ペシミズムを乗り越えるための魔弾Zwei
読んで後悔する内容です。覚悟を決めてからお読みください。
『私ね――■■君が好きだよ』
『え!?』
『そうでなければお祭りになんて誘わないよ』
五年間、彼女との思い出のかけらを食べて生きていた。ただ一つ残った、彼女との思い出の一欠片を手に握りしめて、男は爪が食い込まんばかりに己の腕を掴んでいた。そうでもしなければ、己という存在が時間の波にさらわれると言うことを何より理解していたからだ。
短い交際期間、短い交わり、訪れた倒錯の時、そして別れた。
唐突で、だから忘れようにも忘れられない。忘れようとも思えなくて――時間に取り残された。彼だけが。
『もっと――■■君と一緒にいたかったなぁ』
死の際の言葉は幸せを思い出すたびに再生され、心を蝕みながら認めろと囁き続ける。いっそ、彼女の姿をした悪霊にでも憑き殺されればどれほど幸せな死か、そう思えるほどに、長くもあり短くもあった五年は、彼を苛み続けていた。
謝りたいのは俺の方だ――
ギリギリと歯軋りをたて、何度目か分からない歯茎からの出血は、その痛みが未だに自分が生きていることを如実に教えて来て、男はその事実にさえ嫌気がさしていた。
いつになったら楽になれる、いつになったら彼女に会える――彼女のいない世界など塵同然で苦痛ばかりの猫箱にすぎないじゃないか。
『ゴメンネ』
彼は脈絡もなく立ち上がると走って家を飛び出して行った。声にならない雄叫びを、夜闇に包まれた街中に響き渡らせながら
「なぁ、そこの君――良いバイトがあるのだがどうだろうか?給料も今なら時給で大卒初任給程度だ。悪い話ではないと思うのだが、どうだろう?」
■
家を飛び出して、そこかしこに残る彼女の匂いと彼女のいなくなった場所から目を背けるように一息で石段の下にやってきた。
五年間も動かなかったが故か、体はあちこちぎしぎしと音を立ててでも足は止まらなかった。ゆっくりゆっくりと足を動かして一段一段、石段を上がる。
石段を上って、背後に広がる風景を置き去りに境内に侵入すると、途端に喧騒が俺の体を拒絶するかのようにブワッと広がった。
祭囃子が、行き交う人々の声が、子供のキャッキャと煩い声が、聞こえてくるような気がした。そんな筈は無いと言うのに、あの時のあの幸せだった時分は色あせずに、この寂れた神社を彩っている。
水を放出することを止めた手水屋の傍には、彼女の好きだった金魚すくい、綿菓子、焼き玉蜀黍の屋台が合って、反対側にはお面屋や当たりがあるのか分からない籤屋があった。
あまりの人ごみに、離れないようにとまるで子供にする様に手を繋いで、歩くたびに揺れる彼女の髪の匂い、浴衣姿に言いようのない美しさはいつまでも脳裏に残っている。そのくせ共通の知りあいに会いそうになるとお互いに手を離して、ほんの少しの距離を開けて歩いた。
あの幸せな思い出を、忘れようと思って忘れられない。
思い出しながら境内を歩く。彼女の気配の残り香が、まだ残っている筈と思いながら、ところどころボロけて壊れている境内を練り歩く。何処は彼女と歩いた場所で、何処が彼女が立ち止まった場所か、何処で彼女と口付けをした場所か。
女々しいと罵られながらも、俺はあの時から前に進めない。進もうとして進めない。だから、けじめをつけるためにここに来た筈だった。
ここにいたい。ここにいれば、優しく楽しい思い出がまだ残っている。これほど鮮明に残っている。
この五年はまるで秒速五センチメートルで過ぎ去り、停滞は許されず、身体だけは一丁前になっても心は未だにここに残っていた。掌には彼女の温もりが、腕には初めてその手に抱いた時の柔らかさが、体中が彼女の痕跡を覚えていると言うのに、世界は彼女がいなくとも回っていく。
彼女とすごした夏は遠い夢の中での出来事の様で、人の一生とは打ち上げ花火の様に斯くも儚い物なのかと無理矢理実感させられる。
子供みたいに金魚すくいにはしゃぐ姿が、綿菓子を幸せそうについばむ姿とかが、ほんの数百円で買える小さな幸せはこちらまで幸せにしてくれて、あの幸せごとこの狭くて広い境内は残してくれている。
このままここで腐っていきたい。だがそうしてはいられなかった。日毎に薄れゆく彼女の手の感触は如何ともしがたく、賽銭箱の前に座りながら、俺は五年前を思い出していた。
思い出したくもないのに、五年前のあの光景がフラッシュバックする。夏祭りからの帰り道、軽トラックに轢き逃げされて、首と頭以外の全身の骨が折れて喋れない筈の彼女が、必死で喋っていたあの瞬間を――
『私が死んでも立ち止まらないでね』
思い出すと同時、不意に花火の打ち上がる音が聞こえた。
バンッという重低音が腹の奥を揺さぶり、それはいつか彼女と見た花火の様で、俺は神社の裏手の公園に走った。
果たして人の気配の希薄な神社の裏には子供たちが数人、打ち上げ花火を持ち寄って屯して、何個も何個も、バンバンと煩く花火を打ち上げまくっていた。けれどその火の花はあの時に彼女と見たのと同じくらいに美しかった。
「ゲッ――」
「――撃ってけ」
だから俺の存在に気が着いて逃げ始める子供たちを呼びとめた。促した。撃ち続けてくれ。けじめをつけさせてくれと。
「俺は何もいわねぇ。持ち寄った分撃ち尽くしちまえ」
「――うるさくいわねぇのか?」
「いわねぇから、とっとと撃ち切っちまえ。他の大人が来ても知らねぇぞ」
そそくさと打ち上げの準備を始める子供たちをしり目に、俺は神社の麓にあるコンビニで手持ち花火のセットを購入してくると、ボンボンと打ち上げ花火を打ちあげているのを確認して石段を駆け上った。
何だか、子供たちのあの元気さを見ているとまるで彼女と居た時を思い出させられて、だから警察のお世話になっても神主に叱られてもいいから楽しみたかった。
何より、五年前のあの幸せと楽しさをもう一度、味わいたかった。いや、本当の意味でけじめをつける覚悟が出来た。だから、ささやかながらもこれで手打ちにして、五年前から見えなかった明日に進みたくなった。
「手持ち花火買ってきた。一緒にやらないか」
「打ち上げ花火が終わってからな」
「はいはい」
打ち上げられては空に消えて行く打ち上げ花火は、あの五年前は遠い夢の中の出来事だと教えてくるかのようで、彼女がいたあの五年前はもう戻って来ないのだと教えてくれた。
打ち上げ花火の音が何度も心を打つ。不用意に心を打たれる度に、彼女がこんな五年間なんて望んでいなかった事を思い出させてくれて、不思議そうに俺の顔を覗き込んでくる子供に手持ち花火を持たせると、子供達と一緒に子供の頃に帰ったかのように手持ち花火で遊ぶ。
――そうか、そういうことだったのか。
最後の一本に点火した所で見慣れた紺色の制服が見えた。
人生の楽しみ方ってのはこんなに簡単で、ほんの少しお金を使えば、こんなにも大人数で幸せになれるのかって――
「おどれらぁ!こないなところで何やっとるか!近所迷惑じゃ、其処で待っとルェィ!」
「げぇッ、ポリ公だ!逃げろ!」
後ろから子供達の「ずりぃぞ兄ちゃん!」って声が聞こえた気がしたが、気にせずに逃げる。しばらくすると子供たちの走る音も聞こえて来て――高校時代に人様の家に打ち上げ花火ぶち込んで補導喰らったのを想いだしていた。
あの時は楽しかった。いや、楽しもうと思う思わないに限らず、向こうから楽しい何かがやって来ていたように感じられた。だが違かったんだ。
人生は、楽しもうと思わない限りは楽しめない。楽しむために努力しない限り楽しめない。
「ウルァァァァァ!待ちやがれやコノヤルォォォ!いてもうたろかぁ!」
「お前ポリ公だろうが!ヤクザかよ!」
実家がやばい系列の職業の癖に国家権力の使者になった暗●寺刑事かよ!
捕まったら絶対にヤバイ。何で警察の格好しているヤクザに追われなければならんのか。運が悪いと思いながらも、昔を思い出して俺の顔は何故だかニヤけていた。
彼女は乗り越えてくれと言った。なら乗り越えなくてはならない。ならば彼女との別れも受け入れて前に進まなければならない。彼女との約束だ。立ち止まらないでくれと言われて、だから俺は立ち止まってはいけないのだから――
凄く気分が高揚して、凄く気分が楽になった。立ち止まっていたのが馬鹿らしくて、立ち止まらない為に、俺はわき腹が痛むのを堪えて全力で走り続けた。
いつの間にか極道警察の影は遥か後ろで、悔しそうに彼は何か叫んでいた。
「ゼェッ、ゼェッ!――おどれらの顔は覚えたからなぁ!これから大手を振って街中歩けると思うなやこの餓鬼ども!大自然に帰したるからなぁ!」
「だから怖えぇっつうの!」
最後のひと踏ん張り、あの極道警察を巻くために路地を曲ったら――
『随分と良い夢を見れた様だなぁ――さぁ、お前の母君が家で待っている。会いに行ってやってはどうかね?もう警察も、追いかけてはおらんのだからな』
気が付くと、俺は路地のど真ん中に立っていて、そこは彼女が事故にあった場所だった。けれど後ろからあのヤクザみたいな警察が追いかけて来て無くて、そもそも先ほどのあれが夢の様な、酷く現実味のない物だったかのようで――
「あれ?俺確か子供達と一緒に極道刑事に追われていた様な――まぁ、良いか」
それより、俺は速く家に帰って、母親に何かを伝えなければいけない様な、そんな気がしていた。
あまり痛まない脇腹を不思議に思いつつ玄関を開けて、台所で洗い物をしながら『おかえり』と言ってくれる母に一言――
「――母さん。俺、働くよ」
「――っ!――――――そう。じゃあ、明日はお墓参りに行かないとね」
■
様々な機器に繋がれた椅子とヘッドマウントディスプレイの置かれただだっ広い部屋を眺められる場所、多数の陸自の士官がキーボードを叩く音を聞きながら、三人の男だけがその部屋を見ていた。
そのうち一人は、旧大日本帝国陸軍憲兵の制服を着用しており、その上から古めかしいオーバーコートを羽織っていた。
「素晴らしい成果だな、甘粕二等陸佐」
「本人のトラウマとなっている記憶を利用して本人に対応させたVirtual Realityを体験させる。ある程度こちらで認識を操作すれば、後は自発的に更生する。簡単な仕事さ」
「ニート殲滅作戦、いや就労困難者救済作戦――これなら文句も言われまいよ。人の死なない殲滅作戦、成就してくれよ?」
「もちろんだとも、石原 莞爾陸上幕僚長殿」
丸眼鏡をかけた男、石原莞爾陸上幕僚長に、甘粕と呼ばれた旧軍の軍服を着用する男は胸を張って偉そうに答えた。だが誰も止めないし、陸将もそれで良いのだと言わんばかりに頷いている。
この男の気質は皆が知る所であり、知己であろう二人もまた甘粕のこれを止めても無駄であることを、そしてこの男の行動力を熟知しているからこそあえて自由にさせている。
その結果として、ほぼ最良の形で計画は実行段階にまで移され、ほぼ最良の結果を数値上も精神上でも表している。ならばそれで良いのだ。結果さえ出せるのなら。
そしてこの男、板垣征四郎陸将もまた、知己であり友人であり参謀である石原がそれをよしとするなら実行役である自分はあえて何も言わない。であるなら計画の仔細を聞いてどのように実行に移すかに注力すべきだと、そう考えていた。
故に思想などは無かったが、働く人間の総人口が増えれば自衛隊もまた潤うと言う事だけは理解していた。
「ふっ、これで税収もどうにかなりそうだ――では甘粕二佐、約束通り君にこの作戦の全権を委任しよう。その画期的な方法で、多くの就労困難者を更生させてくれたまえ」
「了解しているとも、板垣征四郎陸将殿。まぁ任せてくれたまえよ」
連れだって出て行く二人を見送りながら甘粕は、口元を笑みに歪め、二人が出て行ったのを確認すると耐えきれないと言う風に不敵な笑い声を上げた。
あぁ、やってやるとも。結果だって出してやるとも。なぜならお前達は俺の思想に最も近くもっともそれを実現しやすい場を設けてくれたのだからもちろん結果だろうと数値だろうと出してやるとも。
そして俺は、俺は魔王として君臨したい!Not in Education, Employment or Training 通称NEET達が働けないと言うなら、尻を蹴り顔を殴ってでも立ち直らせよう。
『何も出来ない自分の日常が退屈でつまらない――ならば壊れてくれ』などと世迷言を抜かしパソコンに齧りつかせなどしない。人の生きるために努力する姿、愛する他者を守るために恐怖を振りきる勇気、そういう人間の輝かしさを愛している。故にお前たちもそれを愛せ。
それを示す場所が無い?
それを見せる他人がいない?
立ち向かうべき敵がいない?
おいおい何を勘違いしているか馬鹿ものども。敵ならいるではないか?示す場所ならあるではないか?魅せるべき他人だっているではないか?
場所が無い場面が無い敵がいないと言うなら作ってやろう、故に立ち向かえよ。殴られるなら殴り返せ。
だから、俺にお前達の戦う姿を見せてくれ――
「諸君、先ほどの陸将殿、幕僚長殿の言葉を聞いていたな――これを以て|就労困難者救済措置演習を終了し、ニート殲滅作戦を開始する。題して――」
愉快気に、男は笑みを浮かべながら宣言する。
終わりが始まるのだ。始まりが今始まるのだ。この瞬間を狂気と歓喜と喝采とを以て祝福しようではないか。
黄昏のあとには曙が待っている。そう、曙に至る物語が、今始まのだから、作戦名は“こう”でなくてはいけない。
悪魔の様に口を割きながら、彼は鼻息荒く宣言する。始まりが始まり、終わりが始まるのだと。
「題して、曙の明星作戦、開始!」
他の士官も、その言葉ににやりと不敵に笑って返して、エンターキーを一斉に押した。
日本全国が、いや世界中の全てが、VRに包まれる。老いも若いも関係なく、男も女もオカマも関係なく、超巨大量子コンピュータであり、超巨大物理的ニューロネットワーク“アマテラス”の内部へと――終わりの始まりであり、新たな人類史の始まりだ。
さぁ、場所は用意した。魅せるべき他人も用意した。立ち向かうべき敵も用意した。お前達の望む非日常とそれを扱える力も用意した。故に、立ち向かってくれよ。
「さぁニート共!我が楽園にようこそ!……歓迎するよ――歓迎するから、お前達の輝きを、俺に見せてくれ!」
そう、諦めなければ夢はきっと叶う。
諦めなければどんな不条理であろうと跳ね返せる。
諦めなければどんな逆境にも打ち勝てる。
そう――俺はそう信じているから、お前たちも諦めないでくれよ。
諦めずに立ち向かえ、殴られるなら殴り返せ、罵倒されるなら組伏せろ、対岸からでしか吠えられない無知蒙昧など切り捨てろ。それがお前たちが学ぶべき真実だ。
俺はお前たちを愛している、愛するが故に魔王として君臨する。嫌だと思うなら立ち上がれ、嫌だと思うなら噛みつけ、嫌だと思うなら諦めるな。法が縛るなら法に従い言い逃れなどさせるな、法が否だというなら最後までくらいつけ――それが通じぬなら最後まで容赦をするな。
さぁ、英雄譚を始めよう。
「さて、俺もそろそろVRに入るとしよう――――待っていたまえよ――」
あの警官は十傑衆走り出来ませんが、多分甘粕さんとか板垣さんの辺りは十傑衆走り出来るかもです。そしてこの話の後に軍人モノ2D格闘ゲームが始まる――かも。
蝶・問題作1作目
ペシミズムを乗り越えるための魔弾
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