いであったものをそうでないものに昇華させてくれたのだ。合田高次は高らかに歌う。ぬるり、ぬるり、おお我らが、塗李高校。
この勝利で塗李は、遂に全国区になり始めた。この日の時点でベスト8進出を決めた四校のうち、公立校は塗李だけで、全くの無名からのし上がってきたのが彼らだけだったということが、その報道に拍車をかけたのかもしれない。人気は国内に留まらず、彼らの噂はネットで広まり、アジアの一部の地域では局地的な人気を見せ始めてもいる。チャイニーズタイペイでは、彼らのSJブロマイド(64億×48億ピクセルの超高画質デジタル画像を空間製紙と呼ばれる気体の用紙に印刷した複製不可の肖像写真)が闇市で販売され、ソウルでは、同性愛者専門誌のコラージュ企画として彼らの顔が無断で合成された。
一試合も出場していない宇賀神はともかくとして、九人の布王子は、気軽に外出もできなくなった。もはや自由行動などは許されない。彼らは、練習以外の余った時間を、他校の分析にあてるしかなかった。
(ようやく落ち着いてくれたみたい)
iSchoolの画面と睨めっこをしている部員たちを見て、沢井は安堵した。黙って研究を続ける彼らを、誇らしくさえ思った。そう、あなたたちはまだ、戦いのさなか。ここで集中力を持続させることができたなら、進学しても社会人になってもどこでだってやっていけるわ。しかし彼らは実際のところ、研究などはほんの一時間ほどで投げ出していた。彼らはそれぞれの桃腿ハニーと、骨伝導チャットを楽しんでいたのだ。
厳密に言えば一人だけ、相手が桃腿ハニーでない部員がいた。結城はあの日、プリンセス昌美と連絡先を交換し、それからは毎日というもの、彼女と頻繁に連絡をとりあっていた。今日は練習が大変だった、あんまり無理しないでね、などの、あまりにも無垢な他愛ない会話ではあったが、それは彼の、最高の楽しみになっていた。
『今日のステージはどうだった?』
『うん、普通だったよ』
『そういえばさ、十七日に甲子園で試合があるんだけれど、観にきてもらえるかな』
以前にもちらりと言ってはいたが、結城は早く、その確約が欲しかった。もし彼女がきてくれたなら、それこそ百人力というやつだ。
しかし彼女は、すぐには答えなかった。回線がおかしくなったのかな、と結城は思った。すると少しのタイムラグのあと、いけたらいくね、という声が聞こえてきた。それはあたりまえのことで、結城は、彼女の仕事のことを考えもしなかった自分を恥じた。もちろん時間があったらでいいんだ、と慌てて言うと、彼女の頷きでその話題はそこで切れた。そしていつもの会話に戻ると、二人はそのあとも長く話し続けた。
翌十五日。準々決勝進出の残りの四校が決まった。それと同時に、塗李高校の次の対戦相手も決定した。
愛媛代表、松山西東工業高校。大会ナンバーワン左腕、宮内志郎との対決である。




