第14話
私立宇宙科学大学附属高等学校教員 野球部監督 宮沢昭伸
「そう、塗李ナインのような、美しく誠実な戦士たち!」
準決勝で大都農工を破り、遂に甲子園まであと一勝となると、横浜市塗李区は街をあげて騒然となった。商店街は塗李フィーバーにあやかろうと、塗李高校の試合の半券を持参すれば全ての商品を半額にするというイベントを打ち出した。塗李神社は塗李高校の甲子園初出場を祈願する人々で溢れ返り、市長などは人心を得ようと、スケジュールを変更してまで神社に足を運んだ。そして迎えた七月二十九日の決勝、塗李高校は強力な宇宙科学打線を完封し、エース沢田謙太郎から十安打七得点を奪って、遂に、甲子園本大会への出場の切符を手に入れた。
ナインはもはや、地元のアイドルと化していた。甘いマスクのサード高原は、大手デパード塗李支店の広告でモデルデビューを飾っていたし、インテリセカンドの木戸などは、『エレクトリックスポルタ』という名の日刊ローカル電子スポーツ新聞で、『ファシズムを祖父にもつ民主政治におけるアマチュアスポーツの使命』というコラムを、隔週連載で一週前から始めていた。翔平を始め、北田や堀、結城などには、プロ野球からスカウトがやってきた。ローションを拭き取るために試合中でも常に布巾を携帯していた彼らは、県内のマスコミ各社に、『九人の布王子』というニックネームを付けられた。布王子の自宅にはファンが押し寄せ、翔平や高原などには、一日にダンボール二箱分のファンレターが届けられた。
「布王子、か」
ふんと鼻を鳴らし、合田はハンカチで首筋を拭った。まだ青森にはないリニアモーター地下鉄の座席に座ると、合田は冷房に一息吐いてから、iSpyのブラウザをもう一度開いた。報告書をまとめるためにも、もう少し情報が欲しかった。
電子新聞には、興味深い記事が載っていた。宇宙科学高校のエース、沢田謙太郎の発言が発端となっている記事だった。
『なんかぬるってた』
記者のインタビューを受けた沢田謙太郎は、以下のようなことを語っている。『五回の攻撃を終えてマウンドに向かい、プレート付近に置かれたボールを手にとった時、何か違和感があったんです。ぬるぬるしていたというか……。審判にボールのとり替えを要求しました。ボールはちゃんと新しい物に替えられましたから、それで僕らが不利になったということはありません。どう考えても力不足。チームメイトも言っていましたが、塗李高校は強かった。先輩たちには申し訳ないですが、僕はまだ二年生なので、来年こそは甲子園にいきたいです』
記事を読むに、記者はそのエピソードにあまり引っ掛りを覚えていないようだった。しかし合田は違った。そこに塗李野球の謎が、潜んでいるような気がした。
そしてもう一つ気になる記事。宇宙科学高校の監督、宮沢昭伸のコメントである。
『原始的な発想且つ理論に基づいた野球に、我々は真正面から敗北した……』
このコメントだけで、宇宙科学の監督は塗李野球の真実に感づいている、とまで疑うのは希望のもち過ぎだろうか。宮沢の信じる野球からすればどんな発想も原始的に思えたかもしれないが、理論という部分には説明がつかない。合田は、宮沢が真実を知っていると信じたかった。真実まで辿り着いていなかったとしても、塗李の迫力を実際に体感した彼なら、謎の解明のきっかけくらいは掴んでいるのではないか。
決勝敗退という無念の結果を校長や理事長、後援会の幹部らに報告したあと、宮沢昭伸は監督室に戻り、決勝戦で直に体験した凄まじい塗李野球を振り返っていた。
(沢田の言っていた『ボールに感じたぬめり』を、塗李側が付着させていた物だと断定するならば、推理の展開は大きく開かれる。ぬめりというくらいだから、それは液体だろう。その液体を、桜田君がマウンドを下りる時に拭い損ねてしまったのだと解釈すれば、その液体こそが、こちらのバッティングに影響を及ぼしていた張本人と言えるのではないか。液体、なぜ液体なのか。そうだ、それはおそらく、彼はボールにその『何か』を付着させることによって、ボールとバットが衝突を起こす瞬間に、ハイドロプレーニング現象のようなものを擬似的に、そして強制的に起こしていたのに違いない。背徳の細工を隠蔽するためには、その『何か』を一々拭き取らなければならず、その理屈は、彼ら全員が布を携帯している事実と符合する。塗李のキャッチャーの堀君が、毎回、我々のバットを丁寧に拾ってくれていたのも、その『何か』を証拠として相手チームに渡さないための、配慮を装った彼なりの工夫だったのだろう。それにしても、なんという発想! 私のような頭の固い男には到底思いつくことのできない、恐るべき尖鋭のベースボール!
たしかに彼らのあの作戦は不正かもしれないが、同じく不正野球を実行していた我々とは大きく違うところが一つある。それは彼らが、自主的にその方法を選んだ、ということに他ならない。彼らには監督がいないのだ。更にそのことは、彼らの不正に対して責任をもつ大人がいない、ということをも意味している。これは、宇宙科学の選手たちとの間に、決定的な覚悟の違いを生み出している!
今思えば私は、選手たちに自分のやり方を押しつけていただけだった。そんな私がどうして、塗李の連中を糾弾することができよう! そしてどうやって、私に不正を強要され続けた過去三年の部員たちに詫びを入れたらよいのだ! 私は近代野球という言葉をとり違えていた。限られた条件の中でその野球にできる限りの工夫を施し、我々の不正野球を完膚無きまでに打ち破った彼らに、私は今、むしろ感謝をしなければいけないのかもしれない。私が指導者としてやらなければならなかったことは、不正野球を自分たちの意志で実行できるような、自主性と強い心をもった逞しい選手たちの育成だった。そう、塗李ナインのような、美しく誠実な戦士たち!)
彼は敗北感を引き摺ることなく、むしろ清々しい気分を味わっていた。それは、どんな快勝を収めたあとも感じることのできなかった、彼にとっては初体験の、誠実なる充足のそれだった。そんな彼の束の間のひと時を、あばた顔の訪問者が遮った。その訪問者は、まだ少年といったあどけなさを残していて、少しだけ東北の訛りがあった。
「私は青田学院の合田という者です。塗李高校の野球について、お話を聞かせてください」




