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この世界からの卒業7

7.


 リリとマヤを見送ったエルとソラは、改めて子午線ラインと壁の位置関係を詳しく調べていた。


 オレンジ色の太い線で引かれ、それに添って「東経一三五度子午線」と書かれたラインは、駐車場と歩道の境目から始まり、郵便局の建物に突き当たって終わっている。二人はその両端で壁との距離を測ってみた。

 もっともメジャーがなく、手を使うしかないので、かなりいい加減ではあるが、結果、どちらもソラの手ふたつ分、約三五センチ離れていることがわかった。

 つまり、二つの場所での距離が同じらしいので、壁と子午線は平行に走っていることになる。


「中も見とこう」


 ソラがエルを促し、人をかき分けて郵便局に入ると、そこも大変な騒ぎになっていた。


 駐車場ではオレンジの子午線ラインは、なぜか建物の中では赤色になって、まっすぐ受付のカウンターまで続いている。

 その先は局員の働くスペースだ。したがって子午線のわずか三五センチ東側を通っている壁は、局員たちをほぼ二分することになる。東側にいる局員と西側にいる局員は書類を渡すことも、会話を交わすこともできず、仕事は完全にストップしていた。

 郵便貯金の手続きの客も、記念のスタンプを押してもらおうとする観光客も、自分の目的の窓口が壁の反対側にあるとどうにもならない。諦めて去って行く人も多いが、それでもまだ未練がましく十人ほどがカウンターに押しかけ、局員にいらいらと怒鳴っていた。

 局員たちも互いに壁越しに喚いていたり、どこにかけているのか電話にしがみついていたり、パソコンに向かって狂ったようにマウスを操っていたりする。

 だが、誰もどうしようもない。


 小柄なソラは、カウンターの前まで人の隙間を縫って割り込むと、素早く子午線と壁の距離を測った。

 やはり、手ふたつ分だ。


 だが、ちょっと違和感があった。

 いままでは壁に触れても、押し返される感触だけで、目には何も見えないままだったのに、いま、押した弾みで壁が光ったような気がしたのだ。


 ソラはもう一度、壁を押してみた。


 すると、壁に触れた部分が、手の形に金色に光ったのだ。


 光は一瞬で消えた。


 ソラは壁に目を近づけて、もう一度押した。


 また、金色に光る。その一瞬の輝きを、目を凝らして見ていると、はっきりと自分の手の形そのままなのがわかる。掌の手相や指の指紋まで見えた気がした。


 壁を叩いている局員や客は、しかしそのことには気がついていないようだ。そこまで気が回らないのだろう。


 なぜかはわからないが、ものすごくいやな予感がした。何か壁に変化が起きている。そしてはそれは、極めてよくないことに感じられた。

 

 そこへ、エルが遅れてたどり着いた。背の高い彼は、強引に人をかき分けてきたので、時間がかかったのだ。ふう、と額の汗を拭いながら、「やっぱ、平行か?」と訊いた。


「そうだね」ソラは頷いたが、壁が金色に光った件は口にしなかった。「リリとマヤが駅のホームでも平行だと確認してくれたら、まず間違いない。壁は、子午線上にあるんだ。ただし、東経一三五度より、わずかに東にずれている」


「ってことは……どないなる?」


「まだわからないよ」


 ソラがあっさり肩をすくめたので、エルはずっこけた。「なんや、考えがあるんとちゃうんか?」


「いまはまだ情報収集の段階だよ。ただ、この壁の位置は重要な情報じゃないかって気がするんだ」ソラは言いながら、また郵便局の入口に戻る。「いいか、一口に子午線って言っても、実際には三種類あるんだ。ひとつは日本が地上を測量して割り出した日本測地の子午線。もうひとつはGPSが普及して以来、緯度と経度を国際的に統一しようってことで決められた世界測地の子午線。それから、地上の測量じゃなくて、精密な天体観測の結果から割り出した天文子午線だ」


「さすが、京大理学部現役合格!」


 文系のエルにとって、理系はそれだけで偉大な存在だ。


「この」ソラは足元の赤いラインを指した。「東経一三五度線は、天文子午線なんだ。けど、日本の地図で調べると、子午線郵便局は、実は東経一三五度線より三百メートル以上東にある。それは地図の子午線が、日本測地の子午線だからなんだ。世界測地の子午線からでも、百メートル以上東になる。そう考えると、三五センチずれてるとはいえ、壁は天文子午線に一番近い」


「うん……だから?」


「わかんないかな」ソラは少し青ざめた顔でエルを見た。「この壁の正体には、三つの可能性がある。ひとつは、自然現象の可能性。もうひとつは、人工物――人間がつくった可能性。そして三つ目は、人間以外がつくった可能性だ。子午線は人間が地球上に勝手に引いた線だから、それに添ってるってことは、自然現象じゃない感じがするだろ。でも、人工物かっていうと、こんなものをつくることが可能かってことはおいといても、これだけ進んだ技術を持っていたら、天文子午線には依拠しないと思うんだ。いまや国際的には、世界測地系を使うのが一般的だからね。だとすると、壁はここから西へ百メートル以上離れたところにできたはずだ」


「つうことは、第三の、それ以外、ってことか」


「しかも、天文子午線に添っているってのが気になる。要は宇宙から見た子午線ってことだよ」


「おいおい、まさか宇宙人の侵略とか言い出すんちゃうやろな」エルは冗談めかして言った。「SF映画か、こら」


「さあね」ソラはエルの突っ込みには敢えて乗らず、郵便局の外へ先に出ると、駐車場で自分の名前と同じ空を見上げた。まるでそこに、見えない宇宙船でもいるかのように。


 その背中を、エルがいきなり突き飛ばした。


「危ない!」


 ソラは駐車場に転がった。コンクリートで膝を打った。「何するんだ」と文句を言いかけたその口が、驚きと恐怖で丸く開いた。


 郵便局の壁に、縦の亀裂が入っていた。子午線ラインの三五センチ東の辺り。つまりは壁の辺りに、垂直の鮮やかな直線が走り、それが自分自身の重みに耐え兼ねるように、徐々にずれていく。


「逃げろ!」


 エルに引きずられるようにして、ソラは国道に向かって走った。その目の前でも、郵便局の真向かいにあるビルが、ふたつに割れようとしていた。

 すさまじい音と共に、壁にぶった斬られた建物が次々と崩れていく。ビル、木造住宅、鉄筋のアパート……まるで巨人がドミノ倒しをしているみたいだ。


「どないなってんねん!」


 エルが叫ぶ。しかし、その声も郵便局から逃げてきた人々の悲鳴にかき消される。東側にいた人間は東側に、西側にいた人間は西側に。客も局員も団子になって、一斉に建物から飛び出してくる。


「見ろ、エル!」


 ソラが指をさしたのは、山陽電鉄本線の人丸前駅だった。高架上の駅のホームと思しき辺りも、すぱっと縦に亀裂が入り、徐々に崩れているではないか。


「リリとマヤが!」


 二人は慌てて、電チャリに飛び乗った。



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