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第1章 この世界からの卒業 1

              1.


 911のテロとか、311の大震災とか。


 大きな事件が起きた後には、「あの時、どこにいた?」というのが、話題になる。

 世界貿易センタービルが倒れるのを、どこで見てた?

 電車が全部止まったあの夜、どこにいて、どうやって家に帰った?


 じゃあ、309は、どう?

 あの3月9日。

 世界が引き裂かれたその時。


 どこにいた?


 紀伊崎エルは、兵庫県明石市中崎の海辺に建つ、明石望洋高校3年C組の教室にいた。


 それも、教室の後ろ側に。


 なぜ、あの時、教室の教壇側にいなかったのか。

 彼はこの後、ずっと悔み続けることになる。たったそれだけで、大切な人たちと、引き裂かれてしまう羽目になったからだ。


 教壇側にいたのは、クラスの、多分半数くらいに当たる、十数人。その中には、エルの彼女であるリリもいた。みんなは、「祝・卒業! WE WERE 3C!」と書いた黒板を背にしてポーズを決めていた。


 そうだ。3月9日は、明石望洋高校の卒業式。エルたちの卒業する日だった。


 そして、式が終わって、最後に教室をひと目見て名残を惜しもうと思ったエルが、リリと一緒に来てみると、他にも三々五々集まってきて、誰言うともなく「写真、撮ろうぜ」ということになり、「そういやエル、お前、新しいスマホ持ってたな。最新機種の高画質で撮ってくれや」と委員長が言い出し、エルは気軽に「ああ」と頷き、一人、教室の後ろ側に立ったのだった。


 卒業祝いに、母親が買ってくれた最新機種のスマホ。それを、つい自慢げにもてあそぶようにポケットから出し入れしていたのがまずかった。目ざとく見つけた委員長に、カメラマン役を仰せつかってしまった。

 でも、その時は、後でこんなことが起こるなんて夢にも思わなかったし、三年前に離婚してから女手ひとつで育ててきてくれた母親が、多少無理して買ってくれたお祝いだから、やっぱり自慢したい気になってもしょうがないだろう。


「おーし、んじゃ、撮るで! ワン・ツー・スリー!」


 シャッターを切ると、エルは素早く画像を拡大し、リリの映りをチェックした。教壇の左側にもたれるように立って、こっちを煙るまなざしで見ている美しい顔が鮮明に写っていた。

 エルは満足の微笑を浮かべた。リリさえちゃんと撮れていれば、他の連中が半目になってようが、人の陰に隠れて顔が見えてなかろうが、知ったことではない。

「OK! 撮れた!」

 エルはそう言いながら、教壇の方に向かって歩き出した。「ほんなら、今度オレ入れて、誰か撮ってくれや」


 正確に言うと、「誰か撮っ……」まで言った時、エルはいきなり後ろに吹っ飛ばされたので、最後まで言うことはできなかった。


「な☆!」


 予想もしない衝撃だったので、無防備だったエルは無様に尻もちをついた。

 みんなが笑った。

 リリだけが心配そうに見ている。

 だが、そこで、エルはもうひとつの異常に気づいた。


 声が、聴こえない。


 こっちを指差して笑ってるやつがいる。隣同志で小突き合って笑ってるやつがいる。

 リリの口が「どうしたの?」と動いている。


 だが、声が、全然、聴こえないのだ!


 何が起こったんだ?


 エルは、ぞっとした。

 一瞬、自分の耳が聴こえなくなったのかと思ったからだ。


 それは、軽音の部長であり、ギタリスト&シンガーであり、これから大学に行ったら音楽活動をがんがんやっていこうと思っているエルにとっては、致命的だ。


 しかし、そうではなかった。

 窓の外から、校庭で騒ぐ人の声が聴こえている。

 世界から、音が完全になくなったわけではない。


 エルは尻もちをついたまま、窓の方を見た。

 気持ちのいい、春の青空が広がっている。

 それから、また正面に顔を戻した。

 教壇を取り囲むクラスメイトたちが、笑うのを止めて妙な顔でこっちを見ている。


「おい!」


 エルは呼びかけてみた。


 だが、みんな反応しない。

 まるで、こっちの声が聴こえないかのようだ。


 委員長が、恐る恐る、エルの方に近づいてきた。机と机の間を、ゆっくり掻き分けるようにして、歩いてくる。


 エルは立ち上がった。そして同じように委員長に向かって歩いて行った。

 二人は教室の中ほどで出会うはずだった。

 しかし……


「え?」


 エルは立ち止った。前に踏み出そうとした右足が、不意に弾き返されたのだ。


 目を凝らしても、そこには何もない。ただの空間だ。なのに、まるでそこに見えない壁でもあるかのように、エルの右足は弾き返された。


 今度は右手をゆっくり突き出してみる。

 それもまた、やんわりと跳ね返された。


 ぽよん、という感じだ。


 次は、少し強く突き出した。

 すると、同じだけ強い力で、ぱんっ、と弾かれる。


「なんや、これ?」


 委員長も、大体似たようなことをしている。足で蹴ってみて、手で突いてみて、その都度押し返されている。その口も、やはり同じように、なんや、これ、というように動いた。


 他の連中も口々に何か言いながら、寄ってきた。でも、声は相変わらず聴こえないから、下手くそなパントマイムでも見ているようだ。

 リリも駆け寄ってきた。委員長を押しのけるようにして、エルの前に立つと、白くて細い指を差し伸べてきた。エルはとっさにその手を取ろうと、自分の腕を伸ばした。

 二人の指と指は、しかし絡まり合う前に何かに突き当たって止まった。


 何の感触もない。リリの、体温の高い手のぬくもりも、まったく伝わってこなかった。


 リリの顔が、紙のように白くなっていた。



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