チヅルの偵察
最初の投稿から改稿しております。
「軽い変装」を消去し代わりここへ入れ込んでいます。変装前の騒ぎをなくしました。
「おいでチヅル」
空の旅は滞りなく進み、スズから降りたポルクスとコハクは、聖ルアノラ帝国の首都手前の街道にいる。
『はあい、はあい。呼んだ? 呼んだ?』
コハクが呼ばわると瞳の中の茶色い破片が質量を変え、無数の白い紙が現れる。紙はぱらぱらと無数の音を立てて、コハクへ囁いた。
「チヅルさん、お久しぶりです」
ポルクスが嬉しそうに手を振ってチヅルに挨拶する。チヅルも紙擦れの音でポルクスに応えた。
『ああ、久しぶり、久しぶり。元気そうね、そうね』
紙の妖魔であるチヅルの言葉は、人形を取らない限り普通の人間であるポルクスには通じない。本来妖魔の言葉が分かるのは、宿主や妖魔同士かミズホ国でも『珠玉』と『デンキ』のみだ。
チヅルの言葉は分からなくとも、金髪の青年は嬉しそうに紙へ笑いかけた。チヅルも満足そうに、ぱたぱたと草の上へ折り重なった。
草の上に落ちた場違いな書類のように、綺麗に重なってコハクの言葉を待っているチヅルへ命ずる。
「町の様子を見てきて。私たちが目立たずに入れそうな所を見付けて頂戴」
『はあい。はあい』
はらはらと宙に舞い上がった白紙は、何枚か集まって白い鳩となった。数羽の鳩が空へと飛び立っていく。
「あの、普通に入国しては駄目なんですか? ミズホ国と聖ルアノラ帝国で話は通してあるんでしょう?」
首を上に向けてチヅルを見送った後、ポルクスが聞いてきた。
「一応は、ね。けれど入国許可だけで、何の便宜も図られないわ。このまま町に入れば大騒ぎになるでしょうね」
コハクはなげやりに息を吐く。
ミズホ国と聖ルアノラ帝国には国交が殆どなく、今回『珠玉』が足を踏み入れることこそ許可を貰ったものの、協力は望めない。
「ナナガ国ではそんなに騒ぎになりませんでしたけど」
「それはナナガ国だからよ」
様々な人種が集う商業国ナナガ国では、どんな国の人間もそう目立たない。せいぜい胡乱な目で見られたり、あからさまに避けられる程度だ。
「聖ルアノラ帝国は宗教国家で、テンガという神を崇める一神教が大多数よ。その経典によると妖魔は悪魔なの。妖魔を使役するミズホ国の『珠玉』は悪魔の使者だと思われているのよ。下手をすれば暴動が起きるかもしれないわ」
逆に他人に無関心なマギリウヌ国では、全く騒がれなかった。稀に迎される国もあるが、大抵の国でコハクは嫌われる。しかし聖ルアノラ帝国はさらに特殊だ。
「国によって文化も思想も変わるんですね。僕はナナガ国から出たことがないので、分からないですけど」
コハクの説明に、ポルクスが困ったように眉を下げた。
「それでハヤミさんが、これを持っていけと言ってくれたんですね」
金髪の青年が眉尻を下げて、背負っていた荷物を指で示す。大きなリュックサックの中には、時前に調達していた聖ルアノラ帝国の衣服が入っている。ハヤミの助言で用意していたのだ。
「このままでは町に入ることも出来ませんし、とりあえず着替えましょうか」
「そうね」
黒髪黒目に黒い着物となると、目立つなというほうが難しいだろう。コハクは、ポルクスが背から下したリュックサックへと、手を伸ばした。
鳩の姿をとったチヅルは、空から聖ルアノラ帝国の首都キルカへ入る。町へ入った時、微かな違和感を感じた。一言で言えば、空気が変わったのだ。
『結界みたい。みたい』
自らの能力も結界であるチヅルはそう独りごちた。
チヅルの下には赤みのかかった屋根に、石造りで出来た家屋が美しく並んでいる。綺麗に整備された町並みながら、マギリウヌ国のように無機質ではない。
通りにはほどよい人の数で、それなりの活気と落ち着きが同居している。まだ自動車は普及しておらず、馬が人や荷物を運んでいた。
『なんだか可愛い町ね。町ね』
ごみごみしておらず、上から見る家々は玩具のように小ぢんまりとかわいらしい。通りの出店も派手すぎない程度にカラフルだった。
チヅルは紙の翼を羽ばたかせ、空を進んでいく。
特に目を引かれるのが、ほぼ均等な高さの家屋の中で、時折突き出た高さの建物だ。尖った屋根を中央に持ち、色とりどりの硝子がはまっている。白っぽい石壁に色鮮やかな硝子が模様を作る建物は、とても綺麗だった。
『あれが教会かしら、しら』
きっとそうに違いない。尖った屋根の建物は、町中へほぼ均等に存在していた。その中でも一際大きく美しい建物がある。
『そしてあれが神の宮殿? 宮殿?』
丁度町の中央に位置する巨大で荘厳な建物。これがテンガ教の総本山、キルカ・デ・ルーナ教会に違いない。
建物の前には広場があり、広場には大きな噴水が水飛沫を上げている。噴水の周りにはベンチが設けられ、人々が談笑していた。
尖った屋根は中央が一番高く、中央より低い尖塔が左右に三つずつあった。アーチ状の巨大な出入口が幾つもあり、窓には色つきの硝子が美しい模様を作っている。屋根の下の壁には精緻な彫刻が施され、建物を優美に見せていた。
チヅルは教会に近付き屋根に舞い降りようとする。ところが。
『っ! っ!』
嫌な予感がしたチヅルは数メートル手前で急旋回した。急いで離れて周囲をゆっくりと旋回する。
しばらく旋回して様子を見てから、チヅルはコハクの元へと戻っていった。
「なんだか足がすうすうするわね」
着替えが終わったコハクがそろそろと茂みから出てポルクスの前に立った。
ギャザーがたっぷりと寄せられたふんわりとした白のワンピースに、つばの広い帽子を被ったコハクは己の姿を確認しようと目線を下に向ける。ひざ下に広がるワンピースには白のレースもあしらわれていた。
念のためにヤクロウマルを呼び出し、ヤクロウマルの調合した薬で髪の色を抜いている。瞳だけはどうしようもないので、つばの広い帽子を目深に被ることで誤魔化すことにした。
聖ルアノラ帝国の衣服はミズホのものと違い着やすく動きやすいのだが、どうにも落ち着かない。どこかおかしいところはないだろうかと、コハクは体を捻って後ろを確認した。
「よく似合ってますよ。可愛いです」
変装したコハクを視界に入れたポルクスが、はにかんだ笑顔を浮かべた。ポルクスはシャツの上に紺のベストとズボン、この青年の容姿は元々西よりなので全く違和感がない。
「そうかしら」
ポルクスの似合っている、可愛いの言葉にコハクの頬が熱を持つ。なんだか気恥ずかしくなったコハクは帽子で顔を隠した。
「あ、チヅルさんたちが戻ってきましたよ」
帽子で隠したために気付くのが遅れたコハクの代わりにポルクスがのんびりとした声を上げる。
『ただいま。ただいま』
一度コハクの差し出した腕に止まってから、チヅルが鳩から四角い紙に戻って地面に重なる。これですべてのチヅルが帰ってきた。
『入れそうな所も見つけた、見つけた。あと、キルカ・デ・ルーナ教会も見てきた、見てきた。やな感じよ、感じよ』
ぱらぱらぱらぱらと、紙が震えて音を出す。この紙の一つ一つがすべて下級妖魔から出来ており、その集合体がチヅルという妖魔だった。
『町全体が神のテリトリーね、ね。結界っぽかった、かった』
「そう。気付かれた?」
『さあ? さあ? 分かんない、ない。気付かれてはないと思う、思う』
「分かったわ。ありがとう」
『うふふ、うふふ。また呼んでね、でね』
紙が舞い上がり、質量を縮めながらコハクの瞳に吸い込まれていった。
「あのう、神のテリトリーって何ですか?」
「聖ルアノラ帝国は神が支配する国なのよ」
「えっ? ただの宗教なんじゃないんですか? 神が支配するって、本当に神って存在がいるみたいなんですけど」
「その通りよ」
コハクは帽子のつばを少し上げて、キルカの町を眺める。
「神は存在している。聖ルアノラ帝国にはね」
黄褐色の瞳が見据える先には、石造りの美しい外観の家が整然と立ち並んでいた。




