この世界からの卒業 5
5.
ここ数年で、電動自転車はすさまじい勢いで進化し、あっと言う間に原動機付自転車、いわゆる原チャリ並みのスピードを手に入れた。
同時に電動自転車の暴走による事故が社会問題になると、世の中の批判も厳しくなって、ついには道交法が改正。メーカーも、極端に速くは走れない仕様でしか発売できなくなった。
とはいえ、まだ免許が取れないティーンエイジャーたちの、スピードへの欲望はそう簡単に抑えられはしない。
結局、市販の電動自転車を改造し、高速チューンする、改造電チャリが爆発的に流行ることになった。
腕のいいやつになると、五〇キロくらい出せるようなる。
そしてソラは、エルと違って、そうしたメカいじりの天才だった。
「ひゃっほー!」
緊急事態だと言い訳しながら、エルもソラも改造電チャリを遠慮なくぶっ飛ばした。
市民会館と水産会館の間の細い路地を抜けると、すぐに国道二八号線に出る。そこで一旦、ソラは停まった。エルもその脇にぴたりとつける。
「なあ、郵便局って……」
「北だよ。北に行かないといけないんだけど……」
国道二八号線を右に曲がれば、すぐに中崎公会堂前の交差点がある、それを左折すれば、北へ向かえるのだが、しかし……
「やっぱりな……」
一瞥しただけで、ソラは肩をすくめた。
交差点の手前で、三台の車が大破している。つまり、交差点は、見えない壁の向こうにあるということだ。
「こいつで全力疾走したら、突破できっかな?」
愛用の電チャリのハンドルを叩きながら、そう言ってみたものの、もちろんエルだってダメなのはわかりきっている。なにしろ、自動車が突っ込んでも、びくともしない壁なのだ。
こっちに尻を向けて止まっているのは、近所の工務店の名前が書かれた軽トラだ。反対車線には、向こうから走ってきたワンボックスカーと軽自動車の二台。どちらもフロントが無残に潰れているのが見える。
エルもソラもぞっとした。
さらに、その奥には立ち往生した車が数台、列をなしている。
通行人も数人、壁に行く手を遮られて騒いでいた。近隣の住宅からも、事故の音に驚いた住民が飛び出してきている。何人かは携帯を手にしているから、警察や救急にはとっくに連絡が行っているだろう。
エルとソラは、交差点から逆方向に電チャリを漕ぎ出した。
間もなく、小さな陸橋に差し掛かる。ここから下の道に飛び降りられれば早いのだが、残念ながらそれは無理だ。二人はそのままさらに西へ走った。
「ソラ、さっき学校出る時にしたデカい爆発はなんや?」
先を行く相棒の後ろ姿に、エルは問いかける。
「多分、ガスだ」
ソラは振り返って答える。
「ガス?」
とエルが訊き返した時、それが正解だと教えるように、またもや大きな爆発音が右手の方でした。
近い。
見上げるような黒煙が見る見る天に昇って行く。
近隣の住宅に、火がついた。木造家屋が燃え上がって行く。
「電線が壁で切られてたろ? でも、ライフラインは他にもある」
ソラに言われて、エルもようやく気がついた。
道路の下にはガス管が張り巡らされているのだ。それが壁に遮られ、中のガスが流れをせき止められて膨張。限界に達して外に漏れ、何かの原因で引火すれば大爆発になる道理だ。
「待て待て、ってことは、この壁、地下まで伸びてるってことやんか!」
「そうなるね」ソラは冷静に言った。「その内ガス会社が気がついて、ガスを停めるだろうけど、それまではまだ爆発があるだろう……あれ?」
そう言いながら、ソラはまた何か思いついたらしく、素っ頓狂な声を上げた。
「電気、ガス、後もうひとつライフラインがあった!」
エルははっとした。「そうや、水道や!」
途端に水柱が、どーん!
と上がるかと思ったが、そうはならなかった。
どういう訳か、水道管だけは地下で無事なようだ。
何か不気味なものを感じて、エルはぶるっと身震いした。
疾走する二台の電チャリは中崎一丁目の交差点に着き、やっと進路を北に変えることが出来た。
ソラは細い裏道を選びながら、時折右折と左折を繰り返し、徐々に東側にコースを寄せて行く。つまり、壁に近づいているのだ。
再び、広い通りに出た。国道二号線である。
これまでとは打って変わって、ここは人と車が溢れ、大混乱に陥っていた。誰も何が起こっているのかわからず、右往左往している。サイレンを鳴らして、パトカーや消防車が通り過ぎるが、これだけあちこちで電線が切れ、ガス管が爆発し、車が事故って、挙句、水道管まで破裂したら、どこに行けばいいのかわからないだろう。
そんなことを考えていると、ソラの電チャリのスピードが落ちた。
目的地に近づいたのだ。
「そっか、ひょっとして郵便局って……」
エルはおぼろげながらソラの意図がわかってきた。
ソラはにやっと笑って、「明石は、なんで有名なんだい、エル?」
「タコやろ」
エルはわざと外れた答を言った。ソラは、けっと鼻で笑った。
「嘘や。子午線や。明石市は子午線の街で有名なんや」
その通りだ。子午線というのは北極と南極を結ぶ線だ。つまり、経度を示す線だから、これは地球上に無数にある。しかし、その中でも明石市を縦断する東経一三五度の子午線は、特別だ。この線を基準に、日本の標準時が定められているからだ。
明石市は観光のために、この東経一三五度線を売り物にしている。
その一環として、街のあちこちに、子午線を示す標識やラインがある。
子午線が通っている施設にも、標識やラインがある。
例えば、山陽電鉄本線人丸駅のすぐ傍にある、明石子午線郵便局も、そうだ。
「子午線郵便局に行くんやな!」
「ピンポーン!」
郵便局の駐車場と、局舎の床には、建物のほぼ中央を通る子午線を示すラインが引かれている。だからその名を、子午線郵便局というのだ。
「ってことは、あの壁は……」
「うん、子午線に沿ってるんじゃないかと思うんだ」
子午線上に、突如現れた見えない壁。つまり、日本は西経一三五度を境に、二分されたということなのか。
これは、それほどスケールのでかい事件なのか。
エルは信じられない思いだったが、だからこそ自分の目で確かめるために、ソラは郵便局に向かっているのだ。
子午線郵便局は、この国道二号線に面している。もう左手に見えている。
その前に、ひと際大きな人だかりができていた。車も、五、六台、大破していた。案の定だ。やっぱりここに壁がある!
だが、予期せぬ事態が二人を待ち構えていた。