ポルクスの戸惑い
スズの飛行速度について追記しました。
「はああ」
三メートルはあろうかという巨大な小鳥の妖魔、スズの背中にポルクスは突っ伏して溜め息を吐いた。ふわふわとした羽毛と体温が心地よい。
「どうしたの。大きな溜め息ね」
ポルクスは首だけを回してコハクをちらりと見た。黒髪が風になぶられてなびき、スズに跨がっている為に広げた白い足が着物から覗いている。
「な、なんでもないですっ」
コハクの白い足が妙に眩しく、見てはいけないものを見てしまった気分になって、慌ててスズの羽毛に顔を埋めた。
スズの移動速度は大型の鳥とほぼ同じだ。生身で乗っていれば振り落とされそうな速度なのだが、スズの能力によって守られていて、軽く風を感じる程度だった。
「ならいいのだれど。もしかして高所恐怖症なの? そんなにスズにしがみつかなくても大丈夫よ」
「いや、高いところは……あ、はい。そう! 実はそうなんです」
否定しかけてから、急いで肯定した。高所恐怖症だと思っていてくれた方がいいと考え直したのだ。
本当の理由は言えるわけがない。コハクを意識してしまうから、必死に離れようとスズにへばりついているなどと。
スズの背に乗っているのはコハクとポルクスのみだ。ハルやホムラはコハクの瞳の中にいる。瞳の中に入るのが嫌いだというホムラは渋々という体で入った。理由は簡単、スズの定員が二名だからだ。
正確に言えば子猫のミソラがいるのだが、ポルクスがスズに張り付いているものだから、懐にいれば潰されてしまうと言ってコハクの肩で丸くなっていた。ばたばたと動くポルクスの肩だと、落ちそうで嫌だと拗ねている。そのせいか話しかけても応えてくれなかった。
つまり空の旅の間は実質二人きりみたいなものだ。それだけならまだいいが、そんなに広くはないスズの背中に乗るとなると体が密着する。これがどうにも耐えられなくて、どうにかコハクと距離を取ろうとポルクスはスズの背中に張り付いているのだ。
後ろのコハクが身動ぎする気配がして、尻と背中に何かが当たり、ポルクスはびくっと体を震わせた。
「ちょっ、コハクさんっ?」
「怖いのなら支えていてあげるから安心なさい」
にじり寄ってきたコハクがポルクスに覆いかぶさるようにした。心臓のばくばくが酷くなるし、頬が一気に熱くなる。
「いや、その、大丈夫です。平気ですから離れてください」
「遠慮しなくてもいいのよ?」
仮にもポルクスは男で、コハクより一つ年上だというのに心配されて世話を焼かれている。
「うう、本当に大丈夫ですから!」
なんだか情けなくなってきたポルクスは、強めの断りを入れて、バネ仕掛けの人形のように身を起こした。スズから手を離してぱたぱたと振ってみせ、平気だとアピールをする。
「そう? 気分が悪くなったら無理しないでちゃんと言うのよ?」
完全に小さい子供のような扱いに、ポルクスはがっくりと肩を落とす。はいと返事をすると、それきり沈黙が落ちてしまった。
会話が無くなってしまうと、余計に気まずい。
何か、何か話題はないだろうかと、焦って探す。天気、駄目だ、それはもう出立前に話した。何で高所恐怖症だと頷いてしまったのだろう。前より体がくっついてしまったじゃないか。コハクの足が当たっているし、背中から伝わってくる体温がヤバい。
コハクから意識を離そうと必死に会話の内容を考えるが、どうしよう、どうしよう、話題、話題とそればかりが頭の中をぐるぐる回る。
「いい叔父さんね」
後ろのコハクのぽつりとした呟きが心にひんやりと染みて、浮き足立っていた心がすっと落ち着いた。出立前のバートンの顔を思いだし、ポルクスは大きく頷く。
「ええ。叔父さんがいなかったら僕はこうしていられませんでした」
三年前、家族を失ったポルクスを引き取り入院費を負担してくれたばかりか、本当の息子のように接してくれた。バートンには感謝してもし足りない。
今回の事が終わったら、今度こそバートンを安心させてやろうと思う。
心の浮わつきが収まって少し余裕が出たポルクスは、そっと下を流れる景色を覗いた。建物の乱立するナナガ国はもう、遥か後方に小さくなっている。真下にはナナガ国と聖ルアノラ帝国の首都を結ぶ線路が伸びていた。
聖ルアノラ帝国の国境は既に越えた。大陸の一割を占める程の大国である聖ルアノラ帝国の国土は広大で、国境から首都まで鉄道を使っても十日以上かかるのだ。
「コハクさんは聖ルアノラ帝国に行ったことあるんですか?」
気持ちが落ち着くと自然に疑問が湧いた。会話の種になるので素直に聞いてみる。
「いいえ。ミズホ国と聖ルアノラ帝国とは互いに干渉しない盟約を結んでいるの。国交もほぼないし、『珠玉』が呼ばれることもないわ」
「えっ? じゃあ妖魔が生まれたらどうするんですか」
第二部隊のように妖魔を狩る戦力があるのだろうか。しかし高位妖魔が出ればどうするのだろうと、ポルクスは首を傾げた。
「聖ルアノラ帝国には独自の断罪使と呼ばれる者たちがいるの。彼らが宿主から妖魔を分離させ、狩るのよ」
「ああ、断罪使。聞いたことはありますけど、見たことないですしよくは知らないです。『珠玉』と同じような人たちですか?」
「……いいえ。在り方が違う。けれど、やっていることは似ているわね」
そう答えて前方へ視線をやったコハクの瞳を覗くと、破片の動きが速まっていた。
コハクの瞳は時に表情よりも感情を雄弁に語る。ひやりと冷たいものを感じて、ポルクスはごくりと唾を飲み込んだ。




