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この世界からの卒業 3

           3.


 廊下に飛び出したエルは、緊張した面持ちで左右を見た。


 他の教室にも誰かいるはずだが、まだこの異変に気がついていないのか、廊下はひと気がなく、静かだった。

 ということは、見えない壁に分断されたのは3Cの教室だけで、他のクラスでは何の異変も起こっていない、ということだろう。


 エルは廊下に並ぶ窓のひとつに向かった。その向こうには、明石市の街並みが広がっている。その様子を見るために、廊下へ出て来たのだ。

 校庭や海が壁で分断されているのなら、街はどうなっているのか。


 だが、その足を止めるように、どん!という爆発音が轟いた。


「うわ」と思わず身を伏せると、ほぼ同時に、バチッというような鋭い音がすぐ近くでして、何かが落ちる衝撃音が続いた。

 そして、また別の方角から、どん!という爆発音。


 まるで、明石市が絨毯爆撃でもされているかのようだ。


「なんだ! テロか? 戦争か?」


 わめきながら隣の3Dから飛び出してきたのは、小柄な男子生徒。ツンツン尖らせた前髪を振りながら、エルを見つけると、爆発音の元凶が彼であるかのように詰め寄った。


「なんだなんだどうしたってんだ」


「外を見ろ、ソラ」


 同じ軽音で、三年間一緒に組んで音楽をやってきた相棒に答えながら、エルは開け放たれている窓から外を見て、あっと叫んだ。

 それにならったソラも、「ええっ!」と悲鳴を上げた。


 三年生の教室は校舎の三階にある。そこから見下ろす学校の前の通りで、いま、一台のセダンが炎を噴き上げている。


 そよとも風のない日だった。柔らかい陽ざしもすっかり春めいている。だが、彼らの目に飛び込んできた光景は、とてもそんな穏やかなものではなかった。


 通りを挟んだ向かいは、市民会館と水産会館だ。多分、市民会館の方から、そのセダンは東に向かって走ってきたのだろう。そして、何も知らずにあの見えない壁と激突し、大破したのだ。最初の爆発音はその時のものに違いない。


 目を少し上に転じると、ちょうど目の前辺りに架かっていた電線が、少し右手の方でぶった切られていた。太い電線が切り口から火花を散らしながら道路に落下して、蛇のようにのたくっている。バチッという鋭い音は、恐らくこの電線が切れた音で、道路に落ちてまた衝撃音を発したのだ。

 たまたま通りかかった主婦が、暴れる電線を避けようとしている。だが、エルたちが見ている前で、彼女は電線に打たれて昏倒した。


 さらに、市民会館と水産会館の向こうを東西に走っている国道二八号線でも、黒々とした煙が上がっている。それがふたつめの爆発音だろうか。同じように車が燃えているのかどうかは、ここからではわからなかった。


「やっぱ、こっちにも壁が……」


 エルの呟きを、ソラは聞き咎めた。「なに、壁って?」


 その時、教室の前方のドアから、リリや委員長たちがどっと飛び出してきた。しかし、その足音も、口々に言っている言葉も、一切聴こえない。

 エルたちの背後でも、同じように3Dの教室から、ざわめきながら飛び出してくる十人前後の生徒の声や足音がした。こっちの音は確かに聴こえる。


 だが、ソラはまだ、リリたちの声が聴こえないことには気がついていないらしく、「おお、リリ!」と軽く手を挙げて挨拶している。

 もちろんリリには聴こえていない。不安に押し潰されそうな表情で、エルをすがるように見ている。


 そんな彼女の前辺りを示して、エルはソラに言った。


「この辺、思いっきり殴ってみ」


「へ?」


 面食らったソラは首を傾げたが、素直に言われるがままリリの前に立ち、それでも力いっぱいではなく、相当手加減してパンチを放った。

 それはリリを気遣ってのことだったが、結果的にはソラを救った。もし、エルが言った通り、力任せに殴っていたら、同じ力で後ろに吹っ飛ばされていただろう。しかし、そっと打っただけだったので、ソラのパンチはやんわりと壁に跳ね返された。


「え?」


 エル自身や委員長やリリやマヤが通ってきた過程を、ソラも繰り返した。少しずつ力を込めて、壁を何度も打ってみる。そこに、目には見えないのに、とても頑丈な何かが存在していることを、少しずつ納得していく。

 そして、最後にソラは言った。「おい、なんか、あるぞ!」


 エルは窓の外を指差した。「しかもこいつは、学校の外にも続いとる。校庭も、それどころか海も、ふたつにぶった切られて、大騒ぎになってるんや。それで街はどうかと思って見にきたら、やっぱ見えない壁にぶつかって、車がぶっ壊れたり、電線が切れたりしとる」


 また、どん!という爆発音がした。どこかでまた、車が壁にぶつかったのか。そしてバチッという音が、いくつも重なって起きた。電線があちらこちらで切れているのだろう。


「壁……」


 ソラは信じられないように、その見えない壁を掌で撫でた。


「おまけにこいつ、音を通さんらしい。向こう側にいるリリには、オレらの声が聴こえとらんし、こっちもリリたちの声が聴こえん」


「ほんとかよ」


 ソラは見えない壁に耳をつけた。マヤがそれを見て、大きな口を開け、ソラの耳に向かって何か叫んだ。しかし、何も聴こえない。ソラは首を振って壁から離れた。


「そしたら、携帯は? それも通じないのか?」


「あ、携帯か!」


 うっかりしていた。エルは慌ててスマホを取り出し、素早くリリの番号を呼び出してみた。

 しかし、最新のスマホといえども、リリのスマホには通じなかった。

 いや、機種は関係ない。ネットワークの問題だ。もしかすると単に、この突然の奇妙な出来事で、明石市の至る所で人が電話しているから、混み合っているせいなのかもしれない……


「ダメか」ソラはエルの様子を見ると、自分のスマホを出して操作した。するとエルのスマホが鳴った。


「こっちはちゃんと通じるな」ソラはすぐに電話を切って、肩をすくめた。「どうやら混んでるせいで繋がりにくいってわけじゃなさそうだ」


「じゃ、この見えない壁のせいってことか。こいつは電波も通さんちゅうことなんか」


「音だって音波だ。音波を通さないなら、電波だって……」


「なんだと、見えない壁だと?」


 ソラの言葉を遮ったのは、3Dから出てきた生徒たちの一人だった。ソラの横にずんずんと進んで、見えない壁に触ってみる。身長が二メートル近い巨漢で、横幅もでかい。望洋高に相撲部があれば、間違いなく主将だったはずだが、残念ながらそうしたクラブはなく、アメフト部からの執拗な誘いを断って、なぜかテニス部に入った。しかし入ってみてわかったのだが、体に似合わぬ敏捷さで、なかなかのプレーヤーだった。

 用意よく右手にラケット、左手にテニスボールを持っている。得意の強烈スマッシュを壁に食らわせてやろうと考えているのは見え見えだった。


 エルはその背中を叩いた。

「ムダやで、ダン。さっき校庭でアメフト部が五人がかりでタックルかまして、あっさり弾き飛ばされてたんや」


 しかし、ダンは耳を貸さずに、ソラを後ろに下がらせると、サーブの構えを取った。


「野球部のエースも歯が立たんかったや、いくらお前かて……」


 言いつのるエルを尻目に、ダンは優雅にボールを投げ上げ、愛用のラケットをぐっと後ろに引いた。

 バシッ! バシッ!

 ほぼ同じ音が、立て続けに廊下に響いた。


 十分に勢いが乗ったラケットに叩かれたボールは弾丸のように壁を襲ったが、案の定同じ勢いで弾き返され、ダンの顔面をしたたか叩いたのだ。


「ぐふ」


 ダンは呻いてひっくり返った。


「言わんこっちゃない」


 エルはため息をついた。


「この壁、海にまで続いてるって言ってたな」


 ソラが、3Cの教室の方を眺めながら言った。そして、首を反対に向けて街の方を見た。


「それで、街にも同じように続いてるって」


 ソラはまた、窓に近づいた。エルも並んで街を見る。

 市民会館と水産会館、国道二八号線、その向こうは住宅街になり、さらにその先には国道2号線、そして山陽電鉄本線の高架が東西に走っている。


 壁はまっすぐ、どこまでも続いているようだ。その延長線上に、いくつも煙が上がっているから、間違いない。壁に遮られた電線も、あちこちで切断されて火花を散らしているだろう。


「あーっ!」


 何かに気がついたように、いきなりソラが叫んだ。そしてエルに「行くぞ!」と声をかけると、廊下の西の端の階段に向かって走りだした。


「ど、どこへ?」


「郵便局!」


 ソラが怒鳴った。


「はあ? こんな時に手紙出すんかいっ」


 エルが怒鳴り返したその時、これまでの爆発音より一回り大きな、ドカーン!という音がして、校舎を微かに揺るがした。


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