不穏の足音
アウリムの研究室から出たリーザス補佐官は、額の汗をハンカチで拭きつつ、早足で首脳会談の会場へと向かっていた。途中で通信機器を使い、部下へ状況を聞く。
「『デンキ』はどうなった? ……なに? この無能が! とにかく探せ!」
怒鳴り付けて通信機器を切り、ポケットへと戻す。しばらく歩いて、また通信機器を取り出してかけた。
何度かけ直してもこんなに短時間で状況は変わるとは思えないが、リーザスは確認せずにはいられない。小太りの腹を揺らしてふうふうと息を吐き、通信機器に耳を澄ます。結果は同じく、手掛かりを掴めないという部下の報告だった。
リーザスは部下へひとしきり悪態をつき、また通話を切る。
もうじき首脳会談の会場へ着く。ボロスへは不本意な報告をしなければならない。あの冷たく厳しい水色の目を思い出し、リーザスは出っ張った腹を小さく震わせた。
数分後、またリーザスの手が通信機器へと伸びたとき、ふつりと照明が消えた。
「な、何事だ! 停電か!? ……すぐ調べて復旧しろ!」
リーザスは掛けた通信機器を耳に当て、部下へ怒鳴る。廊下は左右どちらも部屋があるため、明かりとりの窓がない。
突然の暗闇に慣れない目を瞬かせ、壁に手を付いて進んだ。幸い首脳会談の会場はすぐそこだ。ほどなくしてリーザスは会場へたどり着き、手探りでドアの取っ手を掴んで開いた。
リーザスが会場に滑り込むとほぼ同時に電気が復旧し、照明が戻った。
先に中にいた人物たちの視線がリーザスへと集まり、また噴き出してきた額の汗をせかせかと拭く。足早にボロスの後ろへ移動して控えた。
ボロスの耳元へ小声で事の顛末を簡潔に報告する。ボロスの反応は、薄い眉をぴくりと僅かに動かしたのみだった。
「少しトラブルがあったようだが、問題はないでしょう。始めると致しますか」
ボロスの声が低く会場へと響き、いよいよ本番が始まった。
「まず、今実験中のアウリム科学技術長官と、実験への協力者、ポルクス・キングスとの新たな約定だが」
「えぇ、えぇ、聞いておりますよ。元々は対妖魔銃の優先的な我が国への輸出、三年前のナナガ国に出た高位妖魔の情報。これに加えての約定ですねぇ」
ボロスの鋭い視線をラナイガが柔らかく受けて微笑む。
「対妖魔銃の技術と『石』の交換でしたねぇ。えぇ、アウリム科学技術長官殿も快く引き受けて頂いたとか。個人の取り決めですから、ここでの議論に値しますかねぇ」
「ラナイガ議会長もお人が悪い。分かっておられると思いますがね、これは宣戦布告というものでしょう」
「なぜそう思われるのです?」
ぴくりとトラメが小さく目元を痙攣させた。能力の使いどころが来る。
「技術の流出は我が国の大きな損失。知っての通り、農作物も育たぬ、これといった生産力のない我が国の生命線は、他国の追随を許さぬ科学技術です。だからこそ、我が国は国民に他国への移住を禁じ、他国からの移住者も受け入れておりませぬ」
トラメは控えめな笑みを浮かべて長い指をゆるりと組み、表面上は静かに耳を傾けていたが、内心では神経を尖らせて、ボロスの様子を伺っていた。ここは違う。まだ建前しか言っていない。
びりびりとした空気が会場を支配する。端に控えている報道陣が、固唾を飲んでカメラとマイクを構えていた。
「個人の取り決めと侮れぬ。数ある技術の一つが流出するのみと静観もできぬ。一つの慣例は我が国の現状を瓦解させる切っ掛けとなりましょう。断じて看過できませんな」
「それは曲解というもの。我が国にそのような意図などありませんよ」
ラナイガが柔和な姿勢を崩さず、気楽な口調を装った。ラナイガのこれにボロスが乗れば、先の発言はただの牽制として処理出来る。
「本当にそうですかな? あの男の交渉は貴方の差し金なのではありませんか? この約定を利用して我が国の弱体化を進ませ、やがて全ての技術を取り込む。そうなればわがマギリウヌ国はひとたまりもないでしょうな。緩慢なる『滅びを迎える』のみ」
あの交渉の裏にラナイガがいるのは周知の事実だ。それを分かって牽制し、何かしらマギリウヌに優位な取引を持ちかけてくるものと読んでいた。しかしボロスはそちらの方向へ持っていっていない。そのことにラナイガは珍しく驚きと焦りを覚える。
トラメもまた、驚き、動揺していた。『滅びを迎える』という単語に能力を使ったのは直感だ。
当たって欲しくなかった直観を、能力が裏付ける。これではボロスが示唆しているのは……ボロスの真意は。
「ボロス国家元首!」
その先を言わせまいと、ラナイガは国家元首の肩書を強調した。国の代表としてこの場に立つ者の責務はひとえに国の利益だ。今ボロスが言わんとしている事は、両国の利益を大きく損なう。
「率直に言いましょうぞ。ラナイガ議会長。我が国はかの約定を交わしたナナガ国の意図を、我が国への宣戦布告とみなし、これに抗うことを宣言いたしましょう」
「ボロス様、それは早計というものです。ナナガ国の妖魔被害の現状はご存じでしょう。ラナイガ議会長はそれを止めたいだけなのです」
二国の論点から外れた中立であるミズホ国代表として、トラメがナナガ国を弁明した。
ここで止まれと、何度も示唆するトラメとラナイガを無視して、ボロスは続ける。
「トラメ国長代理、ミズホ国とて蚊帳の外とは言えませぬぞ。交渉にはミズホ国の『珠玉』が立ち会ったというではないですかな。更に陰で動くミズホ国の間諜であるデンキの不穏な動向。ナナガ国と示し合せ、我が国を潰そうとの魂胆、気付いておりますぞ」
トラメは言葉を失った。能力を使うまでもない。ボロスは、ナナガ国だけでなくミズホ国とも敵対すると言っている。
すなわち、戦争の布告であった。
「今一度言おう。マギリウヌ国はナナガ国、ミズホ国、両国ともに敵とみなすことを宣言する」
会場内に静寂が訪れ、音を伴わない衝撃がこの場の空気を激震させた。
8月中は不定期更新になります。申し訳ありません。




