表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/55

第13話

  私立青田学院三年 野球部偵察部隊神奈川県担当 合田高次


  「俺が秘密を暴いてやる」

 部長の沢井美加が奔走し、練習試合が毎週のように組まれた。それらの試合で塗李ナインは、自分たちのローションベースボールがほとんど無敵であることを確信した。桜田翔平はそれらの練習試合において、七試合連続のノーヒットノーランを達成している。内、六試合が完全試合で、攻撃の方では全ての試合で、二桁安打二桁得点を記録していた。そしてそのどれもで、ローションの使用は誰にも気づかれなかった。

 塗李野球部の快進撃は、練習試合のみというにも拘らず、センセーショナルな出来事として地方電子新聞にとり上げられた。ここまでくれば勢いに乗じるだけだ。機密の漏洩だけには気をつけて、自分たちのベースボールを存分に解き放つ時がきたのだ。

 夏の甲子園大会、神奈川地区予選が、七月十三日に開幕した。参加校は一八九校にも及び、シード権を与えられたのは全国にその名を轟かす有名私立の八校だ。もちろん、塗李高校にそのような名誉は与えられず、彼らが県の頂点に立つには、八連勝をしなければならなかった。

 一回戦、桜田翔平はここで、公式戦初の完全試合を成し遂げている。打線も爆発し、一〇対〇で完勝。勢い止まらず二回戦でも快勝し、第三試合で初めて、強豪のシード校と対戦することになった。

 ローションベースボールは、シード校を物ともしなかった。二本の内野安打を許したものの、ここでも彼らは完封勝利を収めた。学校が騒ぎだしたのはこの頃だ。二回戦すら突破したことのなかった野球部が、強豪校を敗って、三回戦を勝ち進んだのだ。しかも、三試合ともが危な気のない戦いぶりだったというのだから、彼らが浮足立つのも無理はなかった。

 四回戦、五回戦と、勝つ度に騒ぎは大きくなった。吹奏楽部は慌てて練習を開始し、学校は生徒たちに、試験休みを返上してでもスタジアムに応援に駆けつけるよう、促した。

 準々決勝で六度目の勝利を収めた頃には、塗李の野球は、高校野球界に鮮烈な印象として受け取られ始めた。全くの無名高校が、全国一の激戦区でベスト4まで進出しただけでなく、それまでの六試合を全て無失点で切り抜けていたのだ。一試合平均得点は8.95点と高く、エースの桜田翔平に至っては、全イニングを一人で投げ抜き、ノーヒットノーランを二回、完全試合を一回の、当世始まって以来の驚異の成績を叩き出していた。彼らは県内だけでなく、全国的にも注目され始めた。

 県内のあらゆるメディアが、出演やインタビューを彼らに依頼した。そういったことに慣れていなかった学校側は、それらをほとんど受けてしまった。各ナインはそれらに忙殺され、さすがにストイックを貫いてきた彼らにも、僅かに隙が表れ始めた。ちやほやされる生活に、浮かれる気持ちを抑え切れなくなったのだ。最も気を引き締めなければいけない時期だということを、キャプテンの翔平でさえも忘れかけていた。


「これは塗李の勝ちだ」

 青森、青田学院(あおたがくいん)、四十八の県外偵察部隊の一人、神奈川県担当の合田高次(ごうだこうじ)は、神奈川地区予選準決勝第一試合、宇宙科学大学附属高等学校対横横(よこよこ)商業高等学校の試合を観戦後、そう結論づけた。彼は学校から支給されている小型の情報端末『iSpy』(旧システムのクラウドコンピューティングを採用しているが小型で安価なため未だ普及率は高い)を立ち上げると、早速、報告文書を作成し始めた。

『決勝進出を決めた宇科高は、たしかにここ数年安定した戦いを見せているが、二年生エース沢田謙太郎はまだ経験が足りない。走者を抱えると制球が乱れる傾向があり、セットポジションでは四つの癖が確認された。全国の舞台で通用するほどのレベルには達していないと思われる。

 一方、攻撃の方であるが、打者の挙動を観察するに、宇科高は時代遅れの選球眼コンタクトレンズを最先端のオリジナル品だと信じ、実践に投入している節がある。同レンズは我々の情報倉庫にある通り、数年前の愛知県代表が高野連からその使用を疑われ、表沙汰になる前に厳重注意を受け、同校が慌てて闇に葬り去った曰くつきの品である。もし彼らが決勝も勝利し、本大会で我々と対戦するようなことになったとしても、そこを突いて彼らからレンズを奪いさえすれば、彼らは我々にとって取るに足らない相手と成り下がるだろう。巧くすれば、彼らを高校野球界から永久に追放することも可能かと思われる。

 しかし、それ以前に宇科高の本大会出場の可能性は限りなく低い。準決勝を明日に控える塗李高校が、例のない戦いを見せているからである。おそらく、塗李高校は大都(だいと)農工を破り、決勝へ進出するものと思われる。そうなると、塗李の打線は沢田謙太郎には荷が重く、攻撃においても、そもそもが塗李の投手桜田翔平はストライクしか投げないから、宇科高の選球眼コンタクトレンズは始まりから意味をもたないことになる。端末に必要事項を入力し、幾度となく計算をさせてみたが、神奈川代表は八五%以上の確率で県立の塗李高等学校になると、『iSpy』の演算システムもそう答えていることを追記しておく。

 ストライクしか投げない桜田は、もちろんここまで無四死球。彼は準々決勝までの六試合、全五四イニングを一人で投げ抜いているが、最大球速一二八キロ、全てが直球(握りはチェンジアップのそれと酷似している)で失点ゼロという、驚異的且つ奇妙な現実を数字として残している。不可解なのは三振もゼロというところであるが、その理由は未だ解明できていない。プロのスカウトも首を傾げているようだ』

 合田は、とりあえずそこで報告の文章を打ち切ると、少し逡巡したあと、送信した。

(うちが塗李と対戦することはないかもしれないが、こいつらの野球は実に興味深い。何か、常識外れの秘密があるはずだ。俺がその秘密を暴いてやる)

 合田は球場をあとにした。ホテルに帰って、情報を整理するつもりだった。


 青森、青田学院は、十年前に監督に就任した徳川三郎(とくがわさぶろう)の下、徹底的なデータ収集でアマチュア野球界の常識に挑み、たった数年で東北地方の勢力図を大きく塗り替えた、青森史上最強の甲子園常連校だった。彼らの、えげつないほどの情報収集能力は、強さと同時に評判の悪さも手に入れていたが、現在ではそのやり口は、勝てば官軍の法則に従い、完全とは言えぬまでも全国の高校野球部に模倣されている。収集したデータを統計学的な見地から客観的に分析し、その結果を戦略や戦術、選手起用、練習方法や選手のプライベート管理に至るまで、数ミリの遊びもなく影響を及ぼしていく。新しい時代の息吹を、大胆に、そして実践的にとり入れたそのスタイルは、学校名の「あおた」を「せいだ」と読み替え、『セイダーメトリクス』とマスコミに名付けられた。それには当初、揶揄の響きも含まれていたはずであったが、徳川はこれを気に入り、その呼称を公式のものとして掲げた。徳川三郎著『情報改革! セイダーメトリクスの実践』は、指導者教本としてもビジネス本としても高く評価され、電子書籍にて三〇万回のダウンロードを記録している。

 その徳川の元に、各地方に派遣された県外偵察要員から、続々と調査報告のファイルが届けられていた。徳川はそれらの報告に目を通してはいたが、未だ真剣に向き合ってはいなかった。というのも、青田学院は今現在、地区予選のトーナメントを戦っている直中であり、本大会を見据えて作戦を構築するには、まだ時期尚早であったからだった。それでも、甲子園での優勝を目論む徳川にとって、神奈川担当の合田から届けられた、塗李という聞き慣れないチームの野球には、少しだけ興味をそそられた。

(毎年のことながら、全国にはわけのわからん妖怪のようなチームが、うようよといやがる。しかし、やはり最強は依然として播磨灘。打倒播磨灘を最初に成し遂げるのは、我々青田学院の、セイダーメトリクスだ!)

 徳川は、他県からの報告書を脇によけ、次の対戦相手の分析にとりかかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ